「末法灯明記」の版間の差分
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+ | [[御開山]]が「化身土巻」で[[末法]]の年代の証明として引文されておられる『末法灯明記』で乃至および略された部分を復元した。『末法灯明記』は伝[[最澄]]撰<ref>伝最澄。伝云々といふ表現は〇〇の著述として伝えられているといふ意で真撰では無いといふ意味。</ref>といわれ、[[最澄]](766or767-822)の在世の時は末法間近であるといふ。そして[[末法]]の時に至っては持戒堅固の僧は有名無実であり、[[無戒名字の比丘|無戒名字の僧]]こそが国のともしび(末法の灯明) となることを表明した著述である。<br /> | ||
+ | 法然聖人(1133-1212) は、この『末法灯明記』により、現代は[[末法]]であり戒律も衰え「[[行]]」と「[[証]]」がすでに廃れていることを、この『末法灯明記』を引用しで証明されておられた<ref>『[[醍醐本法然上人伝記]]』には、「其様に末法の中には、持戒無く、破戒無し、但だ名字比丘のみ有と、伝教大師の『末法灯明記』に委しく此の旨を明す。」とある</ref>。御開山も末法と末法の年代の証明として「化巻」で『末法灯明記』のほぼ全文を引文されたのであった。特に末法年代の計算の基準として[[元仁元年]]を挙げておられるのは『[[選択本願念仏集]]』の版木を焼き、法然聖人の墓を暴いて遺骸を鴨川に捨てようとまでした「[[jds:嘉禄の法難|嘉禄の法難]]」の因となったのが『延暦寺奏状』であり、この奏状が提出されたのが[[元仁元年]]であったことが影響しているのであろう。 | ||
− | -- | + | [[御開山]]の引文と現行の「末法灯明記」と文に多少の違いはあるが趣旨は変わらないと思ふ。読下し文は註釈版の読みを依用。乞校正。 |
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本朝沙門最澄撰 | 本朝沙門最澄撰 | ||
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:ここに愚僧等率して[[天網]]に容り、俯して[[厳科]]を仰ぐ。いまだ[[寧処に…|寧処に]]遑あらず。 | :ここに愚僧等率して[[天網]]に容り、俯して[[厳科]]を仰ぐ。いまだ[[寧処に…|寧処に]]遑あらず。 | ||
然法有三時、人亦有三品。化制之旨、依時興替。毀讚之文、遂人取捨。夫三古之運、盛衰不同。 | 然法有三時、人亦有三品。化制之旨、依時興替。毀讚之文、遂人取捨。夫三古之運、盛衰不同。 | ||
− | :しかるに法に三時あり、人また三品なり。[[化制]]の旨、時によりて興替す。毀讃の文、人に逐つて取捨す。それ[[三古の運]]、[[減衰]] | + | :しかるに法に三時あり、人また三品なり。[[化制]]の旨、時によりて興替す。毀讃の文、人に逐つて取捨す。それ[[三古の運]]、[[減衰]](盛衰)同じからず。 |
後五之機、慧悟又異、豈拠一途斉、復就一理整乎。 | 後五之機、慧悟又異、豈拠一途斉、復就一理整乎。 | ||
:[[後五]]の機、慧悟また異なり。あに一途によつて済はんや、(また)一理について整さんや。 | :[[後五]]の機、慧悟また異なり。あに一途によつて済はんや、(また)一理について整さんや。 | ||
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初決正像末者、(出)諸説不同。且述一説。 | 初決正像末者、(出)諸説不同。且述一説。 | ||
:初めに正・像・末を決するに、諸説を出すこと同じからず。しばらく一説を述せん。 | :初めに正・像・末を決するに、諸説を出すこと同じからず。しばらく一説を述せん。 | ||
− | + | 大乗[[基]]、引賢劫経言、仏涅槃後、正法五百年、像法一千年。此千五百年後、釈迦法滅尽。 | |
:大乗基、『賢劫経』を引きていはく、〈[[仏涅槃ののち、正法五百年]]、像法一千年ならん。この千五百年ののち、釈迦の法滅尽せん〉と。 | :大乗基、『賢劫経』を引きていはく、〈[[仏涅槃ののち、正法五百年]]、像法一千年ならん。この千五百年ののち、釈迦の法滅尽せん〉と。 | ||
不言末法。準余所説、尼不修八敬而懈怠故、法不更増。故不依彼。 | 不言末法。準余所説、尼不修八敬而懈怠故、法不更増。故不依彼。 | ||
− | : | + | :末法をいはず。余の所説に准ふるに、尼、[[八敬]]に順はずして懈怠なるがゆゑに、法更増せず。ゆゑに彼によらず。 |
又涅槃経、於末法中、有十二万大菩薩衆、持法不滅。此拠上位故亦不(同)用。 | 又涅槃経、於末法中、有十二万大菩薩衆、持法不滅。此拠上位故亦不(同)用。 | ||
:また『涅槃経』に、〈末法のなかにおいて十二万の大菩薩衆ましまして、法を持ちて滅せず〉と。これは上位によるがゆゑにまた同じからず。 | :また『涅槃経』に、〈末法のなかにおいて十二万の大菩薩衆ましまして、法を持ちて滅せず〉と。これは上位によるがゆゑにまた同じからず。 | ||
問云若爾者、千五百年之内行事如何。 | 問云若爾者、千五百年之内行事如何。 | ||
:問(云)ふ。もししからば千五百年のうちの行事いかんぞや。 | :問(云)ふ。もししからば千五百年のうちの行事いかんぞや。 | ||
− | + | 答、按大術経、仏涅槃後、初五百年、大迦葉等七賢聖次第住持、正法不滅、五百年後、正法滅尽。 | |
:答ふ。『大術経』によるに、〈仏涅槃ののちの初めの五百年には、[[大迦葉]]等の[[七賢聖僧]]、次第に正法を持ちて滅せず、五百年ののち正法滅尽せんと。 | :答ふ。『大術経』によるに、〈仏涅槃ののちの初めの五百年には、[[大迦葉]]等の[[七賢聖僧]]、次第に正法を持ちて滅せず、五百年ののち正法滅尽せんと。 | ||
