西方
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さいほう
西方にある阿弥陀仏の極楽浄土。→浄土 (じょうど)。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- インクルード 指方立相
しほう-りっそう
浄土の方処を西方と指示し、具体的な阿弥陀仏や浄土の荘厳相を立ててあらわすこと。仏の
とあるのが「指方立相」の語の出拠である。
『無量寿経』には、
と、西方の
と、阿弥陀仏のまします
と、凡夫の救済をあらわすために、釈尊はことさらに別して極楽(浄土)を西方と説かれたのだとする。なお安楽や極楽の語は梵語sukhāvatī( スカーヴァティー)の翻訳語で煩悩の滅却した「幸ある処」という意味である。
この浄土が西方であることの意を、道綽禅師は『安楽集』で、
と、日が東から出て西へ沈むように、西方は万物の帰する処であるから阿弥陀仏は西に浄土を建立したのだという。善導大師は釈尊の教説として浄土は西方であると示された(釈尊の弁立)とし、道綽禅師は阿弥陀仏が、その本願に拠って西方に浄土を建立された(阿弥陀仏の建立)とする違いはあるのだが、ともに西方という方処を指し示すのである。仏教では自己の存在の拠り所を帰依というのであるが、浄土真宗では、死の帰するところは浄土であるとし、この帰するところが生の依って立つところでもあるから帰依という。浄土という目指べき方処があるから、生きることの意味があるのである。
『安楽集』には、曇鸞大師の逸話として、
- またつねに世俗の君子ありて、来りて法師(曇鸞)を
呵 していはく、「十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に注 むる。 あに偏見の生にあらずや」と。 (安楽集 P.247)
と、君子(東魏の国王)が曇鸞大師を呵(せめ、笑う)して問う。これに対して曇鸞大師は、
と答えられたという。わたしは悟れば娑婆も浄土であるという十地の地位にある菩薩ではありません。牛が自らの背に食べる草があるといえども、心は常に帰るべき牛小屋の槽櫪(飼い葉おけ)に思いを馳せる者であります、というのである。御開山はこの一段を慶ばれて、
- 世俗の君子幸臨し
- 勅して浄土のゆゑをとふ
- 十方仏国浄土なり
- なにによりてか西にある
- 鸞師こたへてのたまはく
- わが身は智慧あさくして
- いまだ地位にいらざれば
- 念力ひとしくおよばれず (高僧和讃)
と「和讃」しておられる。
なお、天親菩薩の『浄土論』には、
と、浄土は、この世を勝過し、虚空のように広大で辺際が無いと論じている。浄土は西方であると指示しながら、実は辺際 (はて、限り) が無い虚空のごとしというのであるから、無方無相である。御開山は、この『浄土論』の「観彼世界相 勝過三界道。究竟如虚空 広大無辺際」を、
と、和讃しておられる。御開山は、唯仏与仏の知見(ただ仏と仏のみが知見しうる境界)であるのが浄土であるともといわれるのである。
浄土真宗では、たとえ「真如法性」や「無生の生」を論ずることはあっても「凡情を遮せず」として凡夫の情をむやみに遮蔽することはない。この重層構造が御開山の浄土思想が難解だというのであろう。
ともあれ、浄土真宗の門徒は、西方に沈む夕日に合掌礼拝し、西方浄土への往生を期してきたのであるが、これが日本人の生死についての原点風景であろう。
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