「七祖-補註5」の版間の差分
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源信和尚は『往生要集』第四正修念仏門に、『浄土論』所明の五念門行に依拠して往生の行業を説き示している。その中心となる観察門の中には、別相観・総相観・雑略観を明かし、雑略観の中に極略の法として、相好の観念に堪えない劣機のために、帰命相、引接相、往生相による称名念仏を説き示している。第六別時念仏門では、[[尋常]](平生)の別行と[[臨終の行儀]]が明かされているが、その臨終の行儀においては『観経』諸説の十念の称名念仏がとくに取り上げられている。また第八念仏証拠門では、第十八願が特別の願として重視され、さらに『観経』下下品の意をもって、極重の悪人は称名念仏以外に往生の道はないと説き示されている。ひるがえって、本書の序をみると、源信和尚自身「予がごとき頑魯のもの」といい、道俗貴賎が修するに覚り易く行じ易いといわれるのであるから、和尚の行業論のかなめが易修の法としての称名念仏にあったということが知られる。 | 源信和尚は『往生要集』第四正修念仏門に、『浄土論』所明の五念門行に依拠して往生の行業を説き示している。その中心となる観察門の中には、別相観・総相観・雑略観を明かし、雑略観の中に極略の法として、相好の観念に堪えない劣機のために、帰命相、引接相、往生相による称名念仏を説き示している。第六別時念仏門では、[[尋常]](平生)の別行と[[臨終の行儀]]が明かされているが、その臨終の行儀においては『観経』諸説の十念の称名念仏がとくに取り上げられている。また第八念仏証拠門では、第十八願が特別の願として重視され、さらに『観経』下下品の意をもって、極重の悪人は称名念仏以外に往生の道はないと説き示されている。ひるがえって、本書の序をみると、源信和尚自身「予がごとき頑魯のもの」といい、道俗貴賎が修するに覚り易く行じ易いといわれるのであるから、和尚の行業論のかなめが易修の法としての称名念仏にあったということが知られる。 | ||
− | 法然上人は善導大師の称名正定業義をまさしく継承し、それをさらに選択本願念仏論へと展開していかれた。すなわち、上人は阿弥陀仏がその本願において、余行を選び捨て、称名念仏のみを往生行として選び取られたのであるとして、善導大師ではいまだ明確でなかった本願それ自体における[[選択]][[廃立]]を明らかにし、これを[[選択本願]]念仏とよばれたのである。『選択集』「[[選択本願念仏集 (七祖)#P--1207|本願章 一二〇七]]」には、阿弥陀仏によるその選択の理由を説いて、余行は難行にしてしかも劣行であるが、念仏は易行にしてしかも最勝の行であるといい、そうした勝易具足の念仏であるからこそ、万人を平等に救う行法として選び取られたのであると明かしている。称名念仏がこのように如来によって選び定められた本願の行である以上、それはそのままで「自然に往生の業となる」([[選択本願念仏集 (七祖)#不回向回向対|同・二行章 一一九七]]) | + | 法然上人は善導大師の称名正定業義をまさしく継承し、それをさらに選択本願念仏論へと展開していかれた。すなわち、上人は阿弥陀仏がその本願において、余行を選び捨て、称名念仏のみを往生行として選び取られたのであるとして、善導大師ではいまだ明確でなかった本願それ自体における[[選択]][[廃立]]を明らかにし、これを[[選択本願]]念仏とよばれたのである。『選択集』「[[選択本願念仏集 (七祖)#P--1207|本願章 一二〇七]]」には、阿弥陀仏によるその選択の理由を説いて、余行は難行にしてしかも劣行であるが、念仏は易行にしてしかも最勝の行であるといい、そうした勝易具足の念仏であるからこそ、万人を平等に救う行法として選び取られたのであると明かしている。称名念仏がこのように如来によって選び定められた本願の行である以上、それはそのままで「自然に往生の業となる」([[選択本願念仏集 (七祖)#不回向回向対|同・二行章 一一九七]])ものであるから、衆生の側が往生の因となるように願って念仏を回向する必要はまったくない。法然上人はこの義をあらわして、念仏は衆生の側からいえば[[不回向]]の行であると断言された。 |