至六百年、九十五種外道競起。馬鳴出世、伏諸外道。 | 至六百年、九十五種外道競起。馬鳴出世、伏諸外道。 | ||
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若依此説、従其壬申至我延暦二十年辛巳、一千七百五十歳。 | 若依此説、従其壬申至我延暦二十年辛巳、一千七百五十歳。 | ||
:もしこの説によらば、その壬申よりわが[[延暦二十年辛巳]]に至るまで、一千七百五十歳なり。 | :もしこの説によらば、その壬申よりわが[[延暦二十年辛巳]]に至るまで、一千七百五十歳なり。 | ||
− | + | 二 [[費長房]]等、依魯春秋、仏当周第二十一主匡王班四年壬子入滅。 | |
:二つには費長房等、魯の『[[春秋]]』によらば、仏、周の第二十一の主、[[匡王班四年壬子]]に当りて入滅したまふ。 | :二つには費長房等、魯の『[[春秋]]』によらば、仏、周の第二十一の主、[[匡王班四年壬子]]に当りて入滅したまふ。 | ||
若依此説、従其壬子至我延暦二十年辛巳、一千四百十歳。 | 若依此説、従其壬子至我延暦二十年辛巳、一千四百十歳。 | ||
:もしこの説によらば、その壬子よりわが延暦二十年辛巳に至るまで、一千四百十歳なり。 | :もしこの説によらば、その壬子よりわが延暦二十年辛巳に至るまで、一千四百十歳なり。 | ||
故知、今時是像法最末時也。彼時行事、既同末法。 | 故知、今時是像法最末時也。彼時行事、既同末法。 | ||
− | :ゆゑに( | + | :ゆゑに(知んぬ) 今の時のごときは、これ像法最末の時なり。かの時の行事すでに末法に同ぜり。 |
− | + | 然則、於末法中、但有言'''教'''、而無'''行証'''。 | |
− | : | + | :{{DotUL|しかればすなはち末法のなかにおいては、ただ言教のみありて行証なけん}}。 |
若有戒法、可有破戒。既無戒法。由破何戒。而有破戒。破戒尚無、何況持戒。 | 若有戒法、可有破戒。既無戒法。由破何戒。而有破戒。破戒尚無、何況持戒。 | ||
:もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いづれの戒を破せんによりてか破戒あらんや。破戒なほなし、いかにいはんや持戒をや。 | :もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いづれの戒を破せんによりてか破戒あらんや。破戒なほなし、いかにいはんや持戒をや。 | ||
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:答ふ。引くところの『大集』所説の[[八重の真宝]]のごとし、これその証なり。みな時に当りて無価となすゆゑに。ただし正法の時の破戒比丘は、清浄衆を穢す。ゆゑに仏固く禁制して衆に入れず。 | :答ふ。引くところの『大集』所説の[[八重の真宝]]のごとし、これその証なり。みな時に当りて無価となすゆゑに。ただし正法の時の破戒比丘は、清浄衆を穢す。ゆゑに仏固く禁制して衆に入れず。 | ||
所以然者、涅槃第三云、如来今以無上正法、付属諸王、大臣、宰相、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、是諸国王大臣及四部衆、応当勧励諸学人等、令得増長上定戒智慧、若有不学是三品法懈怠 | 所以然者、涅槃第三云、如来今以無上正法、付属諸王、大臣、宰相、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、是諸国王大臣及四部衆、応当勧励諸学人等、令得増長上定戒智慧、若有不学是三品法懈怠 | ||
− | : | + | :しかるゆゑは、『涅槃』の第三にのたまはく、〈如来いま無上の正法をもつて、諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼(優婆塞、優婆夷)に付属したまへり。[この諸国王大臣及び四部の衆、まさに諸の学人等を観励して、増長上の定戒智慧を得しむべし、もしこの三品の法を学せず懈怠し] |
破戒、毀正法者、王者大臣、四部之衆、応当苦治。 | 破戒、毀正法者、王者大臣、四部之衆、応当苦治。 | ||
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{<br> | {<br> | ||
当無有小罪、我涅槃後、随其方面、有持戒比丘、護持正法、見壊法者、即能駈遣、呵嘖恋治、 | 当無有小罪、我涅槃後、随其方面、有持戒比丘、護持正法、見壊法者、即能駈遣、呵嘖恋治、 | ||
− | : | + | :まさに小罪有ること無かるべし。わが涅槃の後、その方面に隨ひ、持戒の比丘有りて、正法を護持し、法を壊する者を見ては、即ち能く駈遣し、呵嘖し懲治せん。 |
− | + | }<br> | |
− | + | 是我弟子、真声聞也、当知、是人得福無量。 | |
:これわが弟子なり、真の声聞なり、福を得ること無量ならん〉と。 | :これわが弟子なり、真の声聞なり、福を得ること無量ならん〉と。 | ||
{<br> | {<br> | ||
若善比丘、見壊法者、置不呵責駈遣挙処、当知、是人仏法中怨。<br> | 若善比丘、見壊法者、置不呵責駈遣挙処、当知、是人仏法中怨。<br> | ||
又大集経二十八云、若有国王、見我法滅、捨不擁護、於無量世、修施戒慧、悉皆滅失、其国内出三種不詳事、乃至命終生大地獄、又同経三十一云、仏言、大王守護如法比丘一人、不護無量諸悪比丘、我今唯聴二人掌護、一羅漢、具八解脱、二須陀洹人云云、 | 又大集経二十八云、若有国王、見我法滅、捨不擁護、於無量世、修施戒慧、悉皆滅失、其国内出三種不詳事、乃至命終生大地獄、又同経三十一云、仏言、大王守護如法比丘一人、不護無量諸悪比丘、我今唯聴二人掌護、一羅漢、具八解脱、二須陀洹人云云、 | ||
