「歓喜」といふは
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「かんぎ」といふは・・・
親鸞聖人は歓喜を必ず実現すると定まっていることがら(往生成仏の果)を待望してよろこぶ意とし、慶(慶喜・慶楽)をすでにわが身の上に実現していることがら(現生で
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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浄土真宗は現在 (現生正定聚) の利益 と当来 (往生浄土) の利益の現当二益を説く。『一念多念証文』ではそれを、
- 未来形のよろこび
- 慶(楽)はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、楽はたのしむこころなり、これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。(一多 P.685)
- 「慶(楽)」とは、得べきことを得たよろこびである。本願の名号を聞き、まことの信心を得るならば、即時に阿弥陀如来の光明に摂取され、決して見捨てたまうことはないからである。
と、いわゆる当来の往生成仏の利益(当益)と、現生における正定聚に入る利益(現益)のよろこびであるといわれていた。
法然聖人は、なんまんだぶを称える人を善導大師が、人中の
- おほよそ五種の嘉誉を流し、二尊(観音・勢至)の影護を蒙る、これはこれ現益なり。また浄土に往生して、乃至、仏になる、これはこれ当益なり。(選択集 P.1261)
と示し、二種の利益として示されていた。御開山はこの現益と当益の二種の利益の説を承けられ、法然聖人の示された現益とは摂取不捨の故に現世で正定聚に入る益として継承展開されたのであった。