ありし
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古文の過去の助動詞 「けり」と「き」についてのメモ。
未然形 | 連用形 | 終止形 | 連体形 | 已然形 | 命令形 | |
---|---|---|---|---|---|---|
けり(間接過去) | (けら) | ○ | けり | ける | けれ | ○ |
き (直接過去) | せ | ○ | き | し | しか | ○ |
過去をあらわす助動詞の、「けり」と「き」の使い分けは、「けり」は伝聞、伝来した事実を回想的に述べるのに対し、「き」は自分が直接経験した過去の事実を回想して述べるという使い分けがある。
例文:けり(間接体験)
- 本文: みな御そらごとどもにて候ひけり。(御消息8)
- 現代語: みな、うそやつくりごとなどであった。
*助動詞「けり」には詠嘆の意味もあり、和歌・俳句の句末に用いられている「けり」は,詠嘆の意味で用いられている場合が多い。
例文:き(直接体験)
- 本文: 「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の仰せごとにてありき。(御消息23)
- 現代語: 「他力には義のないことを義とするのだ」と、法然聖人が仰ったことを、私は、この耳で聞いていた。
恵信尼公の下記の文章の「あり+し」、を「過去を表わす体験の助動詞」とみる説では、
- 本文: また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふにもまゐりてありしに、
- 現代語: また百箇日のあいだ、雨の日も晴れの日も、どのような大風の時にも、法然聖人のもとへ参られたのを、私は見ておりました。(直接体験)
と、いう意味になるという説がある。この説によれば御開山は京都で恵信尼公と知り合われたということになる。
なお、『平家物語」には、
信濃国に配流されていた源資賢は、2年後の長寛2年(1164年)に召還される。配所から戻った資賢は後白河上皇の要望で今様を歌い、「信濃にあんなる木曽路川」(信濃にあると聞く木曽路川)の原歌を「信濃にありし木曽路川」(信濃で実際に見た木曽路川)と自分の境遇に合わせて歌詞を言い替えた。この機転に後白河院は喜ばれたという。(wikipediaの源資賢の項を参照した) 平家物語 - 巻第六・嗄声