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ごえいにしてめんしょうなり
 
ごえいにしてめんしょうなり
  
 五翳は日月の光をおおいかくす五種のもの。 煙・雲・塵・霧・羅睺(らご)()(しゅ)羅(ら)王(おう) (日食・月食を起す阿修羅王)。 面牆は顔をかきねに向けていること。 ともに無知の身という意。 道綽(どうしゃく)禅(ぜん)師(じ)が自らをへりくだっていった言葉。 ([[安楽集 (七祖)#P--246|安楽集 P.246]])
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 五翳は日月の光をおおいかくす五種のもの。 煙・雲・塵・霧・<kana>羅睺阿修羅王(らごあしゅらおう)</kana> (日食・月食を起す阿修羅王)。 <kana>面牆(めんしょう)</kana>は顔をかきねに向けていること。 ともに無知の身という意。 [[道綽]]禅師が自らをへりくだっていった言葉。 ([[安楽集 (七祖)#P--246|安楽集 P.246]])
  
 
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牆面とは「書経」の「学ばざれば牆面す」からの語。垣に対すること。垣に対することで前が見えないことから、見聞の狭いことのたとえ。[http://www.kanjipedia.jp/kanji/0003464000 牆]
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[[Category:追記]]

2018年5月28日 (月) 00:01時点における最新版

ごえいにしてめんしょうなり

 五翳は日月の光をおおいかくす五種のもの。 煙・雲・塵・霧・羅睺阿修羅王(らごあしゅらおう) (日食・月食を起す阿修羅王)。 面牆(めんしょう)は顔をかきねに向けていること。 ともに無知の身という意。 道綽禅師が自らをへりくだっていった言葉。 (安楽集 P.246)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

牆面とは「書経」の「学ばざれば牆面す」からの語。垣に対すること。垣に対することで前が見えないことから、見聞の狭いことのたとえ。