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ありし

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2018年12月31日 (月) 11:46時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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ありし、を「過去を表わす体験の助動詞」とみる説。(筑波大学名誉教授 今井 雅晴氏の講演) →ノート:ありしを参照

また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふにもまゐりてありしに、ただ後世のことは、よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば

この場合の「ありし」は、直接に体験した過去の事実や、確実にあった過去の事柄を回想して述べる時に用いられる語であるとする。この「過去を表わす体験の助動詞」とみれば、恵信尼公の直接体験の過去を表現しているので、親鸞聖人が法然聖人の元で聴聞されたのを恵信尼公が見ていたということになる。つまり恵信尼公とは京都で知り合われたということになる。
恵信尼公が、日記をつけられていたという「そのときの日記には、四月の十一日のあか月、「経よむことは、まはさてあらん」と仰せ候ひしは、やがて四月の十一日のあか月としるして候ひけるに候ふ」の記述や、ご自分の孫を「また公達のこと、よにゆかしくうけたまはりたく候ふなり」とされておられることを勘案すると京都で宮仕えをしていた女性であると思われるので、御開山と恵信尼公は京都で知り合われたのであろう。なお当時の流罪にあたっては妻を同道することは認められていたという説もあるので越後婚姻説とも矛盾しないと思ふ。(恵信尼 P.811)


ある意味、どうでもいいのだが、学生や学者の論文ネタにどうぞ(笑