「はからひ」の版間の差分
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− | + | 自力による思慮分別。([[正像末和讃#P--621|正像 P.621]],[[消息上#P--768|消息 P.768]]) | |
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+ | 人の行動や思考について、自ら何らかの計画や方法を巡らせること。自己の想定した目的を達成するためにあらかじめ計画を立て、必要な手段や方法を計画すること。 | ||
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+ | 浄土真宗は本願力回向のご法義であるから、衆生の側からのはからいは全く認めない。<br /> | ||
+ | 『御消息』(6) で、 | ||
+ | :わが[[はからひ]]のこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを[[自力]]と申すなり。([[消息上#no6|消息 P.746]]) | ||
+ | と、「'''はからひ'''のこころ」をもって浄土へ往生したいと思ふことは'''[[自力]]'''であるとされたのであった。浄土真宗は弥陀回向の法であるからである。<br /> | ||
+ | [[はからい]]とは、自分の能力を信じることであり、それは[[阿弥陀如来]]の[[衆生]] [[済度]]の[[五劫のあひだ思惟]]によって[[成就]]された[[南無阿弥陀仏]]を否定する[[疑]]であった。<br /> | ||
+ | それは、[[阿弥陀如来]]の[[不可称不可説不可思議]]の[[真如]]の顕現としての[[可聞可称]]の、なんまんだぶを自己の[[はからい]]として称えられないのであろう。 | ||
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+ | [[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p> |
2024年12月8日 (日) 01:33時点における最新版
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
はからい はからひ
人の行動や思考について、自ら何らかの計画や方法を巡らせること。自己の想定した目的を達成するためにあらかじめ計画を立て、必要な手段や方法を計画すること。
浄土真宗は本願力回向のご法義であるから、衆生の側からのはからいは全く認めない。
『御消息』(6) で、
と、「はからひのこころ」をもって浄土へ往生したいと思ふことは自力であるとされたのであった。浄土真宗は弥陀回向の法であるからである。
はからいとは、自分の能力を信じることであり、それは阿弥陀如来の衆生 済度の五劫のあひだ思惟によって成就された南無阿弥陀仏を否定する疑であった。
それは、阿弥陀如来の不可称不可説不可思議の真如の顕現としての可聞可称の、なんまんだぶを自己のはからいとして称えられないのであろう。