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難度海

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なんどかい

 渡ることが難しい迷いの海。(総序 P.131,行巻 P.153,十住毘婆沙論 P.19要集 P.901)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『十住毘婆沙論』には、

かの八道の船に乗じて、よく難度海を度したまふ。
みづから度しまたかれを度したまふ。われ自在者を礼したてまつる。 (十住毘婆沙論 P.19)

とあり、龍樹菩薩は聖道門の八聖道(八道)を船に譬え難度海を度するとされた。
御開山は、阿弥陀仏の本願によって成就された南無阿弥陀仏は、迷いの海を越えて彼岸へ(わた)し涅槃に至らせる誓願一仏乗念仏成仏の「法」であるから、難思の弘誓である南無阿弥陀仏を大船に喩えて「難思の弘誓は難度海を度する大船」とされたのである。 「行巻」の行一念釈で名号(なんまんだぶ)の徳を讃嘆し、

しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。(行巻 P.189

と、なんまんだぶを難度海を度(わた)す「大悲の願船」とされている。『浄土文類聚鈔』では、

いま(ねが)はくは道俗等、大悲の願船には清浄の信心を順風とし、無明の闇夜には、功徳の宝珠大炬とす。心(くら)(さとり) (すく)なきもの、敬ひてこの道を(つと)めよ。 (浄文 P.484)

とあり、無明の闇夜には、功徳の宝珠(なんまんだぶ)を大炬とせよとある。口に称えるなんまんだぶは、

しかれば(みな)を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。(行巻 P.146)

とあるように無明の難度海を度す行信の大船であった。

誓願一仏乗
念仏成仏
功徳の宝珠
正定業
無明