讃嘆
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さんだん
Ⅰ
Ⅱ ここでは、法話、法談の意。(御文章 P.1117, P.1157, P.1163,一代記 P.1236,P.1293)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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讃歎ともいう。仏の徳をほめたたえること。
さんだん 讃嘆(歎)
仏や菩薩などの徳をほめたたえること。天親はこれを『浄土論』で五念門の一つに挙げて阿弥陀仏の名を称することとし、これをうけた曇鸞は『論註』に
- 「称彼如来名といふは、 いはく無礙光如来の名を称するなり」(信巻引文・註 P.214)
御開山は『論註』の讃歎門から、
- 大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。 この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。
しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。(行巻 P.141)
と「大行」とされておられる。
『大智度論』には、
とある。天親菩薩の『浄土論』には、五念門の一つに「讃嘆門」をあげ、善導大師は五正行の一に讃嘆供養をあげている。浄土真宗では、この五正行中の称名を浄土に生まれる正定業とする。
御開山は『尊号真像銘文』で、
- 「称仏六字」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは仏をほめたてまつるになるとなり。また「即懺悔」といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになると申すなり。(尊号 P.655)
と、南無阿弥陀仏を称えることは阿弥陀仏を讃嘆(ほめたてまつったことになる)であるとされておられる。