「浄土文類聚鈔」の版間の差分
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− | + | 『教行信証』(広文類)が、仏典だけでなく、他の典籍までも引用して、広い視野のもとに浄土の教相を明らかにしようとしているのに対して、本書は、浄土三部経と龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・善導大師の四師の論釈を引くのみで簡略化されているところから『略文類』『略典』ともいわれる。内容は、教・行・証の'''[[三法]]'''を中心にその基本的な意味を明らかにし、また往相・還相についても要点を説く。さらに三心一心を論じて、『大経』『観経』『小経』の三経が一致して浄土往生の真因は本願力回向の信心であることを述べて、簡潔に『教行信証』の肝要が記されている。<br /> | |
製作年代は明らかでなく、とくに『教行信証』との前後関係について、広前略後、略前広後の両説があって、容易に決しがたいが、おそらく『教行信証』の推敲添削が重ねられるなかで、その大綱を別な観点から構成して作られたのではないかと考えられる。<br /> | 製作年代は明らかでなく、とくに『教行信証』との前後関係について、広前略後、略前広後の両説があって、容易に決しがたいが、おそらく『教行信証』の推敲添削が重ねられるなかで、その大綱を別な観点から構成して作られたのではないかと考えられる。<br /> | ||
− | + | 「真仏土巻」「化身土巻」に対応する内容を省いているのは、『教行信証』を前提としているからであろう。とくに大行を釈するなかに、大行・浄信を併記して行から信を開き、また『大経』の第十七願・第十八願成就文を一連に引き、あるいは行一念の釈に続いて、成就文の信一念を釈するなどは、'''[[行信不離]]'''を明らかにするものであろう。いわゆる行信論の核心が、ここに示されていると見ることもできる。 | |
『教行信証』が、親鸞聖人の教えを顕す根本聖典であることは言うまでもないが、本書は『教行信証』の構成や内容の重点を知り、その理解を助けるものとして極めて大きな意義を持つ著作である。 | 『教行信証』が、親鸞聖人の教えを顕す根本聖典であることは言うまでもないが、本書は『教行信証』の構成や内容の重点を知り、その理解を助けるものとして極めて大きな意義を持つ著作である。 | ||
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浄土文類聚鈔 | 浄土文類聚鈔 | ||
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− | 【3】 行といふは、すなはち[[利他]]円満の大行なり。すなはちこれ、諸仏[[咨嗟]] | + | 【3】 行といふは、すなはち[[利他]]円満の大行なり。すなはちこれ、諸仏[[咨嗟]]の願([[第十七願]])より出でたり。また諸仏称名の願と名づけ、また往相正業の願と名づくべし。しかるに[[本願力の回向]]に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また[[浄信]]あり。大行といふは、すなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はあまねく一切の行を摂し、[[極速円満]]す。ゆゑに大行と名づく。このゆゑに称名はよく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の[[一切の志願]]を[[満てたまふ]]。称名はすなはち憶念なり、憶念はすなはち念仏なり、念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。 |
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「大慶喜心を得」といふは、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ至心に安楽国に生ぜんと願ずることあれば、智慧あきらかに達し、功徳殊勝を得べし」と。{取要}<span id="P--481"></span> | 「大慶喜心を得」といふは、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ至心に安楽国に生ぜんと願ずることあれば、智慧あきらかに達し、功徳殊勝を得べし」と。{取要}<span id="P--481"></span> | ||
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またのたまはく(同・上)、「[[ただ余方に…|ただ余方に]]因順するがゆゑに、人・天の名あり。顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。み<span id="P--482"></span>な[[自然虚無の身無極の体|自然虚無の身、無極の体]]を受けたり」と。 | またのたまはく(同・上)、「[[ただ余方に…|ただ余方に]]因順するがゆゑに、人・天の名あり。顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。み<span id="P--482"></span>な[[自然虚無の身無極の体|自然虚無の身、無極の体]]を受けたり」と。 | ||
