称名
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しょうみょう
仏・菩薩の
善導大師は、阿弥陀仏の本願(第十八願)に「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」とあるのを、「我が名号を称すること
法然上人はそれをうけて、阿弥陀仏がその本願において、難劣な余行を選捨(えらびすて)し、最勝にして至易である称名を選取(えらびとる)して、往生の正定業と選定したといい、他の一切の行を廃して、称名一行の専修を勧めた。
これは本願を信じて称える他力の称名である。この他力の称名は称えた功をみず、名号願力に帰する行であるから、その体徳からいえば正定の業因である。しかし信後の称名は、正因決定後のおこないであるから、行者は仏恩報謝のおもいに住して行ずべきであるというのが、浄土真宗の信心正因・称名報恩説である。→補註10。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
称には、となえるの他に、たたえる・かなう・はかる・ほめる・あげる等の意味がある。この意から浄土真宗では唱の字を使わずに専ら称の字を使う。それは御開山が「第十八願」の「乃至十念」は称名(なんまんだぶ)である意を 第十七願の「出於大悲願(大悲の願よりいでた)」(行巻 P.141) 諸仏の教位によって確認されたからである。第十七願に、
- 十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚。
- 十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。
とある諸仏の讃嘆としての咨嗟称我名の讃嘆の名号であるからである。我が称えて我が聞くのである。
この意を浄土真宗の先達は「諸仏称名 衆生聞名」と、なんまんだぶは聞きものであるとも言われていた。
トーク:招喚したまふの勅命から転送。
- 招喚したまふの勅命
時々、念仏を、自力の念仏と他力の念仏に分けて、自分が称える念仏の能行説(能動)と阿弥陀仏に称えさせられる念仏の所行説(所動)の能所の語に幻惑されて「私にはお念仏が出ません」という門徒がいる。便秘なら出ませんということもあろうが、なんまんだぶが口から出ないなら努力して舌を動かして〔なんまんだぶ〕と称えればいいのである。
「信心正因 称名報恩」という真宗坊さんの説く硬直しドグマ化された言葉に幻惑されて、信が無ければ称名をしてはいけないと誤解して、「名体不二」のなんまんだぶが称えられないのであろう。TPO(時と所と場合)を考慮せずになんまんだぶを称え、周囲から「くせ念仏」と揶揄されていたばあちゃんが悩んでいた。そのときに、じいさんが、たとえ癖の
因幡の源左同行は、
- 念佛にや しいらはないけつど
- 人間が しいらだがのう
- しいらでも 称えなんすりや 実がいつでのう
- *しいら 粃・秕(しいな)、から(殻)ばかりで実のない籾(もみ)。十分にみのっていない籾。しいだ。しいなし。しいなせ。しいら。
と、云われていたものであった。
樹の枝は風がふくから動くのであり枝が動いたから風がふくのではない。自力念仏とは我が動いて大悲の風を起こそうというのであろう。大悲の風は倦むことなく常に招喚したまふの勅命としてふいているのであった。
「風にふかれ信心申して居る」(尾崎放哉)という句がある。「信心申して」という表現は秀逸である。なんまんだぶと称えることは信であり、これを「称即信 (名を称えることが即ち信心)」というのである。
深川倫雄和上は『領解文』を釈して、
- さてこの御たすけの法を頂き、ご恩尊やと称え
且 つ聞いて慶ぶ所を、「このうへの称名はご恩報謝と存じ」と出言しました。ここに称名はご恩報謝というのは、称名の称、即ち称えるということが報謝であるということであります。 - 称えるのは私、称えられるのが名号。称えようと思う心も、舌を動かし息を出す仕事も私のすることで、これはご恩報謝。称えられる名号は、如来回向の正定業であります。お六字の意味を「有り難うございます」と領解してはなりません[1]。本願に「乃至十念」とありまして、称名は信仰生活の第一です。何はともあれ、お称名をして暮らすことであります。 (平成7年「改悔批判」)
と、なんまんだぶを称えて聞きなさいよ、とのお示しであった。「称」はわたくしの報謝の努力であり、「名(号)」として聞えて下さるのが「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ[2]」という「本願招喚の勅命」であった。
真宗の学僧大厳師[3]は、
- 罔極仏恩報謝情 (罔極[4]の仏恩報謝の情)
- 清晨幽夜但称名 (清晨幽夜[5]ただ称名)
- 堪歓吾唱雖吾聴 (歓びにたえたり、われ唱えわれ聴くといえども)
- 此是大悲招喚声 (これはこれ大悲招喚の声)[6]
と、なんまんだぶという自らの称える声に本願招喚の勅命を聞かれたのであった。
この漢詩の意を、原口針水和上[7]は、より解りやすく和語にされ、
- 我れ称へ 我れ聞くなれど
- 南無阿弥陀 つれてゆくぞの 弥陀のよび声
と、讃詠されたのであった。甲斐和理子さんは、
- み仏(ほとけ)の み名を称える
- わが声は わが声ながら 尊かりけり
と詠っておられたのであった。越前のなんまんだぶの門徒は、本願寺の大谷光瑞門主の言葉とされる、
- 我、名号となりて衆生に到り衆生とともに浄土へ往生せん、若し衆生生まれずば 我も帰(還)らじ
の句を、
- われ、名号となりて衆生に至り、衆生かえらずんば、われもまた還らじ
と、なんまんだぶを称え、第十八願の、
乃至十念 若不生者 不取正覚 (乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)。
の意を味わっていたのであった。
生死に呻吟している人生に「わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん(欲生我国 乃至十念)」(大経 P.18) と、なんまんだぶと呼ばれて、なんまんだぶと
- →咨嗟