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三所の一念

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三所の一念

 さんしょのいちねん

『無量寿経』にある三ヵ所の一念の語のこと。下輩の一念は第十九願(要門)や第二十願(真門)に親しいから自力であるとする。

本願成就文の一念(第十八願成就)
あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く。 (大経下 p.41)
下輩の一念(諸行往生)
まさに無上菩提の心を発して一向に意をもつぱらにして、乃至十念、無量寿仏を念じたてまつりて、その国に生れんと願ずべし。もし深法を聞きて歓喜信楽し、疑惑を生ぜずして、乃至一念、かの仏を念じたてまつりて、至誠心をもつてその国に生れんと願ぜん。この人、終りに臨んで、夢のごとくにかの仏を見たてまつりて、また往生を得。(大経下 p.43)
名号の付属の一念(付属の一念)
仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。(大経下 p.81)

法然聖人は三所の一念は一声の一念とされた。これに対して御開山は異訳の『無量寿如来会』に、

「無量寿如来の名号を聞きて、乃至、能く一念の浄信を発して歓喜愛楽し」(如来会)(信巻 P.213)

と「一念の浄信」とあるところから、本願成就文の一念は「信の一念」に親しいと領解されたのであった。


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