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【36】 また問ふ。以前二経(大経・観経)の三心と、『小経』の執持と、一異いかん。 | 【36】 また問ふ。以前二経(大経・観経)の三心と、『小経』の執持と、一異いかん。 | ||
− | + | 答ふ。『経』(小経)にのたまはく、「名号を執持す」と。「執」といふは心堅牢にして移らず、「持」といふは不散不失に名づく。ゆゑに「不乱」といへり。執持はすなはち一心なり、一心はすなはち信心なり。しかればすなはち、「執持名号」の真説、「一心不乱」の誠言、かならずこれに帰すべし。ことに<span id="P--496"></span>これを仰ぐべし。 | |
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− | 【37】 [[論家宗師|論家・宗師]] | + | 【37】 [[論家宗師|論家・宗師]]、浄土真宗を開きて、濁世、邪偽を導かんとなり。三経の大綱、隠顕ありといへども、一心を能入とす。ゆゑに『経』の始めに、「[[如是]]」と称す。論主(天親)建めに「一心」([[浄土論_(七祖)#P--29|『浄土論』二九]])とのたまへり。すなはちこれ「如是」の義を彰すなり。 |
− | いま宗師(善導)の解( | + | いま宗師(善導)の解([[観経疏 定善義 (七祖)#P--448|定善義 四四八]])を披きたるにいはく、「如意といふは二種あり。一つには衆生の意のごとし。かの心念に随ひてみな応じてこれを[[度す]]。二つには弥陀の意のごとし、五眼円かに照らし、[[六通]]自在にして、機の度すべきものを観そなはして、一念のうちに前なく後なく、身心等しく赴く。三輪をもつて開悟せしめて、おのおの益すること不同なり」と。 |
− | またいはく([[般舟讃_(七祖)#P-- | + | またいはく([[般舟讃_(七祖)#P--715|般舟讃 七一五]])、「敬つて、[[一切往生の知識等]]にまうさく、〈大きにすべからく慚愧すべし、釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり。種々の方便をもつて、われらが無上の信心を発起せしめたまふ〉」と。{以上} |
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2019年10月7日 (月) 22:26時点における最新版
『教行信証』(広文類)が、仏典だけでなく、他の典籍までも引用して、広い視野のもとに浄土の教相を明らかにしようとしているのに対して、本書は、浄土三部経と龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・善導大師の四師の論釈を引くのみで簡略化されているところから『略文類』『略典』ともいわれる。内容は、教・行・証の三法を中心にその基本的な意味を明らかにし、また往相・還相についても要点を説く。さらに三心一心を論じて、『大経』『観経』『小経』の三経が一致して浄土往生の真因は本願力回向の信心であることを述べて、簡潔に『教行信証』の肝要が記されている。
製作年代は明らかでなく、とくに『教行信証』との前後関係について、広前略後、略前広後の両説があって、容易に決しがたいが、おそらく『教行信証』の推敲添削が重ねられるなかで、その大綱を別な観点から構成して作られたのではないかと考えられる。
「真仏土巻」「化身土巻」に対応する内容を省いているのは、『教行信証』を前提としているからであろう。とくに大行を釈するなかに、大行・浄信を併記して行から信を開き、また『大経』の第十七願・第十八願成就文を一連に引き、あるいは行一念の釈に続いて、成就文の信一念を釈するなどは、行信不離を明らかにするものであろう。いわゆる行信論の核心が、ここに示されていると見ることもできる。
『教行信証』が、親鸞聖人の教えを顕す根本聖典であることは言うまでもないが、本書は『教行信証』の構成や内容の重点を知り、その理解を助けるものとして極めて大きな意義を持つ著作である。
浄土文類聚鈔
浄土文類聚鈔
【1】 それ無碍難思の光耀は、苦を滅し楽を証す。万行円備の嘉号は、障を消し疑を除く。末代の教行、もつぱらこれを修すべし。濁世の目足、かならずこれを勤むべし。しかれば最勝の弘誓を受行して、穢を捨て浄を欣へ。如来の教勅を奉持して、恩を報じ徳を謝せよ。ここに片州の愚禿(親鸞)、印度・西蕃の論説に帰し、華漢(中国)・日域(日本)の師釈を仰いで、真宗の教行証を敬信す。ことに知んぬ、仏恩窮尽しがたければ、あきらかに浄土文類聚を用ゐるなり。
