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 菩薩がこの位に至れば真如をさとるから、再び退転することなく必ず成仏できることが定まり、歓喜が生ずるので歓喜地という。浄土真宗では<kana>[[現生正定聚]](げんしょうしょうじょうじゅ)</kana>のことをいう。→ <kana>[[正定聚]](しょうじょうじゅ)</kana>。
 
 菩薩がこの位に至れば真如をさとるから、再び退転することなく必ず成仏できることが定まり、歓喜が生ずるので歓喜地という。浄土真宗では<kana>[[現生正定聚]](げんしょうしょうじょうじゅ)</kana>のことをいう。→ <kana>[[正定聚]](しょうじょうじゅ)</kana>。
  
 【左訓】「歓喜地は<kana>正定聚(しょうじょうじゅ)</kana>の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。得べきものを得てんずとおもひてよろこぶを歓喜といふ」(異本)([[高僧和讃#no3|高僧 P.578]])
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 【左訓】「歓喜地は<kana>[[正定聚]](しょうじょうじゅ)</kana>の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。得べきものを得てんずとおもひてよろこぶを歓喜といふ」(異本)([[高僧和讃#no3|高僧 P.578]])
  
 
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かんぎじ 歓喜地
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 菩薩五十二位の修道階位のうちの第四十一位。十地の初位であるから[[初地]]ともいう。[[菩薩]]がこの位に至れば[[真如]]をさとるから、再び退転することなく、必ず成仏することに定まり、[[歓喜]]が生ずるので[[歓喜地]]という。親鸞は、[[真実信心]]の[[念仏者]]が現生において得る[[正定聚]]の[[利益]]とみて、「行巻」 に
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:「真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく」 ([[P:186|註 186]])
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と述べ、また『高僧和讃』には
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:「歓喜地を証してぞ ひとへに念仏すすめける」 ([[P:578|註 578]])
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といい、「国宝本」 左訓には
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:「歓喜地は正定聚の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。得べきものを得てんずとおもひてよろこぶを歓喜といふ」
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とある。(浄土真宗辞典)
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:→[[トーク:十住毘婆沙論_(七祖)#入初地品第二]]
 
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:→[[一分…歓喜せん]]
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2023年12月7日 (木) 20:24時点における最新版

かんぎじ

 菩薩五十二位の修行階位のうちの第四十一位。十地(じゅうじ)の初位(初地)。

 菩薩がこの位に至れば真如をさとるから、再び退転することなく必ず成仏できることが定まり、歓喜が生ずるので歓喜地という。浄土真宗では現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)のことをいう。→ 正定聚(しょうじょうじゅ)

 【左訓】「歓喜地は正定聚(しょうじょうじゅ)の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。得べきものを得てんずとおもひてよろこぶを歓喜といふ」(異本)(高僧 P.578)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

かんぎじ 歓喜地

 菩薩五十二位の修道階位のうちの第四十一位。十地の初位であるから初地ともいう。菩薩がこの位に至れば真如をさとるから、再び退転することなく、必ず成仏することに定まり、歓喜が生ずるので歓喜地という。親鸞は、真実信心念仏者が現生において得る正定聚利益とみて、「行巻」 に

「真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく」 (註 186)

と述べ、また『高僧和讃』には

「歓喜地を証してぞ ひとへに念仏すすめける」 (註 578)

といい、「国宝本」 左訓には

「歓喜地は正定聚の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。得べきものを得てんずとおもひてよろこぶを歓喜といふ」

とある。(浄土真宗辞典)


正定聚
歓喜
第一希有の行
トーク:十住毘婆沙論_(七祖)#入初地品第二
楞伽山
一分…歓喜せん