− | + | 親鸞聖人は衆生からの行の回向を否定する法然上人のこの[[不回向]]義をうけて、如来からの行の回向を語り、回向の主体を阿弥陀仏とする本願力回向の教説を確立していくことになるのである。 |
2018年2月14日 (水) 20:31時点における版
5 行
行とは、梵語チャリヤー (caryā)、またはプラティパッティ (pratipatti) の漢訳で、行為・動作・実践の意、仏教一般では菩提・涅槃に至るための行業を意味するが、浄土教では主に往生のための因となる行業を意味する。
龍樹菩薩は「易行品 五」に、不退の位に至る行として信方便易行の法を説き示された。信方便易行とは信心を方便(方途・道筋)とするたやすい行業の意で、勤行精進を重ねて不退の位に至る難行に対するものである。「易行品」では、十方十仏の名号や、阿弥陀等の諸仏菩薩の名号を聞信して、これを称することが信方便易行の内容として説かれているが、阿弥陀仏についてはとくにその本願や往生の利益などが詳説されており、龍樹菩薩の主意が阿弥陀仏の易行を説くことにあったということが窺われる。
天親菩薩は『浄土論』に、往生の行業として五念門行を説き示された。五念門行とは、①礼拝門(身に阿弥陀仏を礼拝すること)、②讃嘆門 (名義と相応して口に仏名を称え阿弥陀仏の功徳を讃えること)、③作願門 (一心に往生を願って、奢摩他の行を修すること)、④観察門 (阿弥陀仏とその浄土の荘厳相を観察して、毘婆舎那の行を修すること)、⑤回向門 (功徳を衆生にふりむけて共に浄土に生れたいと願うこと)の五種で、天親菩薩の原意では、奢摩他・毘婆舎那の行としての作願・観察の二門がその中心であった。奢摩他・毘婆舎那は唯識派の修道法である瑜伽行に相等するものであり、奢摩他(梵語シャマタśamathaの音写、「止」と漢訳)は心を一境に集中させて寂静三昧に入ること、毘婆舎那(梵語ヴィパシュヤナーvipaśyanāの音写、「観」と漢訳)はその寂静なる状態において対象を正しく観察することを意味する。したがって、作願・観察とはいっても、それは願生して三昧禅定に入り、智慧をおこして浄土の荘厳相を観察する、いわゆる止観の行にあたるものであるから、そのかぎりにおいて、この五念門の実践体系は凡夫には成就し難い、極めて高度な修道法であったといわなければならないのである。
曇鸞大師は『論註』において、『浄土論』の所明をうけ、止観中心の高度な五念門行を明かす一方で、讃嘆門の称名に注目し、これを凡夫相応の往生行としてうちだされた。『論註』(下 一〇三)、起観生信章では、この称名を定義して「無碍光如来の名を称するなり」といい、名義と相応する称名には、名号のもつ破闇満願の徳用が具わるので、よく衆生を往生せしめると説き、同書(上 九六)の八番問答では、この称名が下下品の悪機を往生せしめる行業であることを論証している。また同書(下 一五五)の末尾に示される三願的証では、称名が第十八願にもとづく行であることを明らかにし、称名念仏するものは仏願力に乗じて得生すると述べて往生の道理を本願に帰して語っている。曇鸞大師の『論註』は、そもそもその冒頭に示されるように、龍樹菩薩のいわれる易行道の立場で、『浄土論』を註釈したものであるが、大師のこうした称名行への注目は、『浄土論』に説かれる行業をまさしく易行としてあらわしだそうとされたものであるということができるであろう。
道綽禅師の『安楽集』に示される行業論は多岐にわたっていて、諸行、観念、称名が往生の行として示されている。だが、同書(上 二四一) 第三大門の聖浄二門の釈では、第十八願文を『観経』下下品の文と会合して「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ」と示し、称名念仏の一行が末法濁世の機に相応する行業として明かされており、道綽禅師の行業論の主意が本願所誓の称名一行にあったということが窺われる。
