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八番問答

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はちばん-もんどう

 『論註』上巻末(七註 92)に設けられた八つの問答のことで、極悪の機の救いの問題を論じている。極重罪であるところの五逆謗法について、謗法が五逆より罪が重いことを示し、仏法を否定する謗法のものは、浄土を願生することがなく、それゆえ往生を得ることもないと説いている。
これは謗法不生の理由を浄土願生の理がないためと示すものであるから、逆からいえば、謗法のものもその見解をひるがえして願生心をおこしさえすれば往生できるとあらわすものにほかならない。また五逆についても、十念念仏によってその罪が滅することを明らかにし、極悪の機である五逆・謗法のものも、法を信受すれば往生を得る道理があることを示している。なお、親鸞は「信巻」(註 296)に第二問答から第八番問答を引用している。(浄土真宗辞典より)

誹謗正法
非僧非俗

『浄土論』の回向門の偈文には、

我作論説偈 願見弥陀仏 普共諸衆生 往生安楽国。
われ論を作り偈を説く。願はくは弥陀仏を見たてまつり、あまねくもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。(浄土論 P.32)

とある「あまねくもろもろの衆生(普共諸衆生)」について『論註』では、

  1. いかなる衆生が往生できるのか。(*)
  2. 無量寿経と観経の相違をどう解釈するか。(*) (現代語)
  3. 正法を誹謗するものが往生できないわけ。(*)
  4. 正法を誹謗するすがた。(*)
  5. 誹謗正法はどうして五逆罪より重いのか。(*)
  6. 十念念仏による業道の超越。(*)
  7. 十念というときの念の意味。(*)
  8. 憶念の多少を数えられるのか。(*)

と、八番の問答を設けて考察された曇鸞大師の『浄土論註』の記述をいふ。 ことに『観経』によって、

命終のときに臨んで、善知識の教へて南無無量寿仏を称せしむるに遇はん。かくのごとき心を至して、声をして絶えざらしめて十念を具足すれば、すなはち安楽浄土に往生することを得て、すなはち大乗正定の聚に入りて、畢竟じて不退ならん。三塗のもろもろの苦と永く隔つ〉と。(論註 P.95)、(信巻 P.298)

易行の なんまんだぶの十念について述べておられた。

そもそも天親菩薩の『浄土論』は「止観」を修する浄土願生の菩薩道を示す論であったが、曇鸞大師は龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』によって愚鈍の凡夫相応の易行道として解釈された。それを『無量寿経』、『観無量寿経』の経説に拠って凡夫相応の浄土教として意味付けされたのが八番問答である。
御開山は「信巻」末で、自らを悲嘆述懐され、

まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。(信巻 P.266)

と、僧の名乗りである釈の文字を略して「愚禿鸞」といわれておられる。また、「悲哉(悲しきかな)」と述懐されておられる。御開山の、この「悲哉」と「総序」に記された真実のご法義に出遇えたことの感動の誠哉(誠なるかな)と、よろこぶべきことを慶べる慶哉(慶ばしいかな)との「哉」をあわせて、古来から御開山の三哉(さんかな・さんさい)といわれ、浄土真宗のご法義の特長を示す語とされている。御開山は、日本人に「何をよろこび、何をかなしむべきか」を教えて下さった方であるといわれる所以である。

御開山は、自ら「愚禿鸞」であると言わざるを得ない非僧の自己を『涅槃経』現病品以下を長々と引く冒頭に、

それ仏、難治の機を説きて、『涅槃経』(現病品)にのたまはく、「迦葉、世に三人あり、その病治しがたし。
一つには謗大乗、
二つには五逆罪、
三つには一闡提なり。(信巻 P.266)

と、治しがたき難化の機である阿闍世に自らを重ねて、阿弥陀仏の本願力による済度を領解されたのであった。
その意を、曇鸞大師の『浄土論註』の「十念念仏による業道の超越」の文によって確認されたのであった。自業自得の論理から、平等の大悲による済度への仏教思想の大転換であったのである。
これが、『教行証文類」後序で「よりて悲喜の涙を抑へて由来の縁を註す」と感佩された。法然聖人が自画像の讃として自書して下さった、

同じき日、空の真影申し預かりて、図画したてまつる。
同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘は、真筆をもつて「南無阿弥陀仏」と「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまふ。 (化巻 P.472)
の「衆生称念必得往生(衆生称念すればかならず往生を得)」の文、であった。御開山は、信心の形而上ともいえる論理を展開されるのだが、その根底は「乃至十念」の〔なんまんだぶ〕にあることを顕すために、曇鸞大師の極悪の機の救いを示す「八番問答」を引文されたのであろう。