念仏往生の願
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ねんぶつおうじょうのがん
第十八願。(正像 P.605)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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法然聖人は、
- 善導独り総じて念仏往生の願といへり。諸師の別して十念往生の願といふは、その意すなはちあまねからず。しかる所以は、上一形を捨て、下一念を捨つるゆゑなり。
- 善導の総じて念仏往生の願といふは、その意すなはちあまねし。しかる所以は、上一形を取り、下一念を取るゆゑなり。(選択本願念仏集 P.1214)
と、乃至十念の十念の数に固執させないために善導大師は「念仏往生の願」とされたとした。もっとも善導大師には「念仏往生の願」という語はなく、法然聖人の命名である。
御開山は大信である第十八願]の出拠を「この心すなはちこれ念仏往生の願より出でたり。この大願を選択本願と名づく」(信巻 P.211)とされておられた。