三一問答
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さんいち-もんどう
「信巻」(註 229)にある一段。第十八願文の至心・信楽・欲生の三心と、天親が『浄土論』に示す一心の関係を明らかにし、三心が信楽一心に摂(おさ)まるという三心即一心の道理を二つの問答によって明らかにする。
第一問答では、本願文には三心が誓われているのに、なぜ天親は一心と述べたのかと問い、文字があらわす意味から答える (字訓釈)。そこでは、至・心・信・楽・欲・生の各字の意を挙げ、三心それぞれを 「疑蓋雑はることなきなり」と示し、続いて
と述べて、三心が信楽一心に摂まることが明らかにされる。
第二問答では、愚悪の衆生のために誓われた本願に、なぜ一心ではなく三心が誓われたのかと問い、法の道理から三心それぞれの内容を示して答える (法義釈)。ここでは、本来衆生には三心を起こすことができず (
信楽釈では
- 「すなはち利他回向の至心をもつて信楽の体とするなり」」(註 235)、
欲生釈では
- 「すなはち真実の信楽をもつて欲生の体とするなり」」(註 241)
と示される (三重出体)[1]。すなわち、至心は信楽の体徳であり、信楽はその心相であり、欲生は往生は間違いないと安堵するおもいのことで、信楽にそなわる義を別開したものとされる。このように第二問答においても、三心は疑蓋無雑の信楽一心に摂まることが明らかにされている。「信巻」には
- 「まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その言異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋雑はることなし、ゆゑに真実の一心なり」(註 245)
とある。
その後、菩提心釈(註 246)、信一念釈(註 250)が設けられて信楽一心の徳義が種々に述べられ、最後には
- 「三心すなはち一心なり、一心すなはち金剛真心の義、答へをはんぬ」(註 253)
- →信の一念
- →菩提心
- →現生十種の益
- →機無・円成・回施・成一
- ↑ 三重出体(さんじゅう-しゅったい)。前のものが次のものを起こしていくので重といふ。