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法華と念仏と同時の教といへること

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ほっけとねんぶつとどうじのきょうといえること

 釈尊が霊鷲山での『法華経』の説法を一時中止して王宮において『観経』の念仏の教えを説かれたことをいう。覚如(かくにょ)上人の『口伝鈔(くでんしょう)』(一五)等にみえる。(御文章P.1166)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『観経』耆闍分に、『観経』を説き終わって、

そのときに世尊、足虚空を歩みて耆闍崛山に還りたまふ。そのときに阿難、広く大衆のために、上のごときの事を説くに、無量の諸天および竜・夜叉、仏の所説を聞きて、みな大きに歓喜し、仏を礼して退きぬ。 (観経 P.117)

とあるによる。