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しょうみょう-ほうおん
 
しょうみょう-ほうおん
  
 『大経』[[第十八願]]には、信心と称名念仏とが誓われているが、信心こそが往生成仏の正因であるから、称名念仏は{{DotUL|行者の心持ちからいえば}}阿弥陀仏に摂取された感謝の思いの中で名号が声となってあらわれ出たものであるということ。
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 『大経』[[第十八願]]には、信心と称名念仏とが誓われているが、信心こそが往生成仏の正因であるから、称名念仏は{{ULR|行者の心持ちからいえば}}阿弥陀仏に摂取された感謝の思いの中で名号が声となってあらわれ出たものであるということ。
 
『正信偈』に、
 
『正信偈』に、
 
:ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。([[行巻#P--205|行巻 P.205]])
 
:ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。([[行巻#P--205|行巻 P.205]])
 
『化身土文類』には、
 
『化身土文類』には、
 
:ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。([[化巻本#P--413|化巻 P.413]])
 
:ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。([[化巻本#P--413|化巻 P.413]])
等とある。また、称名正因などの異安心に対して、安心論題に「称名報恩」が設けられている。 →[[信心正因]](浄土真宗辞典)
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等とある。また、[[称名正因]]などの[[異安心]]に対して、安心論題に「[[安心論題/称名報恩|称名報恩]]」が設けられている。 →[[信心正因]](浄土真宗辞典)
 
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「称名報恩」説は、信心正因説と組み合った時に称名は二次的に思われることもある。<br />
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「称名報恩説」は「[[念仏往生]]説」と「[[信心正因]]説」とが相反するものと受け取られた場合には、衆生救済の[[法]]である'''[[大行]]'''の'''[[称名]]'''は「行者の心持ち」にすぎないのであるから、と、{{ULR|法の[[顕現]]である[[称名]]}}は二次的に受け取られることもある。→[[垂名示形]]、[[名体不二]]<br />
  
御開山は『尊号真像銘文』で、智栄の善導大師の徳をほめる讃を引かれ、
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覚如上人が'''信因称報説'''を強調されたのは、当時非常に力を持ち始めた多念の称名を強調する[[鎮西|鎮西浄土宗]]に対抗する為であった。当時の「[[大谷本願寺]]」は鎮西流の[[知恩院]]の目と鼻の先にあり鎮西流に圧迫されつつあった。知恩院が強烈に教線を拡張して教団的には本願寺が圧迫されつつあったのである。『口伝鈔』には法然聖人(源空)を挙げて、法然─親鸞─如信という[[三代伝持]]を強調され、法然聖人の一流は親鸞聖人にあるのだと強調されていた。そこで鎮西流との教義の違いを強調する必要があったのである。その為に{{DotUL|[[称名]]に自力の'''称功'''を否定し「[[信の一念]]」を強調する論理が「称名報恩説」であった}}<ref>『礼讃』の「作業門」には「相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、心に軽慢を生じて[[業行]]をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり」とあり、往生の正行(なんまんだぶ)を如実に相続できないことを「仏恩を念報せざるがゆゑ」とある。→[[恩]]</ref>。<br />
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この「称名報恩説」は『御消息』に、
 
{{Inyou|
 
{{Inyou|
:「称仏六字」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは仏を{{DotUL|ほめたてまつるになる}}となり。また「即懺悔」といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち無始よりこのかたの罪業を{{DotUL|懺悔するになると申すなり}}。([[尊号真像銘文#P--655|尊号 P.655]])
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わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとそ、おぼえ候ふ 。([[P:784|御消息 784]])
 
