善導大師は四十八願のすべてに第十八願の意を認める。 (玄義分 P.326)
無三悪趣(むさんまくしゅ)の願から、得三法忍(とくさんぼうにん)の願まで、救いが成就されてあり、その今がなんまんだぶを称えることだという教説は人間の論理からは出てこない発想だな。