− | : | + | :もし善比丘ありて、法を壊する者を見て、置きて呵責し駈遣し[[挙処]]せずんば、まさに知るべし。この人は仏法の中の怨なり。 |
− | : | + | :又『大集經』の二十八に云く。「若し国王有りて、わが法滅するを見、捨てて擁護せずんば、無量世に於て、施戒慧を修すも、ことごとくみな滅失して、その国内に三種の不詳事を出し、乃至命終して大地獄に生ず」 と。又同經の三十一に云く。「仏の言く。大王如法の比丘一人を守護して、無量の諸の悪比丘を護らざれ。我れ今ただ二人の掌護を聴す。一には羅漢、八解脱を具す。二には須陀洹の人なり」。 |
− | + | }<br> | |
如是制文(法)、往往数多。皆是正法明之制文。非像末教。所以然者、像季末法、不行正法、無法可毀。 | 如是制文(法)、往往数多。皆是正法明之制文。非像末教。所以然者、像季末法、不行正法、無法可毀。 | ||
:かくのごときの制文の法、往々衆多なり。みなこれ正法に明かすところの制文なり。像・末の教にあらず。しかるゆゑは、像季・末法には正法を行ぜざれば、法として毀るべきなし。 | :かくのごときの制文の法、往々衆多なり。みなこれ正法に明かすところの制文なり。像・末の教にあらず。しかるゆゑは、像季・末法には正法を行ぜざれば、法として毀るべきなし。 | ||
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{<br> | {<br> | ||
是人猶能為諸人天、示涅槃道、是人便已於三宝中、心生敬信、勝於一切九十五種外道、其人必能速入涅槃、勝於一切在家俗人、唯除在家得忍辱人、是故、破戒天人応当供養。 | 是人猶能為諸人天、示涅槃道、是人便已於三宝中、心生敬信、勝於一切九十五種外道、其人必能速入涅槃、勝於一切在家俗人、唯除在家得忍辱人、是故、破戒天人応当供養。 | ||
− | : | + | :この人なほ能く諸の人天の爲に、涅槃の道を示す。この人便ち已に三宝の中において、心に敬信を生じて、一切の九十五種の外道に勝る。この人必ずよく速に涅槃に入り、一切在家の俗人に勝る。ただ在家の忍辱を得たる人を除く。是の故に、破戒なるも天人當に供養すべし。 |
}<br> | }<br> | ||
又大悲経云、仏告阿難、於後末世、法欲滅時、当有比丘比丘尼、於我法中、得出家 已、手牽児臂、而共遊行、従酒家至酒家。於我法中、作非梵行。 | 又大悲経云、仏告阿難、於後末世、法欲滅時、当有比丘比丘尼、於我法中、得出家 已、手牽児臂、而共遊行、従酒家至酒家。於我法中、作非梵行。 | ||
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彼等雖為酒因縁、於此賢劫、一切皆当得般涅槃、斯賢劫中、当有千仏興出世、我為第四、次後弥勒、当補我処、乃至最後、盧遮如来、如是次第、汝応当知、 | 彼等雖為酒因縁、於此賢劫、一切皆当得般涅槃、斯賢劫中、当有千仏興出世、我為第四、次後弥勒、当補我処、乃至最後、盧遮如来、如是次第、汝応当知、 | ||
− | :かれら酒の因縁たりといへども、この[[賢劫]] | + | :かれら酒の因縁たりといへども、この[[賢劫]]のなかにおいて、[一切みなまさに、この賢劫中に般涅槃を得ん。] まさに千仏ましまして興出したまはんに、わが弟子となるべし。[我を第四となす。] 次に、後に弥勒まさにわが処を補ぐべし。乃至最後[[盧至如来]]まで、かくのごとき次第に、なんぢまさに知るべし。 |
阿難、於我法中、但使性是沙門、汚沙門行、自称沙門。形似沙門、当有被著袈裟者、於賢劫中、弥勒為首、乃至盧遮如来、彼諸沙門、如是仏所、於無余涅槃、次第得入涅槃。無有遺余、 | 阿難、於我法中、但使性是沙門、汚沙門行、自称沙門。形似沙門、当有被著袈裟者、於賢劫中、弥勒為首、乃至盧遮如来、彼諸沙門、如是仏所、於無余涅槃、次第得入涅槃。無有遺余、 | ||
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:後に教を挙げて比例せば、末法法爾として正法毀壊し、三業記なし。[[四儀]]乖くことあらん。しばらく『像法決疑経』にのたまふがごとし。 | :後に教を挙げて比例せば、末法法爾として正法毀壊し、三業記なし。[[四儀]]乖くことあらん。しばらく『像法決疑経』にのたまふがごとし。 | ||
− | + | {以下、経名のみ引文されている部分}<br> | |
若復有人、雖造塔寺、供養三宝、而不生敬重、請僧在寺、不供養飲食衣服湯薬、返更乞貸、食噉僧食、不問貴賤、一切専欲於衆僧中、作不饒益、侵損悩乱、如比人輩、永堕三途。<br> | 若復有人、雖造塔寺、供養三宝、而不生敬重、請僧在寺、不供養飲食衣服湯薬、返更乞貸、食噉僧食、不問貴賤、一切専欲於衆僧中、作不饒益、侵損悩乱、如比人輩、永堕三途。<br> | ||
今見俗間、盛行此事、時運自爾、非人故爾、檀越既無檀越志、誰得誹僧無僧行。 | 今見俗間、盛行此事、時運自爾、非人故爾、檀越既無檀越志、誰得誹僧無僧行。 | ||
− | : | + | :〈もしまた人有りて、塔寺を造りて、三宝を供養すといえども、しかも敬重を生ぜず。僧を請じて寺に在るも、飲食衣服湯薬を供養せず。かえりてさらに乞貸して、僧食を食噉し、貴賤を問はず。一切もっぱら衆僧の中に於て、不饒益を作し、侵損悩乱せんと欲す。この如き人の輩、永く三途に堕す〉と。 |
:いま俗間を見るに、盛にこの事を行ず。時運自らしかなり。人の故にしかるに非ず。檀越すでに檀越の志無し。誰か僧に僧の行無きことを誹ることを得んや。 | :いま俗間を見るに、盛にこの事を行ず。時運自らしかなり。人の故にしかるに非ず。檀越すでに檀越の志無し。誰か僧に僧の行無きことを誹ることを得んや。 | ||
