「愚禿鈔 (上)」の版間の差分
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2018年9月10日 (月) 17:14時点における最新版
上下2巻に分れているところから、『二巻鈔』とも称される。上巻は、仏教全体のなかでの浄土真実の教えの意義を、親鸞聖人独自の教相判釈によって示し、下巻は、とくに善導大師の『観経疏』の「三心釈」について、その内容が整理されている。
本書の成立は、古写本の奥書によって、いちおう聖人晩年の撰述と考えられるが、その内容から、法然上人のもとでの研鑽期における覚書を後に整理されたものとする説もあり、確定しがたい。聖人自身の解釈や説明は少なく、ほとんど項目だけが列挙されているようにみえるが、構想そのものには、聖人の独自の発揮がある。
上巻の教判は「二双四重」と呼ばれ、仏教を大乗・小乗、頓教・漸教、難行・易行、聖道・浄土、権教・実教等と分類した従来の説をうけながら、あらたに竪超・横超、竪出・横出という二双四重の対立概念で仏教を区分し、本願他力の教えこそ、「横超の一乗真実の教」である旨を示される。また、上巻の前半では教法が、後半ではその教法を受ける機が分類されている。
下巻では、善導大師の「三心釈」を引いて、三心の真仮と、行業の真仮分別等が詳細に示されている。また「二河の譬喩」をめぐって、詳細な解釈が施されている。
愚禿鈔 (上)
愚禿鈔 上
【1】
賢者の信を聞きて、 愚禿が心を顕す。
賢者の信は、 内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、 内は愚にして外は賢なり。
【2】
聖道・浄土の教について、二教あり。
- 一には大乗の教、 二には小乗の教なり。
【3】
大乗教について、二教あり。
【4】
頓教について、また二教・二超あり。
【5】
漸教について、また二教・二出あり。
- 二教とは、
- 二出とは、
- 一には竪出 聖道、歴劫修行の証なり。
- 二には横出 浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
【6】
小乗教について、二教あり。
【7】
ただ阿弥陀如来の選択本願を除きて以外の、大小・権実・顕密の諸教は、みなこれ難行道、聖道門なり。また易行道、浄土門の教は、これを浄土回向発願自力方便の仮門といふなりと、知るべし。
【8】
『大経』に、選択に三種あり。
【9】
『観経』に、選択に二種あり。
- 1釈迦如来
- 選択功徳 選択摂取
- 選択讃嘆 選択護念
- 選択阿難付属
- 2韋提夫人
- 選択浄土 選択浄土の機
【10】
『小経』に、勧信に二、証成に二、護念に二、讃嘆に二、難易に二あり。
- 勧信に二とは、
- 証成に二とは、
- 一には功徳証成、 二には往生証成なり。
- 護念に二とは、
- 一には執持護念、 釈迦の護念なり。
- 二には発願護念、 諸仏の護念なり。
- 讃嘆に二とは、
- 一には釈迦讃嘆に二あり。 二には諸仏讃嘆に二あり。
- 難易に二とは、
- 一には難は疑情なり。 二には易は信心なり。
- 執持に三あり。已今当なり。 発願に三あり。已今当なり。
【11】
『法事讃』に三往生あり。*
- 一には、難思議往生は、[『大経』の宗なり。]
- 二には、双樹林下往生は、[『観経』の宗なり。]
- 三には、難思往生は、[『弥陀経』の宗なり。]
【12】
『大経』(意)にのたまはく、「本願を証成したまふに、三身まします」
と。
- 法身の証成 [『経』(大経・上)にのたまはく、
- 「空中にして讃じてのたまはく、〈決定してかならず無上正覚を成じたまふべし〉」と。文]
- 報身の証成 [十方如来なり。]
- 化身の証成 [世饒王仏なり。]
【13】
仏土について二種あり。
- 一には仏、 二には土なり。
【14】
仏について四種あり。
- 一には法身、 二には報身、
- 三には応身、 四には化身なり。
【15】
法身について二種あり。
- 一には法性法身、 二には方便法身なり。
【16】
報身について三種あり。
- 一には弥陀、 二には釈迦、
- 三には十方なり。
【17】
応・化について三種あり。
- 一には弥陀、 二には釈迦、
- 三には十方なり。
【18】
土について四種あり。
- 一には法身の土、 二には報身の土、
- 三には応身の土、 四には化身の土なり。
【19】
報土について三種あり。
- 一には弥陀、 二には釈迦、
- 三には十方なり。
【20】
弥陀の化土について二種あり。
- 一には疑城胎宮、 二には懈慢辺地なり。
【21】
本願一乗は、頓極・頓速・円融・円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なりと、知るべし。専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真のなかの真なり、円のなかの円なり。一乗一実は大誓願海なり。第一希有の行なり。
【22】
金剛の真心は、無礙の信海なりと、知るべし。
【23】
『疏』(玄義分 二九八)にいはく、「われ菩薩蔵頓教と一乗海とによる」と。
【24】
『讃』(般舟讃 七一八)にいはく、「『瓔珞経』のなかには漸教を説く。万劫、功を修して不退を証す。『観経』・『弥陀経』等の説は、すなはちこれ頓教菩提蔵となり」と。{文 }
