「本願」の版間の差分
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梵語プールヴァ・プラニダーナ (pūrva-praṇidhāna) の意訳。仏が<kana>因位(いんに)</kana>の菩薩であった時におこした[[因本]]の願いという意。この願いは、それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなっているので[[誓願]]といわれる。また、衆生救済のための根本となる願の意で、阿弥陀仏の四十八願中、とくに[[第十八願]]を指していう。[[法然]]は『選択集』「本願章」の冒頭に | 梵語プールヴァ・プラニダーナ (pūrva-praṇidhāna) の意訳。仏が<kana>因位(いんに)</kana>の菩薩であった時におこした[[因本]]の願いという意。この願いは、それが完成しなければ仏にならないという誓いをともなっているので[[誓願]]といわれる。また、衆生救済のための根本となる願の意で、阿弥陀仏の四十八願中、とくに[[第十八願]]を指していう。[[法然]]は『選択集』「本願章」の冒頭に | ||
:「弥陀如来、余行をもつて往生の本願となさず、ただ念仏をもつて往生の本願となしたまへる文」([[選択本願念仏集 (七祖)#no3|七祖 1201]]) | :「弥陀如来、余行をもつて往生の本願となさず、ただ念仏をもつて往生の本願となしたまへる文」([[選択本願念仏集 (七祖)#no3|七祖 1201]]) | ||
− | と述べ、阿弥陀仏の本願の意義を明らかにし、選択本願の念仏を主張した。→[[願]]、[[補註17]]、[[七祖-補註12]] | + | と述べ、阿弥陀仏の本願の意義を明らかにし、選択本願の念仏を主張した。→[[願]]、[[補註17]]、[[七祖-補註12]]。(浄土真宗辞典) |
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2024年9月29日 (日) 21:07時点における版
ほんがん
梵語プラニダーナ(praņidhāna)またはプールヴァ・プラニダーナ(pūrva-praņidhāna)の漢訳で、以前からの願いという意。菩薩が
ここでは、
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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ほんがん 本願
梵語プールヴァ・プラニダーナ (pūrva-praṇidhāna) の意訳。仏が
- 「弥陀如来、余行をもつて往生の本願となさず、ただ念仏をもつて往生の本願となしたまへる文」(七祖 1201)
- インクルード補注
補 註 |
---|
阿弥陀仏 |
往生・真実証・浄土 |
機・衆生 |
具縛の凡愚・屠沽の下類 |
業・宿業 |
正定聚 |
信の一念・聞 |
真実教 |
旃陀羅 |
大行・真実行 |
大信・真実信 |
他力・本願力回向 |
同朋・同行 |
女人・根欠・五障三従 |
方便・隠顕 |
菩薩 |
本願 |
→七祖 補註へ |
- 17本願(ほんがん)
本願の意味には
この因本の願には、総願と別願とがある。総願とは、すべての
次に別願とは、それぞれの菩薩に特有なものであり、これによってそれぞれの仏の性格が異なってくる。阿弥陀仏が因位のときにおこされた四十八願は、この別願である。『
根本の願いとは、この四十八願は第十八願を根本とし、余の四十七願は第十八願を開いた枝末の願とみることをいう。そこで
第十八願には、「たとひわれ仏を得たらんに、
親鸞聖人はここに誓われてある
この五願は真実五願といわれ、『
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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