又遺教経云、 | 又遺教経云、 | ||
− | + | 一日乗車馬、除五百日斉、当代行者之罪、何呈持斎之徳。 | |
− | :〈一日車馬に乗すれば、五百日の齊を除く〉 | + | :〈一日車馬に乗すれば、五百日の齊を除く〉 と。当代の行者の罪、何ぞ持斎の德を呈せんや。 |
又法行経云、 | 又法行経云、 | ||
257行目: | 263行目: | ||
:『仁王』等を推するに、僧統を拜する、以て破僧の俗となす。彼の『大集』等には、無戒を称して、以て済世の宝となす。あに破国の蝗を留め、還りて保家の宝を弃(す)てんや。 | :『仁王』等を推するに、僧統を拜する、以て破僧の俗となす。彼の『大集』等には、無戒を称して、以て済世の宝となす。あに破国の蝗を留め、還りて保家の宝を弃(す)てんや。 | ||
:すべからく二類(破戒と無戒)を分かたず、共に一味を飡して、僧尼跡を絶たず、鳴鐘、時を失せざるべし。しかればすなわち末法の教、国をたもたしむるの道に允(そぐ)はん。 | :すべからく二類(破戒と無戒)を分かたず、共に一味を飡して、僧尼跡を絶たず、鳴鐘、時を失せざるべし。しかればすなわち末法の教、国をたもたしむるの道に允(そぐ)はん。 | ||
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2021年11月11日 (木) 18:46時点における最新版
御開山が「化身土巻」で末法の年代の証明として引文されておられる『末法灯明記』で乃至および略された部分を復元した。『末法灯明記』は伝最澄撰[1]といわれ、最澄(766or767-822)の在世の時は末法間近であるといふ。そして末法の時に至っては持戒堅固の僧は有名無実であり、無戒名字の僧こそが国のともしび(末法の灯明) となることを表明した著述である。
法然聖人(1133-1212) は、この『末法灯明記』により、現代は末法であり戒律も衰え「行」と「証」がすでに廃れていることを、この『末法灯明記』を引用しで証明されておられた[2]。御開山も末法と末法の年代の証明として「化巻」で『末法灯明記』のほぼ全文を引文されたのであった。特に末法年代の計算の基準として元仁元年を挙げておられるのは『選択本願念仏集』の版木を焼き、法然聖人の墓を暴いて遺骸を鴨川に捨てようとまでした「嘉禄の法難」の因となったのが『延暦寺奏状』であり、この奏状が提出されたのが元仁元年であったことが影響しているのであろう。
御開山の引文と現行の「末法灯明記」と文に多少の違いはあるが趣旨は変わらないと思ふ。読下し文は註釈版の読みを依用。乞校正。
『末法灯明記』
本朝沙門最澄撰
夫範衛一如、以流化者法王、光宅四海、以埀風者仁王。
然則、仁王法王、互顕而開物、真諦俗諦、逓因而弘教。
所以玄籍盈乎宇内、嘉猷溢乎天下。
爰愚僧等、率容天網、府仰厳科。未遑寧処。
然法有三時、人亦有三品。化制之旨、依時興替。毀讚之文、遂人取捨。夫三古之運、盛衰不同。
後五之機、慧悟又異、豈拠一途斉、復就一理整乎。
- 後五の機、慧悟また異なり。あに一途によつて済はんや、(また)一理について整さんや。
故詳正像末之階降、或(詳)彰破持僧之行事。於中有三、初決正像末、次定破持僧之事。後挙教比例。
- ゆゑに正・像・末の旨際(階降)を詳らかにして、試みに破持僧の(行)事を彰さん。なかにおいて三あり。初めには正・像・末を決す。次に破持僧の事を定む。後に教を挙げて比例す。
初決正像末者、(出)諸説不同。且述一説。
- 初めに正・像・末を決するに、諸説を出すこと同じからず。しばらく一説を述せん。
大乗基、引賢劫経言、仏涅槃後、正法五百年、像法一千年。此千五百年後、釈迦法滅尽。
- 大乗基、『賢劫経』を引きていはく、〈仏涅槃ののち、正法五百年、像法一千年ならん。この千五百年ののち、釈迦の法滅尽せん〉と。
不言末法。準余所説、尼不修八敬而懈怠故、法不更増。故不依彼。
- 末法をいはず。余の所説に准ふるに、尼、八敬に順はずして懈怠なるがゆゑに、法更増せず。ゆゑに彼によらず。
又涅槃経、於末法中、有十二万大菩薩衆、持法不滅。此拠上位故亦不(同)用。
- また『涅槃経』に、〈末法のなかにおいて十二万の大菩薩衆ましまして、法を持ちて滅せず〉と。これは上位によるがゆゑにまた同じからず。
問云若爾者、千五百年之内行事如何。
- 問(云)ふ。もししからば千五百年のうちの行事いかんぞや。
答、按大術経、仏涅槃後、初五百年、大迦葉等七賢聖次第住持、正法不滅、五百年後、正法滅尽。
至六百年、九十五種外道競起。馬鳴出世、伏諸外道。
- 六百年に至りてのち、九十五種の外道競ひ起らん。馬鳴世に出でてもろもろの外道を伏せん。
七百年中、龍樹出世、摧邪見幢。
- 七百年のうちに、龍樹世に出でて邪見の幡を摧かん。
於八百年、比丘縦逸、僅一二人、有得道果。
- 八百年において、比丘縦逸にして、わづかに一二(人)道果を得るものあらん。
至九百年、奴為比丘、亦婢為尼。
- 九百年に至りて、奴を比丘とし、婢を尼とせん。
一千年中、聞不浄観、瞋恚不欲。
- 一千年のうちに、不浄観を聞かん、瞋恚して欲せじ。
千一百年、僧尼嫁娶、(僧)毀謗毗尼。
千二百年、諸僧尼等、倶有子息。
- 千二百年に、諸僧尼等ともに子息あらん。
千三百年、袈裟変白。
- 千三百年に、袈裟変じて白からん。
千四百年、四部弟子、皆如猟師、売三宝物。
- 千四百年に、四部の弟子みな猟師のごとし、三宝物を売らん。
(爰曰)千五百年、倶腅弥国有二僧、互起是非、遂相殺害。仍教法蔵於竜宮也。涅槃十八、及仁王等、復有此文。
- ここにいはく、千五百年に拘睒弥国にふたりの僧ありて、たがひに是非を起してつひに殺害せん、よつて教法竜宮に蔵まるなり〉と。『涅槃』の十八および『仁王』等にまたこの文あり。
