「三願転入」の版間の差分
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+ | やがて29才にして[[法然聖人]]に出会い、[[専修念仏]]の法門を聞かれるが、『[[恵信尼消息|恵信尼文書]]』によれば「百か日、降るにも照るにも、いかなる[[たいふ]]にもまゐりて[[ありし]]に」([[恵信尼#P--811|恵信尼 P.811]]) と云われているから[[専修念仏]]に心が定まるのに約百日間の聞法の期間が有ったと見なければならない。<br /> | ||
+ | そしてやがて『教行信証』の後序に云われるように「しかるに愚禿釈の鸞、[[建仁辛酉の暦]]、[[雑行]]を棄てて本願に帰す」([[化巻末#no118|化巻 P.472]]) に至ったのである。即ち建仁元年29才のある時点に於て一切の自力を捨てて[[第十八願]]の法門に[[転入]]されたのである。この[[法然聖人]]を尋ねてから本願に[[転入]]するまでの期間はおそらく[[第二十願]]的な自力念仏の位であったと考えられる。<br /> | ||
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− | + | : ここをもつて愚禿釈の鸞、[[論主・宗師|論主]]の解義を仰ぎ、[[宗師]]の勧化によりて、久しく[[万行諸善の仮門]]を出でて、永く[[双樹林下の往生]]を離る。[[善本徳本の真門]]に回入して、ひとへに[[難思往生]]の心を発しき。しかるに、いまことに方便の[[真門]]を出でて、[[選択の願海]]に[[転入]]せり。すみやかに[[難思往生]]の心を離れて、[[難思議往生]]を遂げんと欲す。[[果遂の誓]]([[第二十願]])、まことに由あるかな。ここに久しく[[願海]]に入りて、深く仏恩を知れり。[[至徳]]を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を[[称念]]す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。 ([[化巻本#no68|化巻 P.413]]) | |
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2024年10月15日 (火) 16:11時点における最新版
三願転入 (梯實圓和上 真宗要論)
従来述べた六三法門は宗祖の宗教体験に裏付けられていた。即ち29才迄の20年間にわたる比叡山の修行は此の土で悟りを完成しようとする(此土入聖)聖道門の修行であった。しかし宗祖は何時の頃か常行三昧堂の堂僧として不断念仏の修行に励まれていたと云われているから、菩提心を起こし戒律を保ち念仏・誦経(小経・法華経・般若経等)・持呪等の修行の功徳によって浄土を願生する、第十九願的な浄土願生者であったと考えられる。
やがて29才にして法然聖人に出会い、専修念仏の法門を聞かれるが、『恵信尼文書』によれば「百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふにもまゐりてありしに」(恵信尼 P.811) と云われているから専修念仏に心が定まるのに約百日間の聞法の期間が有ったと見なければならない。
そしてやがて『教行信証』の後序に云われるように「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(化巻 P.472) に至ったのである。即ち建仁元年29才のある時点に於て一切の自力を捨てて第十八願の法門に転入されたのである。この法然聖人を尋ねてから本願に転入するまでの期間はおそらく第二十願的な自力念仏の位であったと考えられる。
このようにして聖道門から第十九願の要門へ、更に第二十願の真門へと進み、最後に第十八願(弘願)に転入された訳で、そのことを宗祖は自ら『化身土巻』に有名な三願転入の表白をして顕わされている。
- ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。 (化巻 P.413)
と云われたものがそれである。ここに「万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」と云われたのは要門を捨てたことを云われ。「善本徳本の真門に回入してひとへに難思往生の心を発しき」と云われたのは第二十願に入ったことを云われ。更に「しかるに今ことに方便の真門を出でて選択の願海に転入せり、速かに難思往生の心を離れて難思議往生を遂げむと欲す」と云われたものは真門を離れ第十八願に転入されたことを顕わす。
尚ここで注意しておかねばならないのは宗祖が三願転入された事実は29才の時点であったが、その事実を真仮三願の体系として顕わされたのは恐らく『教行信証』述作の頃をあまり遠く隔てないであろう。