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一々の願に…

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いちいちの願に…

 善導大師は四十八願のすべてに第十八願の意を認める。 (玄義分 P.326)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『観経疏』玄義分に、

一一願言 若我得仏十方衆生 称我名号願生我国下至十念 若不生者不取正覚。
一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉と。

とある。 第一願の、無三悪趣(むさんまくしゅ)の願から、第四十八願の得三法忍(とくさんぼうにん)の願まで、全ての願に「称我名号 願生我国(わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜん)」と第十八願乃至十念の意(こころ)があるとする。 何処をどう読めばそうなるかの説明は全く無いのだが、善導大師(613-681)は阿弥陀仏の本願はわたくしに称名(なんまんだぶ)をさせて生死を超える仏道であると見極められておられたのであった。それがやがて500年後の法然聖人(1133-1212)の浄土教への回心につながり、浄土へ往生してさとりを開く「念仏往生」として、浄土宗の立教開宗に結実するのであった。→法然聖人の回心
この意を正確に承けて「本願力回向」の「念仏成仏」の成仏道として展開されたのが御開山の示された「浄土真宗」であった。