準此等経文、千五百年後、無有戒定慧也。故大集経五十一言、我滅度後、初五百年、諸比丘等、於我正法、解脱堅固。初得聖果名為解脱。
- これらの経文に準ふるに、千五百年ののち戒・定・慧あることなきなり。ゆゑに『大集経』の五十一にいはく、〈わが滅度ののち、初めの五百年には、もろもろの比丘等わが正法において解脱堅固ならん。初めに聖果を得るを名づけて解脱とす。
次五百年、禅定堅固。次五百年、多聞堅固。次五百年、造寺堅固。後五百年、闘諍堅固、白法隠没云云。
此意、初三箇五百年、如次、戒定慧三法堅固得住。
- この意、初めの三分の五百年は、次いでのごとく戒・定・慧の三法、堅固に住することを得ん。
即上所引、正法五百、像法一千、二時是也。
- すなはち上に引くところの正法五百年、像法一千の二時これなり。
造寺以後、幷是末法。故基般若会釈云、正法五百年、像法一千年、此一千五百年後、行之正法滅尽。
- 造寺以後は、ならびにこれ末法なり。ゆゑに基の『般若会の釈』にいはく、〈正法五百年、像法一千年、この千五百年ののち(行之)正法滅尽せん〉と。
故知、造塔以後、幷属末法。
- ゆゑに知んぬ、(造塔)以後はこれ末法に属す。
問云若爾者、今世正当何時。
- 問ふ。もししからば、いまの世は、まさしくいづれの時にか当れるや。
答滅後年代、雖有多説、且挙両説。一 法上法師等、依周異記言、仏当第五主穆王満五十三年壬申入滅。
若依此説、従其壬申至我延暦二十年辛巳、一千七百五十歳。
- もしこの説によらば、その壬申よりわが延暦二十年辛巳に至るまで、一千七百五十歳なり。
二 費長房等、依魯春秋、仏当周第二十一主匡王班四年壬子入滅。
若依此説、従其壬子至我延暦二十年辛巳、一千四百十歳。
- もしこの説によらば、その壬子よりわが延暦二十年辛巳に至るまで、一千四百十歳なり。
故知、今時是像法最末時也。彼時行事、既同末法。
- ゆゑに(知んぬ) 今の時のごときは、これ像法最末の時なり。かの時の行事すでに末法に同ぜり。
然則、於末法中、但有言教、而無行証。
- しかればすなはち末法のなかにおいては、ただ言教のみありて行証なけん。
若有戒法、可有破戒。既無戒法。由破何戒。而有破戒。破戒尚無、何況持戒。
- もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いづれの戒を破せんによりてか破戒あらんや。破戒なほなし、いかにいはんや持戒をや。
故大集云、仏涅槃後、無戒満州云云。
- ゆゑに『大集』にいはく、〈仏涅槃ののち無戒州に満たん〉と、云々。
問云、諸経律中、広制破戒、不聴入衆。破戒尚爾、何況無戒。而今重論末法無戒。豈無瘡自以傷哉。
- 問(云)ふ。諸経律のなかに、広く破戒を制して衆に入ることを聴さず。破戒なほしかなり、いかにいはんや無戒をや。しかるにいま重ねて末法を論ずるに、戒なし。あに瘡なくして、みづからもつて傷まんや。
(答)此理不然。正像末法所有行事、広載諸経。内外道俗、誰不披諷。豈貪求自身邪活、隠蔽持国之正法乎。
但今所論、末法唯有名字比丘。此名字為世真宝。更無福田。設末法中、有持戒者、既是恠異。如市有虎、此誰可信。
問云、正像末事、已見衆経。末法名字、為世真宝、出何聖典。
- 問ふ。正・像・末の事、すでに衆経に見えたり。末法の名字を世の真宝とせんことは、(何)聖典に出でたりや。
答大集第九云、譬如真金為無価宝。若無真金者、銀為無価宝。若無銀者、鍮石偽宝為無価宝。若無偽宝、赤白銅鉄、白鑞鉛錫、為無価宝。如是、一切世間、仏宝無価。
- 答ふ。『大集』の第九にいはく、〈たとへば真金を無価の宝とするがごとし。もし真金なくは銀を無価の宝とす。もし銀なくは、鍮石・偽宝を無価とす。もし偽宝なくは、赤白銅・鉄・白錫・鉛(錫)を無価とす。かくのごとき一切世間の宝なれども仏法無価なり。
若無仏宝、縁覚無上。若無縁覚、羅漢無上。若無羅漢、余賢聖衆、以為無上。若無余賢聖衆、得定凡夫、以為無上。
- もし仏宝ましまさずは、縁覚無上なり。もし縁覚なくは、羅漢無上なり。もし羅漢なくは、余の賢聖衆もつて無上なり。もし余の賢聖衆なくは、得定の凡夫もつて無上とす。
若無得定凡夫、浄持戒、以為無上、若無浄持戒、漏戒比丘、以為無上。
- もし得定の凡夫なくは、浄持戒をもつて無上とす。もし浄持戒なくは、漏戒の比丘をもつて無上とす。
若無漏戒、剃除鬚髪、身著袈裟、名字比丘、為無上宝。比余九十五種異道、最為第一。応受世供、為物福田。
何以故、破能身、衆生所怖畏故。若有護持養育安置、是人不久、得住忍地。{已上経文}
此文中、有八重無価。所謂、如来、縁覚、声聞及前三果、得定凡夫、持戒、破戒、無戒名字、如其次第、各為正像末之時無価宝也。
- この文のなかに八重の無価あり。いはゆる如来、縁覚・声聞および前三果、得定の凡夫、持戒・破戒・無戒名字、それ次いでのごとし、名づけて正・像・末の時の無価の宝とするなり。
初四正法時、次三像法時、後一末法時。由此明知、破戒無戒、咸是真宝。
- 初めの四つは正法時、次の三つは像法時、後の一つは末法時なり。これによりてあきらかに知んぬ、破戒・無戒ことごとくこれ真宝なり。
問云、伏観前文、破戒名字、莫不真宝。何故、涅槃大集等経、国王大臣、供破戒僧、国起三災、遂生地獄。
- 問ふ。伏して前の文を観るに、破戒名字、真宝ならざることなし。なんがゆゑぞ『涅槃』と『大集経』に、《国王・大臣、破戒の僧を供すれば、国に三災起り、つひに地獄に生ず》と。
破戒尚爾、何況無戒。爾如来於一破戒、或毀或讚、豈一聖之文、有両判之失。
- 破戒なほしかなり、いかにいはんや無戒をや。しかるに如来、一つの破戒において、あるいは毀り、あるいは讃む。あに一聖の説に両判の失あるをや。
答此理不然、涅槃等経、且制正法之世破戒。非於像末代之比丘。其名雖同、而時有異。随時制許。是大聖旨。故於世尊、無両判失。
