「第一希有の行」の版間の差分
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2018年1月22日 (月) 20:53時点における版
だいいちけうのぎょう
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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第一希有の行とは、第十八願の乃至十念に誓われた〔なんまんだぶ〕である。ただ十念という語が意業の「念」という心のはたらきを意味するのではなく、口業の〔なんまんだぶ〕であると限定されたのは善導大師と法然聖人であった。
この意を承けられた御開山は、第十八願の乃至十念を、第十七願の「十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚(十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ)」の文によって「称我名者」の〔なんまんだぶ〕であるとされたのであった。なんまんだぶは、諸仏の行ずる仏作仏行の第一希有の行の大行である。
- 希有の行を念ずといふは、必定の菩薩、第一希有の行を念ずるなり。心に歓喜せしむ。一切凡夫の及ぶことあたはざるところなり。一切の声聞・辟支仏の行ずることあたはざるところなり。(行巻 P.149)
である。『愚禿鈔』で、
- 本願一乗は、頓極・頓速・円融・円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なりと、知るべし。専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真のなかの真なり、円のなかの円なり。一乗一実は大誓願海なり。第一希有の行なり。(愚禿上 P.507)
と、なんまんだぶは「絶対不二の教法」なのであった。