【2】 しかるに教といふは、すなはち『大無量寿経』なり。この経の大意は、弥陀、誓を超発し広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して道教を光闡し、群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。まことにこれ、如来興世の真説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、十方称讃の正教なり。如来の本願を説くを経の宗致とす。すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。
【3】 行といふは、すなはち利他円満の大行なり。すなはちこれ、諸仏咨嗟の願(第十七願)より出でたり。また諸仏称名の願と名づけ、また往相正業の願と名づくべし。しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また浄信あり。大行といふは、すなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はあまねく一切の行を摂し、極速円満す。ゆゑに大行と名づく。このゆゑに称名はよく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはち憶念なり、憶念はすなはち念仏なり、念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。
【4】 願(第十七・十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳、不可思議にましますことを讃嘆したまふ。諸有の衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住す」と。またのたまはく(同・下)、「仏、弥勒に語りたまはく、〈それかの仏の名号を聞くことを得ることありて、歓喜踊躍し乃至一念せん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足す〉」と。{以上}
龍樹菩薩、(『十住毘婆沙論』(易行品 六)にいはく、「もし人、疾く不退転地を得んと欲はば、恭敬の心をもつて、執持して名号を称すべし。もし人、善根を種ゑて疑へばすなはち華開けず。信心清浄なるものは、華開けてすなはち仏を見たてまつる」と。
天親菩薩、(『浄土論』二九)にいはく、「世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈総持を説きて仏教と相応せり。仏の本願力を観そなはすに遇うて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳大宝海を満足せしむ」と。{以上}
【5】 聖言・論説ことに用ゐて知んぬ。凡夫回向の行にあらず、これ大悲回向の行なるがゆゑに不回向と名づく。まことにこれ選択摂取の本願、無上超世の弘誓、一乗真妙の正法、万善円修の勝行なり。
【6】 『経』(大経)に「乃至」といふは、上下を兼ねて中を略するの言なり。「一念」といふは、すなはちこれ専念なり。専念はすなはちこれ一声なり。一声はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ憶念なり。憶念はすなはちこれ正念なり。正念はすなはちこれ正業なり。また「乃至一念」といふは、これさらに観想・功徳・遍数等の一念をいふにはあらず。往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり、知るべし。
【7】 浄信といふは、すなはち利他深広の信心なり。すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。また至心信楽の願と名づけ、また往相信心の願と名づくべし。しかるに薄地の凡夫、底下の群生、浄信獲がたく極果証しがたし。なにをもつてのゆゑに、往相の回向によらざるがゆゑに、疑網に纏縛せらるるによるがゆゑに。いまし如来の加威力によるがゆゑに、博く大悲広慧の力によるがゆゑに、清浄真実の信心を獲るなり。この心顛倒せず、この心虚偽ならず。まことに知んぬ、無上妙果の成じがたきにはあらず、真実の浄信まことに得ること難し。真実の浄信を獲れば大慶喜心を得るなり。
「大慶喜心を得」といふは、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ至心に安楽国に生ぜんと願ずることあれば、智慧あきらかに達し、功徳殊勝を得べし」と。{取要}
また『経』(如来会・下意)にのたまはく、「この人はすなはちこれ大威徳のひとなり」と。また「広大勝解のひとなり」と説けり。{以上}
【8】 まことにこれ、除疑獲徳の神方、極速円融の真詮、長生不死の妙術、威徳広大の浄信なり。
【9】 しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。
【10】 証といふは、すなはち利他円満の妙果なり。すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づけ、また往相証果の願と名づくべし。すなはちこれ清浄真実・至極畢竟無生なり。
