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摂取

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せっしゅ

Ⅰ 選択(せんじゃく)摂取の意で、えらびとること。すなわち、劣を捨て勝を取ること。(大経 P.14選択集 P.1203) 

Ⅱ 摂取不捨の義で、仏が衆生をおさめとり、往生せしめること。(御裁断 P.1413選択集 P.1228)

【左訓】
①「弥陀如来(に)をさめとられまゐらせたりとしるべし」(一多 P.684) 
②「をさめ取たまふとなり」(唯文 P.711) 
③「をさめとる」(口伝鈔 P.877)

Ⅲ おさめとること。 (序分義 P.349散善義 P.494安楽集 P.203安楽集 P.206要集 P.925要集 P.1012要集 P.1099)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

せっしゅ 摂取

(おさ)め取ること。仏や菩薩の衆生救済のはたらきをあらわす語として用いられる。『浄土和讃』に
「十方微塵世界の
 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる」(註 571)

とあり、「国宝本」左訓には「おさめとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追(お)はへとるなり。摂はおさめとる、取は迎へとる」とある。 →摂取不捨

② →選択。 (浄土真宗辞典)

『大経』には法蔵菩薩が、二百一十億の諸仏の浄土の因を覩見して、仏国を荘厳する清浄の行を摂取したと説かれている。ただし法然聖人は 「摂取」と「選択」 は本来、同義であるが、前者の「摂取」の語には 「捨」 の義がかくれているので、善妙なるものを取り(選取)粗悪なものを捨てる(選捨)という意で『大阿弥陀経』の選択の語を使われた。(選択本願念仏集 P.1204)

法然聖人の「選択本願念仏」というキーワードは、まさに阿弥陀仏が本願に選ばれた念仏の一行を選び取り、念仏以外の諸行を選び捨てるという意であった。選択の主体は阿弥陀如来なのである。この摂取を異訳の『大阿弥陀経』では、選択と説かれていたので法然聖人は「選択本願念仏」とされた。