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空見

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くうけん

 というものにとらわれる誤った見解。 (安楽集 P.208要集 P.1133)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

安楽集』に、

このゆゑに『無上依経』(意)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈一切の衆生もし我見を起すこと須弥山のごとくならんも、われ懼(おそ) れざるところなり。 なにをもつてのゆゑに。 この人はいまだすなはち出離を得ずといへども、つねに因果を壊せず、果報を失はざるがゆゑなり。 もし空見を起すこと芥子のごとくなるも、われすなはち許さず。 なにをもつてのゆゑに。 この見は因果を破り喪(うしな)ひて多く悪道に堕す。 未来の生処かならずわが化に背く〉」と。(安楽集 P.208)

と、空思想を表面的にのみ理解して、空の理に沈んで修行する意欲を失うおそれがあることを空見といふ。

七地沈空の難
卑湿の淤泥…
正しい宗教的向上心を否定して、仏教教義の基本である道徳上の因果律を認めず、あるいは仏教の深い道理が理解できないで誤って領解して、一切万物の存在を無であるとする虚無思想のこと。六師外道富蘭那などの説を指すが、仏教の中にもあるとされる。このような虚無論に基づく立場を空見論という。