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欲生

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よくしょう

 阿弥陀仏の浄土に生れようと願う心。
Ⅰ 『大経』第十八願三心の一。他力の欲生心。阿弥陀仏が衆生をまねきよぶ心であり、衆生のかならず浄土往生できると思う心である。→三心

Ⅱ 第十九(じゅうく)願、第二十願の欲生。自分の修めた諸善行(しょぜんぎょう)功徳(くどく)により往生を願う自力の欲生心。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

四十八願中、衆生の往生の為に設けられた三願の三心。それぞれ三心の中間の信楽、発願、回向によって至心と欲生の意味が変わる。

  1. 第十八願の三心 至心、信楽、欲生
  2. 第十九願の三心 至心、発願、欲生
  3. 第二十願の三心 至心、回向、欲生
六三法門

よくしょう 欲生

 阿弥陀仏の浄土に往生しようとおもう心。第十八・十九・二十願に誓われた三心の一。第十八願の欲生は他力の欲生心のことで、 決定している浄土往生をまちのぞむ心 (決定要期(けつじょ-うようご) )をいう。 第十九・二十願の欲生は自力の欲生心のことで、 決定していない浄土往生を願い求める心 (不定希求(ふ-じょうけぐ) )をいう。→三心三一問答(浄土真宗辞典)

  • 決定要期(けつじょう-ようご)(他力である仏力だからまちがいなく当来の浄土往生の果があてになること)
  • 不定希求(ふ-じょうけぐ)(自力で往生を希(ねがい)求めるから浄土往生は不定であること)

第十八願の「欲生」とは、阿弥陀如来が衆生を我国(浄土)に生まれさせたいと欲(おも)われる「度衆生心」である。またそれをうけた衆生が浄土に生まれ仏に成りたいと欲(おも)う「願作仏心」のこと。
本願成就文の欲生心成就の文

 ここをもつて本願の欲生心成就の文、『経』にのたまはく、

至心回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住すと。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」と。{以上}(信巻 P.241)
作得生想
願作仏心
度衆生心
二種回向
招喚したまふの勅命
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり

よくしょう 欲生

如来が衆生を我国(浄土)に生まれさせたいと欲(おも)われること。また衆生が浄土に生まれたいと欲(おも)うこと。

❶ 他力の欲生。第十八願に至心・信楽・欲生の三心を誓う。「我が国に生れんと欲(おも)ふて」 〔大経一信三往〕の釈「欲生と言ふは則ち是れ如来諸有群生招喚したまふの勅命なり、即ち真実の信楽を以て体と為る也」〔〕、「欲生我国といふは他力の至心信楽のこころをもて安楽浄土 にむまれむとおもへと也」 〔銘文〕 →三心
❷ 自力の欲生、第十九願に「心を至し発願して我が国に生れむと欲はむ」、第二十願に「心を至し廻向して我が国に生 れむと欲はむ」とある。前者は「至心発願のちかひにいりて万善諸行の自善を廻向して浄土を忻慕せしむるなり」、後者は 「植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり, 善本徳本の名号をえらびて、 善諸行の少善をさしおく」〔三往〕の立場であり, 共に自力の欲生心である。(真宗新辞典)