【11】 無上涅槃の願(第十一願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ衆生ありてかの国に生ずるものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかん、かの仏国中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり」と。
またのたまはく(同・上)、「ただ余方に因順するがゆゑに、人・天の名あり。顔貌端正にして超世希有なり。容色微妙にして、天にあらず人にあらず。みな自然虚無の身、無極の体を受けたり」と。
またのたまはく(大経・下)、「かならず超絶して去つることを得て、安養国に往生せよ。横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉づ。道に昇るに窮極なし、往き易くして人なし。その国逆違せず、自然の牽くところなり」と。{以上}
【12】 聖言、あきらかに知んぬ。煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相の心行を獲ればすなはち大乗正定の聚に住す。正定聚に住すればかならず滅度に至る。かならず滅度に至るは、すなはちこれ常楽なり。常楽すなはちこれ大涅槃なり。大涅槃はすなはちこれ利他教化地の果なり。この身はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はすなはちこれ畢竟平等身なり。畢竟平等身はすなはちこれ寂滅なり。寂滅はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。
【13】 しかれば、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因、浄なるがゆゑに、果また浄なり、知るべし。
【14】 二つに還相回向といふは、すなはち利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づけ、また還相回向の願と名づくべし。
【15】 願(第二十二願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「かの国の菩薩、みなまさに一生補処を究竟すべし。その本願、衆生のためのゆゑに、弘誓の功徳をもつてみづから荘厳し、あまねく一切衆生を度脱せんと欲せんをば除く」と。{以上}
【16】 聖言、あきらかに知んぬ。大慈大悲の弘誓、広大難思の利益、いまし煩悩の稠林に入りて諸有を開導し、すなはち普賢の徳に遵ひて群生を悲引す。
【17】 しかれば、もしは往、もしは還、一事として如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし、知るべし。
【18】 ここをもつて、浄土の縁、熟して、調達(提婆達多)、闍王(阿闍世王)をして逆害を興ぜしめ、濁世の機を憫れんで、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまへり。つらつらかれを思ひ、静かにこれを念ずるに、達多・闍世、博く仁慈を施し、弥陀・釈迦、深く素懐を顕せり。これによりて、論主(天親)は広大無碍の浄信を宣布し、あまねく雑染堪忍の群生を開化す。宗師(曇鸞)は往還大悲の回向を顕示して、ねんごろに他利・利他の深義を弘宣せり。聖権の化益、あまねく一切凡愚を利せんがため、広大の心行、ただ逆悪闡提を引せんと欲してなり。
いま庶はくは道俗等、大悲の願船には清浄の信心を順風とし、無明の闇夜には、功徳の宝珠を大炬とす。心昏く識寡なきもの、敬ひてこの道を勉めよ。
悪重く障多きもの、深くこの信を崇めよ。ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま信心を獲ば、遠く宿縁を慶べ、もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてかならず曠劫多生を経歴せん。摂取不捨の真理、超捷易往の教勅、聞思して遅慮することなかれ。慶ばしきかな、愚禿、仰いで惟んみれば、心を弘誓の仏地に樹て、情を難思の法海に流す。聞くところを嘆じ、獲るところを慶びて、真言を採集し、師釈を鈔出して、もつぱら無上尊を念じて、ことに広大の恩を報ず。
【19】 これによりて曇鸞菩薩の『註論』(論註・上 五一)を披閲するにのたまはく、「それ菩薩は仏に帰す、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならずゆゑあるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし」と。{取要}
仏恩の深重なることを信知して、「念仏正信偈」を作りていはく、
【20】
- 西方不可思議尊、法蔵菩薩因位のうちに
- 殊勝の本弘誓を超発して、無上大悲の願を建立したまふ。
- 思惟摂取するに五劫を経たり。菩提の妙果、上願に酬ひたり。
- 本誓を満足するに十劫を歴たり。寿命延長にして、よく量ることなし。
