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さんだい-じょうろん
 
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 『御伝鈔』などに説かれる法然門下における同門の門弟と御開山の三つの諍論。
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:御開山が法然門下におられた時に新参者の身にして法然門下の先輩の門弟の[[安心]]を、「[[信]]」か「[[行]]」に分ける場を設けられたといふ。『御伝鈔』上巻6段([[御伝鈔#P--1048|註 1048]])にある覚如上人の伝えられた説。<br />
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: 御開山が法然聖人から享(う)けられた[[念仏往生]]の仏道において、[[[行]]]と「[[信]]」とは本来不離一体であり、「[[行信]]」を分離して法然門下の古参の弟子に対して、行と信のいずれに立つかと発議することなど、考えられない。[[覚如]]上人は法然門下の弟子中での御開山の優位性をあらわし、法然聖人の教えは信一念であることを強調するために、この逸話を作られたのであろう。覚如上人の「行」に対して「信」を強調するための創作だと思われる。<br />
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:なお『[[jds:明義進行集|明義進行集]]』には、[[jds:空阿弥陀仏|空阿弥陀仏]](空阿)が、弟子を「[[一念多念]]ノ座ヲハ(ワ)ケテ、彼此混合セス」[http://www.jozensearch.jp/pc/zensho/image/volume/31/page/1008 (*)] と、当時水火の如く爭った[[jds:一念義|一念義]]の者と[[jds:多念義|多念義]]の者の両座に分けたとある。この両座の逸話が誤伝されたものか。
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梯實圓和上は「<sub>聖典セミナー</sub>『口伝鈔』」229 で、
  
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;体失・不体失往生の論争について
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: さて『口伝鈔』の体失、不体失の論争では、[[証空]]上人の[[体失往生]]説は[[諸行往生]]説であり、[[臨終業成]]説であって異義であり、親鸞聖人の[[不体失往生]]説こそ[[念仏往生]]説であり、[[平生業成]]説であって正義であると判定されています。<br />
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: しかし『選択集』撰述の座に列しておられたほどの上人が[[諸行往生]]説をとなえておられたはずはないし、上人は後々まで、<kana>念仏一類往生(ねんぶついちるいおうじょう)</kana>を強調して、[[jds:諸行本願義|諸行本願]]説 (九品寺義)や、念仏諸行二類各生(かくしょう)説(鎮西義)を厳しく批判されていました。ただその諸行[[開会]]説は、法然聖人の諸行を厳しく廃捨する選択廃立説と少し違うところがあるという批判を込めて、『口伝鈔』はこの挿話を収録されたのでしょう。また[[体失往生]]説にしても、上人はこの論争を機にして転換されたというのならば別ですが、後に[[即便往生]]と'''[[当得往生]]'''とを分けて、現生の'''[[即便往生]]'''を強調する証空上人が、[[体失往生]]だけを主張されたとは考えられません。もっとも覚如上人は、この論争を機縁として証空上人は回心されたといわれるのかも知れませんが······。<br />
  
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とされておられた。→[[jds:一類往生・二類往生|一類往生・二類往生]]<br />
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覚如上人は[[不体失往生]]といふことで「[[平生業成]]」を論じられ後代の蓮如さんは信心獲得を平生業成と示されたのだが、[[平生業成]]の語は西山派の『竹林鈔』に、
  
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:平生より業成するを「云 即便往生也(即便往生といふなり)」。臨終に観音の蓮台に移るを「名 当得往生(当得往生となづくなり)」。[http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E9%88%94#.E7.AC.AC.E5.8D.81.E3.80.81.E8.87.AA.E5.8A.9B.E4.BB.96.E5.8A.9B.E4.BA.8B 『竹林鈔』]
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と、あるように[[西山]]派の'''[[即便往生]]'''を示す意で使われた語句であった。
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:→[[即便往生]]
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===三 [[信心諍論|信心一異の諍論]] ○===
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2023年7月28日 (金) 13:34時点における最新版

さんだい-じょうろん

 『御伝鈔』などに説かれる法然門下における同門の門弟と御開山の三つの諍論


一 信行両座 ✕

御開山が法然門下におられた時に新参者の身にして法然門下の先輩の門弟の安心を、「」か「」に分ける場を設けられたといふ。『御伝鈔』上巻6段(註 1048)にある覚如上人の伝えられた説。
 御開山が法然聖人から享(う)けられた念仏往生の仏道において、[]と「」とは本来不離一体であり、「行信」を分離して法然門下の古参の弟子に対して、行と信のいずれに立つかと発議することなど、考えられない。覚如上人は法然門下の弟子中での御開山の優位性をあらわし、法然聖人の教えは信一念であることを強調するために、この逸話を作られたのであろう。覚如上人の「行」に対して「信」を強調するための創作だと思われる。
なお『明義進行集』には、空阿弥陀仏(空阿)が、弟子を「一念多念ノ座ヲハ(ワ)ケテ、彼此混合セス」(*) と、当時水火の如く爭った一念義の者と多念義の者の両座に分けたとある。この両座の逸話が誤伝されたものか。
行不退
信不退