}}
 
}}
ということを教えて下さった。なんまんだぶを称えることは、阿弥陀仏を[[讃嘆]]することになり無始已来の罪業を[[懺悔]]することになるとされるのである。阿弥陀如来の仏徳は窺うすべもないはかりしれない徳である。しかし「名号をとなふるはすなはち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと」ともされておられた。その真実信心の称名を『一念多念証文』では、
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とあるように、御開山にももちろんある。ある事はあるのだが、
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阿弥陀仏より選択回向された名号を称える[[念仏成仏]]の[[正定業]](本願名号正定業 至心信楽願為因)の「念仏成仏説」と、信心一発後の称名は往生の[[業因]]ではなく行者の心持ちである報恩行(唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩)であるとする両説を「称名報恩説」を主張して「称名報恩説」に統一しようとされたのが覚如上人だった。<br />
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覚如上人は、それを一本槍にしていかれたのであった。御開山の教えというものを「信因称報説」という形で、いわゆる他力の[[宗義]]を突き詰めていく。そして御開山の「[[現生正定聚]]説」というものをギリギリまで突き詰めていくと信因称報説になるのであった。いつ往生が定まるかと言うと「[[信の一念]]」に往生は定まるのだといふのである。この[[信の一念]]に往生が定まるということを覚如上人は「[[平生業成]]」といわれたのである。その平生業成説を突き詰めると、信の一念に往生が定まった、では、その後の称名はどうするのか。[[業因]]なのか、それとも[[業因]]で無いのか。[[業因]]で無いなら「[[乃至十念]]」の[[称名]]は何の意味で説かれたのだ、というので覚如上人が導入し力説されたのが「称名報恩説」であった。<br />
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そもそも「称名報恩説」は、行または信の一念に往生は定まるからその後の称名を軽視しまたは不要であるという'''[[jds:一念義|一念義]]'''系の者が相続行としての称名を否定する為の論理であった。この[[EXC:意図|意図]]を正確に把握しないと御開山が示された「[[信心正因]]」と「[[讃嘆|仏徳讃嘆]]」行としての称名相続の意義を誤解するのである。[[信心正因]]説は「菩提心正因説」でもあるのだが、これを正確に理解しないと「[[行信不離]]」というご[[法義]]を誤解することになる。覚如上人の示されたように「[[信心正因]]」は御開山のお示しではあるが、何を信ずるかといえば、その'''[[体]]'''は、「[[名体不二]]」の、なんまんだぶを称え聞く相続する名号法である。<br />
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 '''[[念仏往生]]'''とは[[阿弥陀仏]]の[[衆生]][[済度]]の普遍の{{MK|法}}を示す[[名目]]であり、'''[[信心正因]]'''とは衆生の{{MK|機}}受の「[[信の一念]]」を顕す[[名目]]であった。後の[[蓮如]]さんは、これを'''[[機法一体]]'''といふ語で民衆を教化していかれたのであった。→[[名体不二]]<br />
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 蓮如さんは、当時の[[称名]]するだけで信心の[[いわれ]]を知らない民衆に「信因称報説」を強調された。しかし「もろもろの'''雑行雑修'''自力のこころをふりすてて」([[領解文#P--1227|領解文 P.1227]]) の雑業・雑修をふり捨てるとは'''「[[正行]]」'''の念仏一行を専修することであろう。それは、深く阿弥陀仏を[[たのむ]] [[第十八願]]の信楽の一心と、数を定めない[[乃至十念]]の「[[正定業]]」の、なんまんだぶを示し称名念仏の相続行を示しておられたのであった。当時の越前・加賀で盛んであった浄土門異流(時衆)の影響下で「なにの分別もなく口にただ[[称名]]ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり」([[御文五#P--1197|御文章 P.1197]])といふ[[門徒]]に、信の上の[[称名]]を勧める教化が「信因称報説」であった。'''念仏往生'''は浄土教の基本であり、その[[門徒]]が称えているなんまんだぶの意味を[[信心]]の有無によって裏付けられたのであった。<br />
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それが、五帖一通目の末代無智章の、'''念仏往生の誓願'''のこころであった。
 