善導大師は「散善義」就行立信釈において、往生行を正行・雑行の二行に分別し、疎雑の行であるところの雑行に対して、阿弥陀仏とその浄土を対象とする正当な往生行であるところの五種の正行(五正行)を明らかにされた。五種の正行とは、①読誦 (浄土の経典を読誦すること)、②観察 (阿弥陀仏とその浄土のすがたを心に想いうかべること)、③礼拝 (阿弥陀仏を礼拝すること)、④称名 (阿弥陀仏の名号を称えること)、⑤讃嘆供養 (阿弥陀仏の功徳をほめたたえ、香華などをささげて供養すること)がそれである。就行立信釈ではつづけて、「またこの正(正行のこと)のなかにつきてまた二種あり。一には一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。もし礼誦等によるをすなはち名づけて助業となす」と述べ、五種の正行をさらに正助二業に分別して、第四の称名をもって正定業とし、前三 (読誦・観察・礼拝) 後一 (讃嘆供養) を助業とすると明かしている。正定業とはまさしく往生の決定する行業、助業とはこの正定業に随伴(ともないつく)する行業という意である。この就行立信釈の文でとくに重要なのは、称名が正定業であることの理由を「かの仏の願に順ずるがゆゑ」と述べているということである。称名によって往生が定まるのは、称えた行者の称功によるものではなく、称名するものを浄土に迎えとろうと誓われた阿弥陀仏の本願(第十八願)によるものである。善導大師はそのことを「かの仏の願に順ずるがゆゑ」という言葉にあらわし、称名を正定業と論定されたのである。
源信和尚は『往生要集』第四正修念仏門に、『浄土論』所明の五念門行に依拠して往生の行業を説き示している。その中心となる観察門の中には、別相観・総相観・雑略観を明かし、雑略観の中に極略の法として、相好の観念に堪えない劣機のために、帰命相、引接相、往生相による称名念仏を説き示している。第六別時念仏門では、尋常(平生)の別行と臨終の行儀が明かされているが、その臨終の行儀においては『観経』諸説の十念の称名念仏がとくに取り上げられている。また第八念仏証拠門では、第十八願が特別の願として重視され、さらに『観経』下下品の意をもって、極重の悪人は称名念仏以外に往生の道はないと説き示されている。ひるがえって、本書の序をみると、源信和尚自身「予がごとき頑魯のもの」といい、道俗貴賎が修するに覚り易く行じ易いといわれるのであるから、和尚の行業論のかなめが易修の法としての称名念仏にあったということが知られる。
法然上人は善導大師の称名正定業義をまさしく継承し、それをさらに選択本願念仏論へと展開していかれた。すなわち、上人は阿弥陀仏がその本願において、余行を選び捨て、称名念仏のみを往生行として選び取られたのであるとして、善導大師ではいまだ明確でなかった本願それ自体における選択廃立を明らかにし、これを選択本願念仏とよばれたのである。『選択集』「本願章 一二〇七」には、阿弥陀仏によるその選択の理由を説いて、余行は難行にしてしかも劣行であるが、念仏は易行にしてしかも最勝の行であるといい、そうした勝易具足の念仏であるからこそ、万人を平等に救う行法として選び取られたのであると明かしている。称名念仏がこのように如来によって選び定められた本願の行である以上、それはそのままで「自然に往生の業となる」(同・二行章 一一九七)ものであるから、衆生の側が往生の因となるように願って念仏を回向する必要はまったくない。法然上人はこの義をあらわして、念仏は衆生の側からいえば不回向の行であると断言された。
親鸞聖人は衆生からの行の回向を否定する法然上人のこの不回向義をうけて、如来からの行の回向を語り、回向の主体を阿弥陀仏とする本願力回向の教説を確立していくことになるのである。