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[[本願寺]]を寺院化した[[覚如]]上人以降は、[[信心]]を強調して念仏の称功を否定するあまり'''[[讃嘆門]]'''としての[[称名]]を自力であると否定してきた歴史的背景がある。特に本願寺八代目蓮如さんは[[JWP:応仁の乱|応仁の乱]]といふ混乱の時代を生きられた方であり、それはまた、浄土教の教義混乱の時代であった。このような時代環境の中で、浄土教の他流、他派との{{DotUL|違いを強調する論理が「信因称報説」であった}}のである。もっとも蓮如さんには「信因称報説」を説くといふ意図はなく、後年の学僧が蓮如さんの'''[[御文章|お文]]'''の文意から「信心正因 称名報恩」が「蓮如教学」の中核だといふ考察から出来たのであろう。<!--キリスト教風の人格神へ対する「信のみ・恩寵のみ・聖書のみ」といふ名号法といふ[[仏法]]を等閑にした「法」無しの[[信心]]だけを説く信心論であろう。--><br />
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「信因称報説」のみでご法義を論ずることは、ある意味では、御開山からみれば仏法の行[[法]]である'''[[正定業]]'''を無視した「単信無称」の[[異安心]]なのだが、こういふ輩は「[[本願招喚の勅命]]」である、「[[垂名示形]]」である称えられるご法義を知らないのであろう。
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「[[信因称報]]説」のみでご法義を論ずることは、ある意味では、御開山からみれば仏法の行[[法]]である'''[[正定業]]'''を無視した「単信無称」の[[異安心]]なのだが、こういふ輩は「[[本願招喚の勅命]]」である、「[[垂名示形]]」である称えられるご法義を知らないのであろう。
  
 
:→[[垂名示形]]
 
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2023年12月11日 (月) 18:34時点における版

しょうみょう-しょういん 

称名正因

 行者の口業である称名念仏を往生成仏の正因とする理解。口称正因の邪義などともいい、真宗では異安心とされる。その中でも信心の有無を論じないものを無信単称[1]という。 →信心正因称名報恩。(浄土真宗辞典)

 称名は選択本願なのだが「称名正因」を異安心といふのは(たの)といふ心相が欠けているからである。『選択集』本願章には、

 弥陀如来、余行をもつて往生の本願となさず、ただ念仏をもつて往生の本願となしたまへる文。選択集 P.1201

とあるように念仏(称名)は本願に選択された往生であり業因である。この本願によって選択回向された他力の行を、おのれが修する善根と取り違えるから異安心といふのであった。
また浄土真宗では覚如師は称名を強調する鎮西浄土宗に対し[2]、蓮如さんは当時盛大であった時衆との差別化のために信心正因を強調し「称名正因」の義を異安心としたのだと思われる。 御開山は、 『唯信鈔文意』では、称名について、

『阿弥陀経』の証誠護念のありさまにてあきらかなり。証誠護念の御こころは『大経』にもあらはれたり。また称名の本願は選択の正因たること、この悲願にあらはれたり。この文のこころはおもふほどは申さず、これにておしはからせたまふべし。(唯文 P.703)

と、「称名の本願は選択の正因」とされておられた。また御開山は『尊号真像銘文』では、法然聖人の「日本源空聖人真影」に、

『選択本願念仏集』といふは、聖人(法然聖人)の御製作なり。「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本」といふは、安養浄土の往生の正因念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。正因といふは、浄土に生れて仏にかならず成るたねと申すなり。(尊号 P.664)

と、なんまんだぶと称えることは往生浄土の正因であり種であるとされておられた。
本願寺を寺院化した覚如上人以降は、信心を強調して念仏の称功を否定するあまり讃嘆門としての称名を自力であると否定してきた歴史的背景がある。特に本願寺八代目蓮如さんは応仁の乱といふ混乱の時代を生きられた方であり、それはまた、浄土教の教義混乱の時代であった。このような時代環境の中で、浄土教の他流、他派との違いを強調する論理が「信因称報説」であったのである。もっとも蓮如さんには「信因称報説」を説くといふ意図はなく、後年の学僧が蓮如さんのお文の文意から「信心正因 称名報恩」が「蓮如教学」の中核だといふ考察から出来たのであろう。
信因称報説」のみでご法義を論ずることは、ある意味では、御開山からみれば仏法の行である正定業を無視した「単信無称」の異安心なのだが、こういふ輩は「本願招喚の勅命」である、「垂名示形」である称えられるご法義を知らないのであろう。

垂名示形
信心正因
称名報恩
行信不離
称名の本願は…
トーク:蓮如
参照WEB版浄土宗大辞典の「称名正因」の項目


  1. 無信単称(むしん-たんしょう)。信心が無くて、ひとえに称名だけをすること。
  2. 当時の「大谷本願寺」は、称名念仏を強調する鎮西流の知恩院の目と鼻の先にあり鎮西流に圧迫されつつあった。