{{Inyou|
 
{{Inyou|
:「称」は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり、はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、<kana>十声(とこえ)</kana>・<kana>一声(ひとこえ)</kana> きくひと、疑ふこころ一念もなければ、[[実報土]]へ生ると申すこころなり。 ([[一多#P--694|一多 P.694]])
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: 末代無智の[[在家止住]]の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、[[一心一向]]に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。
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:これすなはち第十八の'''念仏往生'''の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。[[あなかしこ]]、あなかしこ。([[御文五#no1|御文章 P.1189]])
 
}}
 
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とされておられた。称えて聞く〔なんまんだぶ〕は、まるで天秤ばかりのように仏徳に等しい「如実修行相応」の讃嘆行なのであった。
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蓮如さんは日本語で阿弥陀仏との回路を開かれた方であるといわれる。その意味では「<!--こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、-->[[一心一向]]に仏たすけたまへと申さん」とは、日本語での南無阿弥陀仏(なんまんだぶ) であるともいえよう。そして「かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」とは本願名号正定業の「[[正定業]]」であった。その意味では「称名報恩説」は報恩相続行としての「正定業」であった。
  
信因称報説は、覚如上人が強調したのだが当時優勢であった多念の称名を強調する鎮西浄土宗に対抗する為の信を強調する論理であった。この意を正確に把握しないと御開山が示された[[行信]]不離というご法義を誤解することになる。たしかに信心正因は御開山のお示しであるが、何を信ずるかといえば、なんまんだぶの名号法である。法然聖人は、
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御開山は、[[jds:一念義|一念義]]系の者が、
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:「しかるに或人、本願を信ずる人は一念なり、しかれば五万返無益也、本願を信ぜざるなりと申す。基親こたえていはく、念仏一声のほかより、百返乃至万返は、本願を信ぜずといふ文候やと申す。難者云く、自力にて往生はかなひがたし、ただ一念信をなしてのちは、念仏のかず無益なりと申す<ref>一念義の者は、信の一念に往生は定まるのであるから、その上での称名相続する者は本願を信じていない証拠だと非難した。</ref>。」([[西方指南抄#P--1016|西方指南抄 基親取信信本願之様]])
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というような[[一念義]]の説によって、[[念仏往生]]と信ずる者は自力だから[[辺地]]の[[往生]]だと、[[jds:一念義|一念義]]系の者に論難された関東の門弟の問いに対して、<br />
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『御消息』で、
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{{Inyou|
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: 尋ね仰せられ候ふ念仏の不審の事。'''[[念仏往生]]'''と信ずる人は、[[辺地]]の[[往生]]とてきらはれ候ふらんこと、[[おほかた]]こころえがたく候ふ。そのゆゑは、[[弥陀]]の[[本願]]と申すは、[[名号]]をとなへんものをば[[極楽]]へ迎へんと誓はせたまひたるを、'''[[ふかく信じて]]'''となふるがめでたきことにて候ふなり。[[信心]]ありとも、[[名号]]をとなへざらんは[[詮なく候ふ]]。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、'''[[念仏往生]]'''とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき[[報土]]の往生にてあるべく候ふなり。([[消息下#no26|消息 P.785]])
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といわれておられた。<br />
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法然聖人は、
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{{Inyou3|
 
:又云、一念・十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申せば、{{DotUL|信が行をさまたぐる也。}}念念不捨といへばとて、一念・十念を不定におもへば、{{DotUL|行が信をさまたぐる也。}}かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし。
 
