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三在釈

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さんざいしゃく 三在釈

 五逆十悪等の罪業と『観経』下品下生(註 115) に説かれる十念との軽重を在心在縁在決定(けつじょう)の三義によって比較し、罪業より十念のほうが重いことを明らかにした釈のこと。『論註』八番問答(信巻引文 註 299) の中、第六問答に説かれる。在心とは、罪業は誤った見解を拠り処とし、十念名号を聞くことによって生じることをいう。在縁とは、罪業は妄想の心と真実に背いている衆生によって生じ、十念信心名号とによって生じていることをいう。在決定とは、罪業は雑念のまじった心によって生じ、十念は専念の心によって生じることをいう。曇鸞はこの釈をもって、十念の念仏によって五逆十悪のものも迷いの世界を離れ浄土往生することができると示し、『観経』に説かれる十念による往生が、業道経に説かれる先牽の義繋業の義に反しないことを述べている。(浄土真宗辞典)

参照WEB版浄土宗大辞典の「在心・在縁・在決定」の項目