二 体失不体失の往生の事 ✕

梯實圓和上は「聖典セミナー『口伝鈔』」229 で、

体失・不体失往生の論争について
 さて『口伝鈔』の体失、不体失の論争では、証空上人の体失往生説は諸行往生説であり、臨終業成説であって異義であり、親鸞聖人の不体失往生説こそ念仏往生説であり、平生業成説であって正義であると判定されています。
 しかし『選択集』撰述の座に列しておられたほどの上人が諸行往生説をとなえておられたはずはないし、上人は後々まで、念仏一類往生(ねんぶついちるいおうじょう)を強調して、諸行本願説 (九品寺義)や、念仏諸行二類各生(かくしょう)説(鎮西義)を厳しく批判されていました。ただその諸行開会説は、法然聖人の諸行を厳しく廃捨する選択廃立説と少し違うところがあるという批判を込めて、『口伝鈔』はこの挿話を収録されたのでしょう。また体失往生説にしても、上人はこの論争を機にして転換されたというのならば別ですが、後に即便往生当得往生とを分けて、現生の即便往生を強調する証空上人が、体失往生だけを主張されたとは考えられません。もっとも覚如上人は、この論争を機縁として証空上人は回心されたといわれるのかも知れませんが······。

とされておられた。→一類往生・二類往生
覚如上人は不体失往生といふことで「平生業成」を論じられ後代の蓮如さんは信心獲得を平生業成と示されたのだが、平生業成の語は西山派の『竹林鈔』に、

平生より業成するを「云 即便往生也(即便往生といふなり)」。臨終に観音の蓮台に移るを「名 当得往生(当得往生となづくなり)」。『竹林鈔』

と、あるように西山派の即便往生を示す意で使われた語句であった。

即便往生
当得往生

三 信心一異の諍論 ○

しんじんじょうろん 信心諍論

 親鸞が法然の門下で学んでいた時に、親鸞と勢観房念仏房などとの間にあった信心に関する論争。またそれを記した『御伝鈔』上巻7段(註 1050)の通称。信心一異の諍論ともいい、『歎異抄』(註 851) にも出る。親鸞と法然の信心は同一であると主張すると、勢観房念仏房らはこれに異を唱え、親鸞をとがめた。このことを聞いた法然は、他力信心は阿弥陀仏からたまわるものであるから、法然自身の信心も親鸞の信心も同じであると示した。(浄土真宗辞典)

法然聖人は『和語灯録』「諸人伝説の詞」に、

弁阿上人のいはく、故上人の給はく、われはこれ烏帽子もきざるおとこ也。十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚痴の法然房が念仏して往生せんといふ也。安房の介といふ一文不通の陰陽師が申す念仏と、源空が念仏と、またくかはりめなしと。{物語集にいでたり}
ある時 問ていはく、上人の御念仏は、智者にてましませば、われらが申す念仏にはまさりてぞおはしまし候らんとおもはれ候は、ひが事にて候やらん。
その時、上人御気色あしくなりておほせられていはく、さばかり申す事を用ゐ給はぬ事よ。もしわれ申す念仏の様、風情ありて申候はば、毎日六万遍のつとめむなしくなりて、三悪道におち候はん。またくさる事候はずと、まさしく御誓言候しかば、それより弁阿は、いよいよ念仏の信心を思ひさだめたりき。{同集} (和語灯録#P--606)

と念仏は賢愚、善悪を超えた法であるといわれておられた。なお『論註』には「同一に念仏して別の道なきがゆゑなり(同一念仏 無別同故)」とある。 法然聖人は念仏の信心について、

たゞ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。
所詮は深信といは、かのほとけの本願は、いかなる罪人をもすてず、ただ名号をとなふる事一声までに、决定して往生すと ふかくたのみて、すこしのうたがひもなきを申す也。

と、自らの心の善悪、罪の軽重もへだてなく、ただ念仏するものを救いたまふ本願であると疑いなく信ずる决定の信心によって往生は定まるとされた。つまり、本願の念仏があらゆる衆生を済度する「法」であるように、念仏往生と信ずる心も、善悪、賢愚を超えた万人済度の法だと御開山の、

「善信(親鸞)が信心も聖人(法然)の御信心も一つなり」

の表現を洞察され、

善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ
と、たまわりたる信心とされたのであった。