:又云、一念・十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申せば、{{DotUL|信が行をさまたぐる也。}}念念不捨といへばとて、一念・十念を不定におもへば、{{DotUL|行が信をさまたぐる也。}}かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし。
:又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあてをき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。([[hwiki:和語灯録#P--633|禅勝房にしめす御詞]])
+
:又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあてをき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。([[hwiki:和語灯録#P--633|『和語灯録』禅勝房にしめす御詞]])
といわれていた。<br />
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}}
その意味において「信心正因 称名報恩」の術語は「信が行をさまたぐる」のであり、御開山の正確な意では「信心正因 称名業因」というべきである。ともあれ、「信心正因 称名報恩」の語に拘泥して、ありもしない称名抜きの信心を門徒に説かざるをえない真宗の坊さんは可哀想ではある。<br />
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と、「[[行]]」と「[[信]]」の関係をいわれておられた。<br />
という訳で、信因称報説を強調する為とはいえ、これはアカンやろと思ふこともある。→[[ファイル・トーク:K-goei.jpg|鏡御影の讃]]<br />
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その意味において「信心正因 称名報恩」の術語を誤解することは「信が行をさまたぐる」のであり、御開山の正確な意では「称名業因」「称名讃嘆」という相続行といふべきであろう。<br />
本願の名号は正定の業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である)である。これを受け容れたことを信心正因というのであった。信心の対象は、なんまんだぶという耳に聞こえる阿弥陀仏の[[招喚]]なのであった。→[[信心正因]]
+
御開山は『浄土論』『論註』の「[[讃嘆門]]」によって、
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{{Inyou|
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:'''[[大行]]'''とはすなはち'''[[無碍光如来]]の名を称するなり'''。この'''[[行]]'''はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの[[徳本]]を具せり。[[極速円満す]]、[[真如一実の]]功徳宝海なり。ゆゑに'''[[大行]]'''と名づく。しかるにこの行は大悲の願([[第十七願]])より出でたり。([[行巻#P--141|行巻 P.141]])
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}}
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と、浄土真宗における「[[称名]]」を'''「[[大行]]」'''と定義されておられる。<br />
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そして愚直に[[南無阿弥陀仏]]を称することを、
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{{Inyou|
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:'''名を称する'''に、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。 ([[行巻#P--146|行巻 146]])
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}}
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と、'''[[称名破満]]'''の義を示しておられた。このような[[称名]]は「称名報恩」といふ行者の心持ちといふ枠内には収まり切れないものであった。
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ともあれ、「信心正因 称名報恩」の語に拘泥して、ありもしない称名抜きの信心を門徒に説かざるをえない真宗の坊さんは可哀想ではある。<br />
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という訳で、信因称報説を強調する為とはいえ、これはアカンやろと思ふこともある。→[[鏡の御影]]<br />
 +
本願の名号は正定の業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である)である。これを受け容れたことを「[[信心正因]]」というのであった。信心の対象は、なんまんだぶという耳に聞こえる阿弥陀仏の[[招喚]]なのであった。→[[信心正因]]
  
 
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:→[[称]]
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:→[[称名]]
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:→[[恩]]
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:→[[名体不二]]
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:→[[名号度生]]
 
:→[[念仏成仏]]
 
:→[[念仏成仏]]
 
:→[[誓願一仏乗]]
 
:→[[誓願一仏乗]]
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:→[[信心正因]]
 
:→[[安心論題/称名報恩]]
 
:→[[安心論題/称名報恩]]
 
:→[[安心論題/念仏為本]]
 
:→[[安心論題/念仏為本]]
 
:→[[安心論題/所帰人法]]
 
:→[[安心論題/所帰人法]]
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*→[[覚如教学の特色]]
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*御開山のご影は珠数を持ち南無阿弥陀仏を称えている姿である。
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{| class="wikitable"
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|-
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! 鏡のご影 !! 熊皮のご影 !! 安城のご影
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|-
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| [[ファイル:K-goei.jpg|thumb|left|200px]] ||[[ファイル:Kumagawa goei.jpg|thumb|center|200px]] ||[[ファイル:Anjyo.jpg|thumb|right|200px]]
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|}
  
 
[[Category:追記]]
 
[[Category:追記]]