- 慈悲深遠にして虚空のごとし、智慧円満して巨海のごとし。
- 清浄微妙無辺の刹、広大荘厳等具足せり。
- 種々の功徳ことごとく成満す。十方諸仏の国に超逾せり。
- あまねく難思・無碍光を放ちて、よく無明大夜の闇を破したまふ。
- 智光明朗にして慧眼を開く。名声、十方に聞えずといふことなし。
- 如来の功徳はただ仏のみ知りたまへり。仏、法蔵を集めて凡愚に施す。
- 弥陀仏の日、あまねく照耀す。すでによく無明の闇を破すといへども、
- 貪愛・瞋嫌の雲霧、つねに清浄信心の天に覆へり。
- たとへばなほ日月・星宿の、煙霞・雲霧等に覆はるといへども、
- その雲霧の下明らかにして闇なきがごとし。信知するに日月の光益に超えたり。
- かならず無上浄信の暁に至れば、三有生死の雲晴る、
- 清浄無碍の光耀朗らかにして、一如法界の真身顕る。
- 信を発して称名すれば光、摂護したまふ、また現生無量の徳を獲。
- 無辺・難思の光不断にして、さらに時処諸縁を隔つることなし。
- 諸仏の護念まことに疑なし、十方同じく称讃し悦可す。
- 惑染・逆悪斉しくみな生じ、謗法・闡提回すればみな往く。
- 当来の世、経道滅せんに、特にこの経を留めて住すること百歳せん。
- いかんぞこの大願を疑惑せん、ただ釈迦如実の言を信ぜよ。
- 印度西天の論家、中夏(中国)・日域(日本)の高僧、
- 大聖世雄(釈尊)の正意を開き、如来の本誓機に応ずることを明かす。
- 釈迦如来楞伽山にして、衆のために告命したまふ。南天竺(南印度)に、
- 龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん。
- 大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
- 『十住毘婆沙論』を造りて、難行の険路、ことに悲憐せん、
- 易往の大道広く開示す。恭敬の心をもつて執持して、
- 名号を称し疾く不退を得べし。信心清浄なればすなはち仏を見たてまつると。
- 天親菩薩『論』(浄土論)を作りて説かく、修多羅によりて真実を顕す。
- 横超の本弘誓を光闡し、不可思議の願を演暢したまへり。
- 本願力の回向によるがゆゑに、具縛を度せんがために一心を彰す。
- 功徳の大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲。
- 蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち寂滅平等身を証せしむ。
- 煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すと。
- 曇鸞大師をば、梁の蕭王、つねに鸞(曇鸞)の方に向かひて菩薩と礼す。
- 三蔵流支浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰す。
- 天親菩薩の『論』(浄土論)を註解して、如来の本願、称名に顕す。
- 往還の回向は本誓による。煩悩成就の凡夫人、
- 信心開発すればすなはち忍を獲、生死すなはち涅槃なりと証知す。
- かならず無量光明土に到りて、諸有の衆生みなあまねく化すと。
- 道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土に通入すべきことを明かせり。
- 万善は自力なれば勤修を貶す、円満の徳号、専称を勧むと。
- 三不三信の誨慇懃にして、像末法滅…同じく悲引す。
- 一生悪を造れども、弘誓に遇へば、安養界に至りて妙果を証すと。
- 善導独り仏の正意にあきらかにして、深く本願によりて真宗を興したまふ。
- 定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号、因縁を示す。
- 涅槃の門に入りて、真心に値へば、かならず信・喜・悟の忍を獲。
- 難思議往生を得る人、すなはち法性の常楽を証すと。
- 源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む。
- 諸経論によりて教行を撰びたまふ。まことにこれ濁世の目足たり。
- 得失を専雑に決判して、念仏の真実門に回入せしむ。
- ただ浅深を執心に定めて、報化二土まさしく弁立せりと。
- 源空もろもろの聖典を暁了して、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
- 真宗の教証、片州に興ず。選択本願、濁世に施す。
- 生死流転の家に還来すること、決するに疑情をもつて所止とす。
- すみやかに寂静無為の楽に入ること、かならず信心をもつて能入とすと。
- 論説師釈ともに同心に、無辺の極濁悪を拯済す。
- 道俗時衆みなことごとくともに、ただこの高僧の説を信ずべし。
六十行一百二十句の偈頌、すでに畢りぬ。
【21】 問ふ。念仏往生の願(第十八願)、すでに三心を発したまへり。論主(天親)、なにをもつてのゆゑに一心といふや。
答ふ。愚鈍の衆生をして、覚知易からしめんがためのゆゑに、論主、三を合して一としたまふか。三心といふは、一つには至心、二つには信楽、三つには欲生なり。
