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中論

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ちゅうろん

 四巻。 後秦(こうしん)鳩摩羅什訳。 龍樹菩薩の中論本頌(ほんじゅ)青目(しょうもく)の註釈を付したもの。 あらゆる事物事象に実体がないとする縁起・(くう)無自性(むじしょう)を説き、世俗諦・勝義諦という二真理説を展開する。 →龍樹(りゅうじゅ)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

四句
オンライン版 仏教辞典より転送

中論

Madhyamaka-kārikā मध्यमककारिका (skt.)

龍樹の主著。元のサンスクリット語での書名は『中についての頌』という意味で、その第24章「聖諦の考察」第18頌の

縁起であるところのもの、それをわれわれは空性であると呼ぶ、その空性は「素材に基づいて認識上設定すること(施設)」であり、空性はそのまま「中の実践中道」である

からきている。すなわち『中論』は「縁起・空性・仮」の在りかたを明らかにして、「中の実践」を課題とする論書ということである。

内容

 『中論』の偈は、現在他の人々がそれに付した註釈とともに伝わっており、それら諸本によって、その総数がやや異なる。すなわちサンスクリット本で計448偈、『無畏論』の名のチベット訳本は計445偈、漢訳本では計445偈で、それぞれに多少出入りがある。それらはいずれも27章に分かれて論じられており、章の名称(いわゆる品名)も必ずしも一致しない。各章ごとの偈の数も異なる場合がある。  「空」は、前述したとおり、サンスクリットでは「śūnya」(形容詞、名詞形は「śūnyatā」)という。このśūnyaおよびそれに直接関連した語(aśūnya, śūnyatā, śūnyatva)を拾い出してみると、語数は『中論』の中に54ある。もしも什訳本で「空」およびそれに関連した語(不空、空義、空法、その他、そして第24章18の「無」を加える)を拾い出してみると、語数は58ある。以上の各語は、一つの偈のなかに二度ないしそれ以上あらわれる場合があるので、いまśūnya=空(およびそれに関連した語)の登場する偈を見てみると、その偈数はサンスクリット本では計38偈に、什訳本では計41偈に達する。いまそれらを全部合わせて列挙すると、次のとおりである。

第4章 8, 9

第5章 1
第8章 6
第13章 2, 3, 7(羅什8)、8(羅什9)
第17章 20, 27,
第18章 5
第20章 16, 17, 18
第21章 19(什8)
第22章 10, 11, 14
第23章 8, 13, 14
第24章 1, 5, 6, 7, 11, 13, 14, 18, 19, 20, 22, 33, 35, 36, 37, 39
第25章 1, 2, 22
第27章 29偈

 これらを一瞥すれば、「空」という語そのものは、『中論』に比較的おそくあらわれること、そして第24章に集中してあらわれることがよく判る。

 ところでこの第24章は、サンスクリットでは「聖なる真理(聖諦)の考察」、羅什訳は「観四諦品」と名づけられ、『中論』のなかで最も長い章であり、また最も重要な章の一つである。このことは、最も有名な「三諦(空ー仮-中ー)偈」と称される第18偈がその中心に置かれ、この偈にただ一度だけ出てくる「中(道)」の語が、この書物のタイトルになっていることからも明らかであろう。
 なお第18偈の全文はつぎのとおりである。

 衆因縁生法 我説即是無
 亦為是仮名 亦是中道義
 yaḥ pratītyasamutpādaḥ śūnyatāṃ tāṃ pracaṣmahe/
 sā prajñaptirupādāya pratipatsaiva madhyamā//
縁起であるものをすべてわれわれはすなわち空であると説く。
その空は相対的な仮説である。これが実に中道である。

 『中論』の中心思想は、

縁起――無自性――空

にある。そしてこの軸を基盤にすえて、空はその論理を獲得し、空の意義。ありかた・本質ともいうべきものが、充分に理解されるようになった。以下は無自性の項に詳しい。


構成

 全体は、すべてのものは独立的には生じない(不生(ふしょう))を説明する「ものの生起条件(縁)の考察」を始めとする27章により構成されている。物事を固定的・実体的に把握しがちな言語・観念が煩悩の根源となっているとする観点から、言語・観念の内含する矛盾を徹底的に指摘していくという論法がとられる。これは「空性はすべての固定的な考え方から離れること」だからであり、そのために帰謬(きびゅう)論証的な表現形式が多用される。

注釈書

  • 龍樹に帰せられる無畏
  • 青目(Piṇgala,4世紀)の漢訳『中論』(鳩摩羅什訳)
  • 仏護(Buddhapālita,470-540(頃))の『仏護注』
  • 清弁(490-570(頃))の『般若灯論』(はんにゃとうろん)
  • 月称(Candrakīrti,650(頃))の『浄明句論』(じょうみょうくろん)

など

参考図書