2024年7月18日 (木) 09:41時点における最新版

しょうみょう-ほうおん

 『大経』第十八願には、信心と称名念仏とが誓われているが、信心こそが往生成仏の正因であるから、称名念仏は行者の心持ちからいえば阿弥陀仏に摂取された感謝の思いの中で名号が声となってあらわれ出たものであるということ。 『正信偈』に、

ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。(行巻 P.205)

『化身土文類』には、

ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。(化巻 P.413)

等とある。また、称名正因などの異安心に対して、安心論題に「称名報恩」が設けられている。 →信心正因(浄土真宗辞典)

「称名報恩説」は「念仏往生説」と「信心正因説」とが相反するものと受け取られた場合には、衆生救済のである大行称名は「行者の心持ち」にすぎないのであるから、と、法の顕現である称名は二次的に受け取られることもある。→垂名示形名体不二

覚如上人が信因称報説を強調されたのは、当時非常に力を持ち始めた多念の称名を強調する鎮西浄土宗に対抗する為であった。当時の「大谷本願寺」は鎮西流の知恩院の目と鼻の先にあり鎮西流に圧迫されつつあった。知恩院が強烈に教線を拡張して教団的には本願寺が圧迫されつつあったのである。『口伝鈔』には法然聖人(源空)を挙げて、法然─親鸞─如信という三代伝持を強調され、法然聖人の一流は親鸞聖人にあるのだと強調されていた。そこで鎮西流との教義の違いを強調する必要があったのである。その為に称名に自力の称功を否定し「信の一念」を強調する論理が「称名報恩説」であった[1]
この「称名報恩説」は『御消息』に、

わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとそ、おぼえ候ふ 。(御消息 784)

とあるように、御開山にももちろんある。ある事はあるのだが、 阿弥陀仏より選択回向された名号を称える念仏成仏正定業(本願名号正定業 至心信楽願為因)の「念仏成仏説」と、信心一発後の称名は往生の業因ではなく行者の心持ちである報恩行(唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩)であるとする両説を「称名報恩説」を主張して「称名報恩説」に統一しようとされたのが覚如上人だった。

覚如上人は、それを一本槍にしていかれたのであった。御開山の教えというものを「信因称報説」という形で、いわゆる他力の宗義を突き詰めていく。そして御開山の「現生正定聚説」というものをギリギリまで突き詰めていくと信因称報説になるのであった。いつ往生が定まるかと言うと「信の一念」に往生は定まるのだといふのである。この信の一念に往生が定まるということを覚如上人は「平生業成」といわれたのである。その平生業成説を突き詰めると、信の一念に往生が定まった、では、その後の称名はどうするのか。業因なのか、それとも業因で無いのか。業因で無いなら「乃至十念」の称名は何の意味で説かれたのだ、というので覚如上人が導入し力説されたのが「称名報恩説」であった。

そもそも「称名報恩説」は、行または信の一念に往生は定まるからその後の称名を軽視しまたは不要であるという一念義系の者が相続行としての称名を否定する為の論理であった。この意図を正確に把握しないと御開山が示された「信心正因」と「仏徳讃嘆」行としての称名相続の意義を誤解するのである。信心正因説は「菩提心正因説」でもあるのだが、これを正確に理解しないと「行信不離」というご法義を誤解することになる。覚如上人の示されたように「信心正因」は御開山のお示しではあるが、何を信ずるかといえば、そのは、「名体不二」の、なんまんだぶを称え聞く相続する名号法である。
 念仏往生とは阿弥陀仏衆生済度の普遍のを示す名目であり、信心正因とは衆生の受の「信の一念」を顕す名目であった。後の蓮如さんは、これを機法一体といふ語で民衆を教化していかれたのであった。→名体不二