【22】 わたくしに字訓をもつて『論』(浄土論)の意を闚ふに、三を合して一とすべし。その意いかんとならば、一つには至心。至といふは真なり、誠なり。
心といふは種なり、実なり。二つには信楽。信といふは真なり、実なり、誠なり、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、験なり。楽といふは欲なり、願なり、慶なり、喜なり、楽なり。三つには欲生。欲といふは、願なり、楽なり、覚なり、知なり。生といふは、成なり、興なり。しかれば、至心はすなはちこれ誠種真実の心なるがゆゑに、疑心あることなし。信楽はすなはちこれ真実誠満の心なり、極成用重の心なり、欲願審験の心なり、慶喜楽の心なり。ゆゑに疑心あることなし。欲生はすなはちこれ願楽の心なり、覚知成興の心なり。ゆゑに三心みなともに真実にして疑心なし。疑心なきがゆゑに三心すなはち一心なり。字訓かくのごとし、これを思択すべし。
【23】 また三心といふは、一つには至心。この心は、すなはちこれ如来、至徳・円修・満足・真実の心なり。阿弥陀如来、真実の功徳をもつて一切に回施したまへり。すなはち名号をもつて至心の体とす。しかるに、十方衆生、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮雑毒にして真実の心なし。ここをもつて、如来因中に菩薩の行を行じたまひしとき、三業の所修、乃至一念一刹那も清浄真実の心にあらざることあることなし。如来清浄の真心をもつて、諸有の衆生に回向したまへり。
【24】 『経』(大経・上)にのたまはく、「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。欲想・瞋想・害想を起さず。色・声・香・味の法に着せず。忍力成就して衆苦を計らず。少欲知足にして染・恚・痴なし。三昧常寂にして、智慧無碍なり。虚偽諂曲の心あることなし。和顔愛語にして意を先にして承問す。勇猛精進にして、志願倦むことなし。もつぱら清白の法を求めてもつて群生を恵利す。三宝を恭敬し、師長に奉事す。大荘厳をもつて衆行を具足し、もろもろの衆生をして功徳成就せしめたまふ」と。{抄出}
【25】 聖言、あきらかに知んぬ。いまこの心は、これ如来の清浄広大の至心なり、これを真実心と名づく。至心はすなはちこれ大悲心なるがゆゑに、疑心あることなし。
【26】 二つには信楽、すなはちこれ、真実心をもつて信楽の体とす。しかるに具縛の群萌、穢濁の凡愚、清浄の信心なし、真実の信心なし。このゆゑに真実の功徳値ひがたく、清浄の信楽獲得しがたし。これによりて釈(散善義)の意を闚ふに、愛心つねに起りてよく善心を汚し、瞋嫌の心よく法財を焼く。身心を苦励して、日夜十二時、急に走め急に作して、頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒の善と名づく、また虚仮の行と名づく、真実の業と名づけざるなり。この雑毒の善をもつてかの浄土に回向する、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに、まさしくかの如来、菩薩の行を行じたまひしとき、乃至一念一刹那も、三業の所修、みなこれ真実心中に作したまひしによるがゆゑに、疑蓋雑はることなし。如来、清浄真実の信楽をもつて、諸有の衆生に回向したまへり。
【27】 本願(第十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「諸有の衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せん」と。{抄出}
【28】 聖言、あきらかに知んぬ。いまこの心は、すなはちこれ、本願円満清浄真実の信楽なり、これを信心と名づく。信心はすなはちこれ大悲心なるがゆゑに、疑蓋あることなし。
【29】 三つには欲生、すなはち清浄真実の信心をもつて欲生の体とす。しかるに、流転輪廻の凡夫、曠劫多生の群生、清浄の回向の心なし、また真実の回向の心なし。ここをもつて如来因中に菩薩の行を行じたまひしとき、三業の所修、乃至一念一刹那も、回向を首として、大悲心を成就することを得たまふにあらざることあることなし。ゆゑに如来、清浄真実の欲生心をもつて、あらゆる衆生に回向したまへり。
【30】 本願(第十八願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「至心に回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得て、不退転に住せん」と。{取要}
【31】 聖言、あきらかに知んぬ。いまこの心はこれ如来の大悲、諸有の衆生を招喚したまふの教勅なり。すなはち大悲の欲生心をもつて、これを回向と名づく。
【32】 三心みなこれ大悲回向心なるがゆゑに、清浄真実にして疑蓋雑はることなし。ゆゑに一心なり。