【25】
円頓とは、[円は円融・円満に名づく。頓は頓極・頓速に名づく。]
【26】
二教対
【27】
真実浄信心は、[内因なり。] 摂取不捨は、[外縁なり。]
【28】
本願を信受するは、前念命終なり。[「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文]
即得往生は、後念即生なり。[「即の時必定に入る」(易行品 一六)と。文
- また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。文]
【29】
他力金剛心なりと、知るべし。
すなはち弥勒菩薩に同じ。自力金剛心なりと、知るべし。『大経』(下)には「次如弥勒」とのたまへり。文
【30】
二機対
【31】
また二種の機について、また二種の性あり。
- 二機とは、
- 一には善機、 二には悪機なり。
- 二性とは、
- 一には善性、 二には悪性なり。
【32】
また善機について二種あり。また傍正あり。
【33】
また傍正ありとは、
- 一には菩薩、[大小]] 二には縁覚、
- 三には声聞・辟支等、[浄土の傍機なり。]
- 四には天、 五には人等なり。[浄土の正機なり。]
【34】
また善性について五種あり。
- 一には善性、 二には正性、
- 三には実性、 四には是性、
- 五には真性なり。
【35】
また悪機について七種あり。
【36】
また悪性について五種あり。
- 一には悪性、 二には邪性、
- 三には虚性、 四には非性、
- 五には偽性なり。
【37】
光明寺の和尚(善導)のいはく(玄義分 二九七)、「道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども、生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。ともに金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。弥陀界に観入して、帰依し合掌し礼したてまつれ。相応一念の後、果、涅槃を得んひ
と」といへり。{文 }
【38】
『浄土論』(二九)にいはく、
「世尊、われ一心に、尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈総持を説きて、仏教と相応せり」と。{文 }
【39】
『仏説無量寿経』(下)にのたまはく、[康僧鎧三蔵訳]
「〈わが滅度の後をもつて、また疑惑を生ずることを得ることなかれ。当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲哀愍をもつて、特に此の経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありて、この経に値ふもの、意の所願に随ひてみな得度すべし〉と。仏、弥勒に語りたまはく、〈如来の興世、値ひがたく見たてまつりがたし。諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くを得ることまた難し。善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽し受持すること、難のなかの難、この難に過ぎたるはなけん。このゆゑにわが法かくのごとくなしき、かくのごとく説き、かくのごとく教ふ。まさに信順して法のごとく修行すべし〉」と。{文 }
【40】
『無量寿如来会』(下)にのたまはく、[菩提流志三蔵訳]
「如来の勝智、遍虚空の所説の義言は、ただ仏のみの悟なり。このゆゑに博く諸智土を聞きて、わが教、如実の言を信ずべし」と。{文 }
【41】
『無量清浄平等覚経』(二)にのたまはく、[帛延三蔵訳]
「速疾に超えてすなはち、安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無 数の仏に供養したてまつれ」と。{文 }
【42】
『諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(下)にのたまはく、[支謙三蔵訳]
「われ般泥洹して去きて後、経道留止せんこと千歳せん。千歳の後、経道断絶せん。われみな慈哀して、ことにこの経法を留めて止住せんこと百歳せん。百歳のうちに竟らん。いまし休止し断絶せん。心の所願にありてみな道を得べし」と。{略出}
【43】
元照律師『阿弥陀経の義疏』にいはく、[大智律師なり]
「〈勢至章〉にいはく、〈十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし〉と。『大論』(大智度論)にいはく、〈たとへば魚母のもし子を念はざれば、子すなはち壊爛する等のごとし〉と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち仏果の号なり。
薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に超ゆ。
諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。わが十方諸仏を信ぜざるがごとしと、あに虚妄なるをや」と。{略出}
建長七年乙卯八月二十七日これを書く。
[愚禿親鸞八十三歳]