 蓮如さんは、当時の称名するだけで信心のいわれを知らない民衆に「信因称報説」を強調された。しかし「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて」(領解文 P.1227) の雑業・雑修をふり捨てるとは正行の念仏一行を専修することであろう。それは、深く阿弥陀仏をたのむ 第十八願の信楽の一心と、数を定めない乃至十念の「正定業」の、なんまんだぶを示し称名念仏の相続行を示しておられたのであった。当時の越前・加賀で盛んであった浄土門異流(時衆)の影響下で「なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり」(御文章 P.1197)といふ門徒に、信の上の称名を勧める教化が「信因称報説」であった。念仏往生は浄土教の基本であり、その門徒が称えているなんまんだぶの意味を信心の有無によって裏付けられたのであった。
それが、五帖一通目の末代無智章の、念仏往生の誓願のこころであった。

 末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。
これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文章 P.1189)

蓮如さんは日本語で阿弥陀仏との回路を開かれた方であるといわれる。その意味では「一心一向に仏たすけたまへと申さん」とは、日本語での南無阿弥陀仏(なんまんだぶ) であるともいえよう。そして「かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり」とは本願名号正定業の「正定業」であった。その意味では「称名報恩説」は報恩相続行としての「正定業」であった。

御開山は、一念義系の者が、

「しかるに或人、本願を信ずる人は一念なり、しかれば五万返無益也、本願を信ぜざるなりと申す。基親こたえていはく、念仏一声のほかより、百返乃至万返は、本願を信ぜずといふ文候やと申す。難者云く、自力にて往生はかなひがたし、ただ一念信をなしてのちは、念仏のかず無益なりと申す[2]。」(西方指南抄 基親取信信本願之様)

というような一念義の説によって、念仏往生と信ずる者は自力だから辺地往生だと、一念義系の者に論難された関東の門弟の問いに対して、

『御消息』で、

 尋ね仰せられ候ふ念仏の不審の事。念仏往生と信ずる人は、辺地往生とてきらはれ候ふらんこと、おほかたこころえがたく候ふ。そのゆゑは、弥陀本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。(消息 P.785)

といわれておられた。
法然聖人は、

又云、一念・十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申せば、信が行をさまたぐる也。念念不捨といへばとて、一念・十念を不定におもへば、行が信をさまたぐる也。かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし。
又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあてをき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。(『和語灯録』禅勝房にしめす御詞)

と、「」と「」の関係をいわれておられた。
その意味において「信心正因 称名報恩」の術語を誤解することは「信が行をさまたぐる」のであり、御開山の正確な意では「称名業因」「称名讃嘆」という相続行といふべきであろう。
御開山は『浄土論』『論註』の「讃嘆門」によって、

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。このはすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。(行巻 P.141)

と、浄土真宗における「称名」を大行と定義されておられる。
そして愚直に南無阿弥陀仏を称することを、

名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。 (行巻 146)

と、称名破満の義を示しておられた。このような称名は「称名報恩」といふ行者の心持ちといふ枠内には収まり切れないものであった。

ともあれ、「信心正因 称名報恩」の語に拘泥して、ありもしない称名抜きの信心を門徒に説かざるをえない真宗の坊さんは可哀想ではある。
という訳で、信因称報説を強調する為とはいえ、これはアカンやろと思ふこともある。→鏡の御影
本願の名号は正定の業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である)である。これを受け容れたことを「信心正因」というのであった。信心の対象は、なんまんだぶという耳に聞こえる阿弥陀仏の招喚なのであった。→信心正因


称名
名体不二
名号度生
念仏成仏
誓願一仏乗
信心正因
安心論題/称名報恩
安心論題/念仏為本
安心論題/所帰人法
  • 御開山のご影は珠数を持ち南無阿弥陀仏を称えている姿である。
鏡のご影 熊皮のご影 安城のご影
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  1. 『礼讃』の「作業門」には「相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり」とあり、往生の正行(なんまんだぶ)を如実に相続できないことを「仏恩を念報せざるがゆゑ」とある。→
  2. 一念義の者は、信の一念に往生は定まるのであるから、その上での称名相続する者は本願を信じていない証拠だと非難した。