- 答ふ。この理しからず。『涅槃』等の経に、しばらく正法の(世の)破戒を制す。像・末代の比丘にはあらず。その名同じといへども、時に異あり。時に随ひて制許す。これ大聖(釈尊)の旨なり。ゆゑに世尊において両判の失ましまさず。
問云若爾、何知涅槃等経、但制止正法所有破戒、非像末僧。
- 問ふ。もししからばなにをもつてか知らん、『涅槃』等の経は、ただ正法所有の破戒を制止して、像・末の僧にあらずとは。
答如所引大集所説、八重真宝。是其証也。皆為当時無価宝故。但正法時、破戒比丘、穢清浄衆。故、仏固禁制不入衆。
- 答ふ。引くところの『大集』所説の八重の真宝のごとし、これその証なり。みな時に当りて無価となすゆゑに。ただし正法の時の破戒比丘は、清浄衆を穢す。ゆゑに仏固く禁制して衆に入れず。
所以然者、涅槃第三云、如来今以無上正法、付属諸王、大臣、宰相、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、是諸国王大臣及四部衆、応当勧励諸学人等、令得増長上定戒智慧、若有不学是三品法懈怠
- しかるゆゑは、『涅槃』の第三にのたまはく、〈如来いま無上の正法をもつて、諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼(優婆塞、優婆夷)に付属したまへり。[この諸国王大臣及び四部の衆、まさに諸の学人等を観励して、増長上の定戒智慧を得しむべし、もしこの三品の法を学せず懈怠し]
破戒、毀正法者、王者大臣、四部之衆、応当苦治。
如是王臣等、得無量功徳、
- かくのごときの王臣等、無量の功徳を得ん。
{
当無有小罪、我涅槃後、随其方面、有持戒比丘、護持正法、見壊法者、即能駈遣、呵嘖恋治、
- まさに小罪有ること無かるべし。わが涅槃の後、その方面に隨ひ、持戒の比丘有りて、正法を護持し、法を壊する者を見ては、即ち能く駈遣し、呵嘖し懲治せん。
}
是我弟子、真声聞也、当知、是人得福無量。
- これわが弟子なり、真の声聞なり、福を得ること無量ならん〉と。
{
若善比丘、見壊法者、置不呵責駈遣挙処、当知、是人仏法中怨。
又大集経二十八云、若有国王、見我法滅、捨不擁護、於無量世、修施戒慧、悉皆滅失、其国内出三種不詳事、乃至命終生大地獄、又同経三十一云、仏言、大王守護如法比丘一人、不護無量諸悪比丘、我今唯聴二人掌護、一羅漢、具八解脱、二須陀洹人云云、
- もし善比丘ありて、法を壊する者を見て、置きて呵責し駈遣し挙処せずんば、まさに知るべし。この人は仏法の中の怨なり。
- 又『大集經』の二十八に云く。「若し国王有りて、わが法滅するを見、捨てて擁護せずんば、無量世に於て、施戒慧を修すも、ことごとくみな滅失して、その国内に三種の不詳事を出し、乃至命終して大地獄に生ず」 と。又同經の三十一に云く。「仏の言く。大王如法の比丘一人を守護して、無量の諸の悪比丘を護らざれ。我れ今ただ二人の掌護を聴す。一には羅漢、八解脱を具す。二には須陀洹の人なり」。
}
如是制文(法)、往往数多。皆是正法明之制文。非像末教。所以然者、像季末法、不行正法、無法可毀。
- かくのごときの制文の法、往々衆多なり。みなこれ正法に明かすところの制文なり。像・末の教にあらず。しかるゆゑは、像季・末法には正法を行ぜざれば、法として毀るべきなし。
何名毀法。無戒可破、誰名破戒。又其時大王、無行而可護。由何出三災及失施戒慧。
- なにをか毀法と名づけん。戒として破すべきなし。たれをか破戒と名づけん。またそのとき大王、行として護るべきなし。なにによりてか三災を出し、および(施)戒慧を失せんや。
又像末時、無証果人。如何彼明聴護二聖。故知、上所説、皆約正法世、有持戒時、有破戒故。
- また像・末には証果の人なし。いかんぞ二聖に聴護せらるることを明かさん。ゆゑに知んぬ、上の所説はみな正法の世に持戒あるときに約して、破戒あるがゆゑなり。
次像法千年中、初五百年、持戒漸減、破戒漸増。雖有戒行、而無証果。
- 次に像法千年のうちに、初めの五百年には持戒やうやく減じ、破戒やうやく増せん。戒行ありといへども証果なし。
故涅槃七云、迦葉菩薩、白仏言、世尊、如仏所説、有四種魔。若魔所説及仏所説、我当云何而得分別。有諸衆生随遂魔行。
- ゆゑに『涅槃』の七にのたまはく、〈迦葉菩薩、仏にまうしてまうさく、《世尊、仏の所説のごときは四種の魔あり。もし魔の所説および仏の所説、われまさにいかんしてか分別することを得べき。もろもろの衆生ありて魔行に随逐せん。
復有随順仏所説者、如是等輩、復云何知。
- また仏説に随順することあらば、かくのごときらの輩、またいかんが知らん》と。
仏告迦葉、我般涅槃、七百歳後、是魔波旬漸起、沮壊我之正法。譬如猟師、身服法衣。魔王波旬、亦復如是。
- 仏、迦葉に告げたまはく、《われ涅槃して七百歳ののちに、これ魔波旬やうやく起りて、まさにしきりにわが正法を壊すべし。たとへば猟師の身に法衣を服せんがごとし。魔波旬もまたまたかくのごとし。
作比丘像、比丘尼像、優婆塞優婆夷像、亦復
- 比丘像・比丘尼像・優婆塞・優婆夷像とならんこと、またまたかくのごとしと。
{
化作須陀洹身、乃至化作阿羅漢身及仏色身、魔王以此有漏之形、作無漏身、壊我正法、是魔波旬、為壊正法、当作是言、仏在舎衛国祇陀精舎。
- 須陀洹の身を化作し、乃至阿羅漢の身及び仏の色身を化作せん。魔王この有漏の形を以て、無漏の身を作して、わが正法を壊せん。この魔波旬、正法を壊せんが爲に、当にこの言を作すべし。仏舍衛国の祇陀精舍に在りて、
}
聴諸比丘、受畜奴婢僕従、牛羊象馬、乃至銅鉄釜鍑、大小銅盤、所須之物、耕田種植、販売市易、儲積穀米。
- ”もろもろの比丘、奴婢、僕使、牛・羊・象・馬、乃至銅鉄釜鍑、大小銅盤、所須のものを受畜し、耕田・種植、販売・市易して、穀米を儲くることを聴すと。
如是衆事、仏大慈故、憐愍衆生、聴畜之。如是経律、悉是魔説云云。
