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 (-1307) 大谷廟堂の<kana>留守識(るすしき)</kana>第2代、日野広綱と[[覚信尼]]の長男で[[覚如]]の父。幼名は光寿、<kana>青蓮院(しょうれんいん)</kana>の尊助のもとで出家し天台を学び宗恵と名乗った。遁世して専証。さらに覚恵と号し、[[如信]]から真宗の教えを受けた。母覚信尼を助けて大谷廟堂の建立に尽力し、母の死後、<kana>廟堂(びょうどう)</kana>の留守識に就いた。異父弟唯善が廟堂の管領を企てると、子息覚如とともにこれに対抗したが、嘉元4年 (1306)、重病にかかったところを唯善に強要されて、やむなく廟堂を退出し、翌年、没した。(浄土真宗辞典)
 
 (-1307) 大谷廟堂の<kana>留守識(るすしき)</kana>第2代、日野広綱と[[覚信尼]]の長男で[[覚如]]の父。幼名は光寿、<kana>青蓮院(しょうれんいん)</kana>の尊助のもとで出家し天台を学び宗恵と名乗った。遁世して専証。さらに覚恵と号し、[[如信]]から真宗の教えを受けた。母覚信尼を助けて大谷廟堂の建立に尽力し、母の死後、<kana>廟堂(びょうどう)</kana>の留守識に就いた。異父弟唯善が廟堂の管領を企てると、子息覚如とともにこれに対抗したが、嘉元4年 (1306)、重病にかかったところを唯善に強要されて、やむなく廟堂を退出し、翌年、没した。(浄土真宗辞典)
 
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:→[[常楽台主老衲一期記]]

2021年11月27日 (土) 16:34時点における版

かくえ 覚恵

 (-1307) 大谷廟堂の留守識(るすしき)第2代、日野広綱と覚信尼の長男で覚如の父。幼名は光寿、青蓮院(しょうれんいん)の尊助のもとで出家し天台を学び宗恵と名乗った。遁世して専証。さらに覚恵と号し、如信から真宗の教えを受けた。母覚信尼を助けて大谷廟堂の建立に尽力し、母の死後、廟堂(びょうどう)の留守識に就いた。異父弟唯善が廟堂の管領を企てると、子息覚如とともにこれに対抗したが、嘉元4年 (1306)、重病にかかったところを唯善に強要されて、やむなく廟堂を退出し、翌年、没した。(浄土真宗辞典)

常楽台主老衲一期記