操作

トーク

「四句」の版間の差分

提供: WikiArc

 
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
釈尊が、形而上の問いに対して実践を重視する視点方答えられなかった「十四無記」。毒矢の喩として有名である。
+
釈尊が、形而上の問いに対して実践を重視する視点から答えられなかった「十四無記」。毒矢の喩として有名である。
  
 
#世界は常住である。
 
#世界は常住である。
15行目: 15行目:
 
#人格完成者(如来)は死後に生存し、かつ生存しない。
 
#人格完成者(如来)は死後に生存し、かつ生存しない。
 
#人格完成者(如来)は死後に生存するのではなく、かつ生存しないでもない。
 
#人格完成者(如来)は死後に生存するのではなく、かつ生存しないでもない。
 +
 +
----
 +
箭喩経(チューラマールンキャー・スッタ)
 +
 +
第一章
 +
 +
あるとき、わたしは、このように聞いた。
 +
 +
ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、アナータピンディカの園に、止まられていた。<br>
 +
そこに、マールンキャープッタが訪れ、尋ねた。
 +
 +
「尊師よ、思うに、この四つの問に対して、仏陀は、未だに、答えを与えられていません。答えてくれないならば、還俗したいと考えます。
 +
 +
第一の問いは、世界の時間は、有限か、無限か。<br>
 +
第二の問いは、世界の空間は、有限か、無限か。<br>
 +
第三の問いは、精神と身体は、同一か、別異か。<br>
 +
第四の問いは、死後の如来は、現実か、幻影か。」
 +
 +
マールンキャープッタに、仏陀は、こう答えた。
 +
 +
「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。<br>
 +
もし、彼が、この矢を射た者を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。射た者を確める前に、矢を取り除くべきです。<br>
 +
取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。<br>
 +
もし、彼が、この矢を射た弓を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
射た弓を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。<br>
 +
もし、彼が、この矢を射た処を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
射た処を確める前に、矢を取り除くべきです。<br>
 +
取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。<br>
 +
もし、彼が、この矢を射た訳を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
射た訳を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
 +
第二章
 +
 +
「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。<br>
 +
もし、彼が、時間が有限か否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
時の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。<br>
 +
もし、彼が、空間が有限か否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
空の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。<br>
 +
もし、彼が、心身が同じか否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
心の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。<br>
 +
もし、彼が、死後に居るか否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」
 +
 +
「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。<br>
 +
死の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」
 +
 +
「目的に適わないものを、如来は説かない。<br>
 +
如来が、出離のために説く、四つの諦がある。それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。
 +
 +
第一の諦は、全ては苦しみである、苦諦である。<br>
 +
第二の諦は、苦しみは必ず生じる、集諦である。<br>
 +
第三の諦は、苦しみは必ず滅する、滅諦である。<br>
 +
第四の諦は、苦を越える道がある、道諦である。」
 +
 +
マールンキャープッタは、歓喜して、実践した。
 +
 +
[[Category:追記]]

2018年5月11日 (金) 17:44時点における最新版

釈尊が、形而上の問いに対して実践を重視する視点から答えられなかった「十四無記」。毒矢の喩として有名である。

  1. 世界は常住である。
  2. 世界は無常である。(時間的に限定されていないか、いるか。)
  3. 世界は常住かつ無常である。
  4. 世界は常住でもなくかつ無常でもない
  5. 世界は有辺である。
  6. 世界は無辺である。(空間的に限定されているか、いないか)
  7. 世界は有辺かつ無辺である。
  8. 世界は有辺でもなくかつ無辺でもない。
  9. 身体と霊魂とは一つである。
  10. 身体と霊魂は別である。
  11. 人格完成者(如来)は死後に生存する。
  12. 人格完成者(如来)は死後に生存しない。
  13. 人格完成者(如来)は死後に生存し、かつ生存しない。
  14. 人格完成者(如来)は死後に生存するのではなく、かつ生存しないでもない。

箭喩経(チューラマールンキャー・スッタ)

第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、アナータピンディカの園に、止まられていた。
そこに、マールンキャープッタが訪れ、尋ねた。

「尊師よ、思うに、この四つの問に対して、仏陀は、未だに、答えを与えられていません。答えてくれないならば、還俗したいと考えます。

第一の問いは、世界の時間は、有限か、無限か。
第二の問いは、世界の空間は、有限か、無限か。
第三の問いは、精神と身体は、同一か、別異か。
第四の問いは、死後の如来は、現実か、幻影か。」

マールンキャープッタに、仏陀は、こう答えた。

「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。
もし、彼が、この矢を射た者を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。射た者を確める前に、矢を取り除くべきです。
取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。
もし、彼が、この矢を射た弓を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
射た弓を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。
もし、彼が、この矢を射た処を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
射た処を確める前に、矢を取り除くべきです。
取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「例えば、ここに、矢が刺さった者が居る。
もし、彼が、この矢を射た訳を確めない限り、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
射た訳を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」


第二章

「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。
もし、彼が、時間が有限か否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
時の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。
もし、彼が、空間が有限か否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
空の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。
もし、彼が、心身が同じか否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
心の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「例えば、ここに、矢に居られた者が居る。
もし、彼が、死後に居るか否か、解かるまで、毒矢を抜かないと言ったら、どうなるだろうか。」

「尊師よ、助かるものも、助かりますまい。
死の際を確める前に、矢を取り除くべきです。取り除かないでいたら、毒が回ってしまいます。」

「目的に適わないものを、如来は説かない。
如来が、出離のために説く、四つの諦がある。それでは、この四つの諦とは、如何なるものか。

第一の諦は、全ては苦しみである、苦諦である。
第二の諦は、苦しみは必ず生じる、集諦である。
第三の諦は、苦しみは必ず滅する、滅諦である。
第四の諦は、苦を越える道がある、道諦である。」

マールンキャープッタは、歓喜して、実践した。