大信心
提供: WikiArc
だいしんじん
【左訓】「われらが弥陀の本願他力を信じたるを大信心といふ。無上菩提に至るを大信といふなり」(異本)(浄土 P.573)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
だいしんじん 大信心
他力信心のこと。衆生を涅槃のさとりに至らせるすぐれた徳をもっていることから、このようにいう。『浄土和讃』には「大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり」とあり「国宝本」左訓には「われらが弥陀の本願他力を信じたるを大信心といふ。 無上菩提に至るを大信といふなり」とある。 →真実信心。(浄土真宗辞典)
「信巻」では『涅槃業』(師子吼品)を引文し。
とある。
◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:真実信心
しんじつ-しんじん 真実信心
阿弥陀仏より衆生に与えられた本願力回向の信心。阿弥陀仏から回向された信心であるから大信ともいい一心ともいう。「信巻」には、
とあり、信楽ともいわれ、無疑心のことであって、疑心なく本願の名号を領受した心をいう。 これは大行である名号のはたらきが衆生にまさしく至り届いたすがたとされる。『唯信鈔文意』には
『歎異抄』第6条には
- 「如来よりたまはりたる信心を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや」(歎異抄 P.835)
等とある。なお、親鸞は歓喜や慶喜の語を真実信心の異称として用いることがある。『浄土和讃』には
- 「一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ」(註 561)
『高僧和讃』には
- 「一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ」(註 585)
➡ 204,231,252,494,495,560,567,576,586,592,605,607,608,610,626,644,647,667,670,671,672,673,679,683,701,703,707,712,713,721,722,735,748,758,760,761,778,794,797,803,859,963,964,1027,1036,1037,1086,1088,1103,1114,1116,1150,1162,1171,1172,1178,1180,1202,1222,1244
◆ 参照読み込み (transclusion) 補註11
補 註 |
---|
阿弥陀仏 |
往生・真実証・浄土 |
機・衆生 |
具縛の凡愚・屠沽の下類 |
業・宿業 |
正定聚 |
信の一念・聞 |
真実教 |
旃陀羅 |
大行・真実行 |
大信・真実信 |
他力・本願力回向 |
同朋・同行 |
女人・根欠・五障三従 |
方便・隠顕 |
菩薩 |
本願 |
→七祖 補註へ |
- 11
大信 ・真実信
大信とは、阿弥陀如来よりたまわった信心の徳をたたえた言葉である。信心とは
「信巻」の冒頭には、「至心信楽の願」と第十八願がかかげられている。その願文には、至心・信楽・
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。