【33】 これによりて師釈を披きたるにいはく、「西の岸の上に人ありて喚ばひてのたまはく、〈なんぢ、一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉」(散善義 四六七)と。また〈中間の白道〉といふは、すなはち、貪瞋煩悩のなかによく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩ふ。仰いで釈迦の発遣を蒙り、また弥陀の招喚したまふによりて、水火二河を顧みず、かの願力の道に乗ず」(散善義 四六八)と。{略出}
【34】 ここに知んぬ、「能生清浄願心」は、これ凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なるがゆゑに清浄願心とのたまへり。しかれば、「一心正念」といふは、正念はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ念仏なり。一心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ堅固深信なり。堅固深信はすなはちこれ真心なり。真心はすなはちこれ金剛心なり。金剛心はすなはちこれ無上心なり。無上心はすなはちこれ淳一相続心なり。淳一相続心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心を獲れば、この心三不に違す、この心三信に順ず。この心はすなはちこれ大菩提心なり。大菩提心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。
度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して、安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心はすなはちこれ畢竟平等心なり。この心はすなはちこれ大悲心なり。この心作仏す。この心これ仏なり。これを「如実修行相応」(浄土論 三三)と名づくるなり、知るべし。三心すなはち一心の義答へをはりぬ。
【35】 また問ふ。『大経』(第十八願)の三心と『観経』の三心と、一異いかん。 答ふ。両経の三心すなはちこれ一なり。なにをもつてか知ることを得るとならば、宗師(善導)の釈にいはく、至誠心のなかにいはく、「至といふは真なり、誠といふは実なり」(散善義 四五五)と。人につき、行について信を立つるなかにいはく、「一心に弥陀の名号を専念する、これを正定の業と名づく」(同・意 四六三)と。
またいはく、「深心すなはちこれ真実信心なり」((礼讃 六五四) と。回向発願心のなかにいはく、「この心深信せることなほ金剛のごとし」(散善義 四六五)と。あきらかに知んぬ、一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。一心のなかに至誠・回向の二心を摂在せり。さきの問のなかに答へをはりぬ。
【36】 また問ふ。以前二経(大経・観経)の三心と、『小経』の執持と、一異いかん。
答ふ。『経』(小経)にのたまはく、「名号を執持す」と。「執」といふは心堅牢にして移らず、「持」といふは不散不失に名づく。ゆゑに「不乱」といへり。執持はすなはち一心なり、一心はすなはち信心なり。しかればすなはち、「執持名号」の真説、「一心不乱」の誠言、かならずこれに帰すべし。ことにこれを仰ぐべし。
【37】 論家・宗師、浄土真宗を開きて、濁世、邪偽を導かんとなり。三経の大綱、隠顕ありといへども、一心を能入とす。ゆゑに『経』の始めに、「如是」と称す。論主(天親)建めに「一心」(『浄土論』二九)とのたまへり。すなはちこれ「如是」の義を彰すなり。
いま宗師(善導)の解(定善義 四四八)を披きたるにいはく、「如意といふは二種あり。一つには衆生の意のごとし。かの心念に随ひてみな応じてこれを度す。二つには弥陀の意のごとし、五眼円かに照らし、六通自在にして、機の度すべきものを観そなはして、一念のうちに前なく後なく、身心等しく赴く。三輪をもつて開悟せしめて、おのおの益すること不同なり」と。
またいはく(般舟讃 七一五)、「敬つて、一切往生の知識等にまうさく、〈大きにすべからく慚愧すべし、釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり。種々の方便をもつて、われらが無上の信心を発起せしめたまふ〉」と。{以上}
【38】 あきらかに知んぬ、二尊の大悲によりて、一心の仏因を獲たり。まさに知るべし、この人は希有人なり、最勝人なりと。しかるに流転の愚夫、輪廻の群生、信心起ることなし。真心起ることなし。
ここをもつて『経』(大経・下)にのたまはく、「もしこの経を聞きて、信楽受持すること、難のなかの難、これに過ぎたる難なし」と。また「一切世間極難信法」(称讃浄土経)と説きたまへり。
【39】 まことに知んぬ、大聖世尊(釈尊)、世に出興したまふ大事の因縁、悲願の真利を顕して、如来の直説としたまへり。凡夫の即生を示すを、大悲の宗致とすとなり。これによりて諸仏の教意を闚ふに、三世のもろもろの如来、出世のまさしき本意、ただ阿弥陀の不可思議の願を説かんとなり。常没の凡夫人、願力の回向によりて真実の功徳を聞き、無上の信心を獲れば、すなはち大慶喜を得て、不退転地を獲るなり。煩悩を断ぜしめずして、すみやかに大涅槃を証すとなり。
浄土文類聚鈔