- かくのごときの衆事、仏、大悲のゆゑに衆生を憐愍してみな畜ふることを聴さん”と。かくのごときの経律は、ことごとくこれ魔説なり》〉と、云々。
既云七百歳後、波旬漸起。故知、彼時比丘、漸貪畜八不浄物。作此妄説、即是魔説也。此等経中、明指年代、具説行事。不可更疑。且挙一文、余皆準知。
- すでに〈七百歳ののちに波旬やうやく起らん〉といへり。ゆゑに知んぬ、かの時の比丘、やうやく八不浄物を貪畜せんと。この妄説をなさん、すなはちこれ魔の流なり。これらの経のなかにあきらかに年代を指して、つぶさに行事を説けり。さらに疑ふべからず。それ一文を挙ぐ、余みな準知せよ。
次像法後半、持戒減少、破戒巨多。故涅槃六云、
- 次に、像法の後半ばは持戒減少し、破戒巨多ならん。ゆゑに『涅槃』の六にのたまはく、
{
仏告菩薩言、善男子、譬如迦羅林、其樹衆多、於是林中、唯有一樹、名鎮頭迦、是迦羅樹、与鎮頭迦樹、二果相似、不可分別、其果熟時、有一女人、悉皆拾取、鎮頭迦果、唯有一分、迦羅迦果、乃有九分、是女不識持来、詣市而衒賷之、凡愚小児、復不別故、買迦羅迦、噉已命終、有智人輩、聞是事已、問是女人、汝於何処、持是果来、是時女人、即示方所、諸人即言、如是方所、多有無量迦羅迦樹、唯有一根鎮頭迦樹、諸人知已、笑而捨去、善男子、大衆之中、八不浄法、亦復如是、於是衆中、多有受用如是八法、唯有一人清浄持戒、不受如是八不浄法、善知諸人受畜非法、然而同事、不相捨離、如彼林中一鎮頭迦樹。
- 仏、菩薩に告げてのたまはく。〈善男子、たとへば迦羅林、その樹衆多なり。その林中に於て、ただ一樹あり。鎭頭迦と名く。この迦羅樹と、鎭頭迦樹と。二果あひ似て、分別すべからず。その果熟する時、一の女人有りて、ことごとく皆拾ひ取る。鎭頭迦果は、ただ一分有り。迦羅迦果は、乃ち九分有り。この女識らずして持ち来り、市に詣りて之を衒賷す。凡愚小児、また別たざるが故に、迦羅迦を買ひ、噉ひ已りて命終す。有智の人の輩、是の事を聞き已りて、この女人に問ふ。なんじ何の処より、この果を持ち來ると。この時女人、すなわち方所を示す。諸人即ち言く。かくの如き方所には、多く無量の迦羅迦樹有りて、ただ一根の鎭頭迦樹有りと。諸人知り已り、笑ひて捨て去さるが如し。善男子、大衆の中の、八不浄の法も、またかくの如し。この衆中に於て、多くこの如きの八法を受用することあり。ただ一人の清浄持戒なる有りて、かくの如きの八不浄の法を受けず。善く諸人の非法を受蓄することを知りて、しかも事を同くして、相捨離せず。彼の林中の一の鎭頭迦樹の如くならん〉と。
}
又十輪経云、若依我法、出家造作悪行。此非沙門、自称沙門、又非梵行、自称梵行。
- また『十輪』にのたまはく、〈もしわが法によりて出家して悪行を造作せん。これ沙門にあらずしてみづから沙門と称し、また梵行にあらずしてみづから梵行と称せん。
如是比丘、能開示一切天竜夜叉、一切善法功徳伏蔵、為衆生善法識。
- かくのごときの比丘、よく一切天・竜・夜叉、一切善法功徳の伏蔵を開示して、衆生の善知識とならん。
雖不少欲知足、剃除鬚髪、被著法服。以是因縁故、能為衆生、増長善根。於諸天人、開示善道。
- 少欲知足ならずといへども、剃除鬚髪して、法服を被着せん。この因縁をもつてのゆゑに、よく衆生のために善根を増長せん。もろもろの天・人において善道を開示せん。
乃至破戒比丘、雖是死人、而戒余勢、猶如牛黄。
- 乃至破戒の比丘、これ死せる人なりといへども、しかも戒の余才、牛黄のごとし。
此牛雖死、而人故取之。亦如麝香死後有用云云。
- これ(牛)死するものといへども、人ことさらにこれを取る。また麝香ののちに用あるがごとし〉と、云々。
既云迦羅林中、有一鎮頭迦樹。此喩像運已衰、破戒満世、僅有一二持戒比丘。
又云破戒比丘、雖是死人、猶如麝香死而有用、死而有用。為衆生善知識。
- またいはく、〈破戒の比丘、これ死せる人なりといへども、なほ麝香の死して用あるがごとし。衆生の善知識となる〉と。
明知、此時漸許破戒為世福田。同前大集。
- あきらかに知んぬ、このときやうやく破戒を許して世の福田とす。前の『大集』に同じ。
次像季後、全是無戒、仏知時運、為済末俗、讚名字僧、為世福田。
- 次に、像季の後は、まつたくこれ戒なし。仏、時運を知ろしめして、末俗を済はんがために名字の僧を讃めて世の福田としたまへり。
又大集五十二云、若後末世、於我法中、剃除鬚髪、身著袈裟名字比丘、若有檀越、信施供養、得無量阿僧祇福。
- また『大集』の五十二にのたまはく、〈もし後の末世に、わが法のなかにおいて鬚髪を剃除し、身に袈裟を着たらん名字の比丘、もし檀越ありて捨施供養をせば、無量(阿僧祇)の福を得ん〉と。
又賢愚経云、若有檀越、将末来世、法埀欲尽、正使比丘、畜妻挟子、四人以上名字僧衆、応当敬視、如舎利弗、大目連等。
- また『賢愚経』にのたまはく、〈もし檀越、将来末世に法尽きんとせんに垂として、まさしく妻を蓄へ、子を侠ましめん四人以上の名字の僧衆、まさに礼敬せんこと、舎利弗・大目連等のごとくすべし〉と。
又大集云、若打罵破戒無戒、身著袈裟 罪同出万億仏身血。
- またのたまはく、〈もし破戒(無戒)を打罵し、身に袈裟を着たるを知ることなからん、罪は万億の仏身より血を出すに同じからん。
若有衆生、為我法故、剃除鬚髪、被服袈裟、設不持戒、彼等悉已、為涅槃印又所印也。
- もし衆生ありて、わが法のために剃除鬚髪し袈裟を被服せんは、たとひ戒を持たずとも、かれらはことごとくすでに涅槃の印のために印せらるるなり〉と。
{
是人猶能為諸人天、示涅槃道、是人便已於三宝中、心生敬信、勝於一切九十五種外道、其人必能速入涅槃、勝於一切在家俗人、唯除在家得忍辱人、是故、破戒天人応当供養。
- この人なほ能く諸の人天の爲に、涅槃の道を示す。この人便ち已に三宝の中において、心に敬信を生じて、一切の九十五種の外道に勝る。この人必ずよく速に涅槃に入り、一切在家の俗人に勝る。ただ在家の忍辱を得たる人を除く。是の故に、破戒なるも天人當に供養すべし。
}
又大悲経云、仏告阿難、於後末世、法欲滅時、当有比丘比丘尼、於我法中、得出家 已、手牽児臂、而共遊行、従酒家至酒家。於我法中、作非梵行。
- 『大悲経』にのたまはく、〈仏、阿難に告げたまはく、《将来世において法滅尽せんと欲せんとき、まさに比丘・比丘尼ありて、わが法のなかにおいて出家を得たらんもの、おのれが手に児の臂を牽きて、ともに遊行してかの酒家より酒家に至らん。わが法のなかにおいて非梵行をなさん。
彼等雖為酒因縁、於此賢劫、一切皆当得般涅槃、斯賢劫中、当有千仏興出世、我為第四、次後弥勒、当補我処、乃至最後、盧遮如来、如是次第、汝応当知、
- かれら酒の因縁たりといへども、この賢劫のなかにおいて、[一切みなまさに、この賢劫中に般涅槃を得ん。] まさに千仏ましまして興出したまはんに、わが弟子となるべし。[我を第四となす。] 次に、後に弥勒まさにわが処を補ぐべし。乃至最後盧至如来まで、かくのごとき次第に、なんぢまさに知るべし。
阿難、於我法中、但使性是沙門、汚沙門行、自称沙門。形似沙門、当有被著袈裟者、於賢劫中、弥勒為首、乃至盧遮如来、彼諸沙門、如是仏所、於無余涅槃、次第得入涅槃。無有遺余、
- 阿難わが法のなかにおいて、ただ性のみこれ沙門にして、沙門の行を汚し、みづから沙門と称せん、かたちは沙門に似て、ひさしく袈裟を被着することあらしめんは、賢劫において弥勒を首として乃至盧至如来まで、かのもろもろの沙門、かくのごときの仏の所にして、無余涅槃において次第に涅槃に入ることを得ん。遺余あることなけん。
何以故。
- なにをもつてのゆゑに。
如是一切沙門中、乃至一称仏名、一生信者、所作功徳、終不虚設、我以仏智、測知法界故云云。
- かくのごとき一切沙門のなかに、乃至ひとたび仏の名を称し、ひとたび信を生ぜんもの、所作の功徳つひに虚設ならじ。われ仏智をもつて法界を測知するがゆゑなり》〉と、云々。
{
維摩経云、仏十号中、聞初三福、仏若広説、経劫不尽。云云
- 『維摩経』に云く、〈仏の十号の中に、初の三を聞くの福、仏若し広く説かば、劫を経るも尽きず〉。
}
此等諸経、皆指年代、将末来世名字比丘、為世導師。
- これらの諸経に、みな年代を指して将来末世の名字の比丘を世の尊師とす。
若以正法時制文、而制末法世名字僧者、教機相乖、人法不合。
- もし正法の時の制文をもつて、末法世の名字の僧を制せんは、教・機あひ乖き、人・法合せず。
由此律云、制非制者、是制断三明所記、豈有罪。此上引経配当已訖。
- これによりて『律』にいはく、〈非制を制するは、すなはち三明を断ず。記説するところこれ罪あり〉と。この上に経を引きて配当しをはんぬ。
後挙教比例者、末法法爾正法毀壊、三業無記。四儀有乖。且如像法決疑経云。
- 後に教を挙げて比例せば、末法法爾として正法毀壊し、三業記なし。四儀乖くことあらん。しばらく『像法決疑経』にのたまふがごとし。
{以下、経名のみ引文されている部分}
若復有人、雖造塔寺、供養三宝、而不生敬重、請僧在寺、不供養飲食衣服湯薬、返更乞貸、食噉僧食、不問貴賤、一切専欲於衆僧中、作不饒益、侵損悩乱、如比人輩、永堕三途。
今見俗間、盛行此事、時運自爾、非人故爾、檀越既無檀越志、誰得誹僧無僧行。
- 〈もしまた人有りて、塔寺を造りて、三宝を供養すといえども、しかも敬重を生ぜず。僧を請じて寺に在るも、飲食衣服湯薬を供養せず。かえりてさらに乞貸して、僧食を食噉し、貴賤を問はず。一切もっぱら衆僧の中に於て、不饒益を作し、侵損悩乱せんと欲す。この如き人の輩、永く三途に堕す〉と。
- いま俗間を見るに、盛にこの事を行ず。時運自らしかなり。人の故にしかるに非ず。檀越すでに檀越の志無し。誰か僧に僧の行無きことを誹ることを得んや。
又遺教経云、
一日乗車馬、除五百日斉、当代行者之罪、何呈持斎之徳。
- 〈一日車馬に乗すれば、五百日の齊を除く〉 と。当代の行者の罪、何ぞ持斎の德を呈せんや。
又法行経云、
我弟子、若受別請、不得国王地上行、不得飲国王地水、五百大鬼、常遮其前、五千大鬼、常従罵言仏法大賊、
- 〈わが弟子、もし別請を受くは、国王の地上に行くことを得ざれ。国王の地水を飲むことを得ざれ。五百の大鬼、常に其の前に遮り、五千の大鬼、常に從ひ罵りて仏法の大賊なりと言はん〉 と。
鹿子母経云、
別請五百羅漢、猶不得名福田、若施一似像悪比丘、得無量福。
当代道人、已好別請、何処植福、持戒之人、豈加之哉、既不践王地上、亦不許飲王地水、五千大鬼、当罵大賊、嗟乎持戒僧衆、何於其改過乎、
- 〈五百の羅漢を別請せんは、なほ福田と名くることを得ず。もし一の似像の悪比丘に施せば、無量の福を得ん〉と。
- 当代の道人、すでに別請を好めり。何の処に福を植えんや。持戒の人、あにこの如くならんとすと。既に王の地上を踐まず。また王の地水を飲むことを許さず。五千の大鬼、まさに大賊なりと罵むべし。ああ、持戒の僧衆、何ぞこれにおいて過ち改めんや。
又仁王経云、
若我弟子、為官所使、都非我弟子、立大小僧統、共相摂縛、当爾之時、仏法滅没、是為破仏法、破国因縁云云
推仁王等、拝僧統、以為破僧之俗。
彼大集等、称無戒、以為済世之宝、豈留破国之蝗、還弃保家之宝。
須不分二類、共飡一味、僧尼不絶跡、鳴鐘不失時、然乃允末法之教、令有国之道。
- 〈もしわが弟子、官の為に使はれん所は、すべてわが弟子に非ず。大小の僧統を立てて、共に相攝縛せん。その時にあたりて、仏法滅没す。これを仏法を破し、国を破する因縁となす〉 と云云。
- 『仁王』等を推するに、僧統を拜する、以て破僧の俗となす。彼の『大集』等には、無戒を称して、以て済世の宝となす。あに破国の蝗を留め、還りて保家の宝を弃(す)てんや。
- すべからく二類(破戒と無戒)を分かたず、共に一味を飡して、僧尼跡を絶たず、鳴鐘、時を失せざるべし。しかればすなわち末法の教、国をたもたしむるの道に允(そぐ)はん。