「三代伝持」の版間の差分
提供: WikiArc
(同じ利用者による、間の2版が非表示) | |||
2行目: | 2行目: | ||
さんだいでんじ 三代伝持 | さんだいでんじ 三代伝持 | ||
− | 浄土真宗の法義は、[[法然]]、[[親鸞]]、[[如信]]の三代によって正しく伝えられたとする主張。[[ | + | 浄土真宗の法義は、[[法然]]、[[親鸞]]、[[如信]]の三代によって正しく伝えられたとする主張。[[如信]]から法義を受けた[[覚如]]が『[[口伝鈔]]』や『[[改邪鈔]]』で示したもので、覚如自身が正しく<kana>[[血脈]](けちみゃく)</kana>(法脈)を継承していることを明らかにしている。『改邪鈔』には |
:「余、壮年の往日、かたじけなくも三代 黒谷・本願寺・<kana>大網(おおあみ)</kana> 伝持の[[血脈]]を従ひ受けて以降」 ([[改邪鈔#P--946|註 946]]) | :「余、壮年の往日、かたじけなくも三代 黒谷・本願寺・<kana>大網(おおあみ)</kana> 伝持の[[血脈]]を従ひ受けて以降」 ([[改邪鈔#P--946|註 946]]) | ||
とある。(浄土真宗辞典) | とある。(浄土真宗辞典) | ||
8行目: | 8行目: | ||
『慕帰絵詞』第三段に、 | 『慕帰絵詞』第三段に、 | ||
− | : | + | :弘安十年 春秋十八<ref>春秋十八。ここでの春秋は年齢のこと、覚如上人が18歳といふこと。</ref>といふ十一月なかの九日の夜、東山の如信上人と申し賢哲にあひて釈迦・弥陀の教行を面受し、他力摂生の信証を口伝す。所謂血脈は叡山黒谷源空聖人、本願寺親巒聖人二代の嫡資なり。→([[慕帰絵詞#如信上人と唯円大徳]]) |
− | + | とある。十一月なかの九日の夜(なかのは中旬で11月19日夜)とあるので、如信上人は御開山の御正忌(11月28日)の為に上洛し逗留されていたのであろう。 | |
+ | ---- | ||
+ | <references /> | ||
[[Category:追記]] <p id="page-top">[[#|▲]]</p> | [[Category:追記]] <p id="page-top">[[#|▲]]</p> |
2023年2月8日 (水) 23:45時点における最新版
さんだいでんじ 三代伝持
浄土真宗の法義は、法然、親鸞、如信の三代によって正しく伝えられたとする主張。如信から法義を受けた覚如が『口伝鈔』や『改邪鈔』で示したもので、覚如自身が正しく
とある。(浄土真宗辞典)
『慕帰絵詞』第三段に、
- 弘安十年 春秋十八[1]といふ十一月なかの九日の夜、東山の如信上人と申し賢哲にあひて釈迦・弥陀の教行を面受し、他力摂生の信証を口伝す。所謂血脈は叡山黒谷源空聖人、本願寺親巒聖人二代の嫡資なり。→(慕帰絵詞#如信上人と唯円大徳)
とある。十一月なかの九日の夜(なかのは中旬で11月19日夜)とあるので、如信上人は御開山の御正忌(11月28日)の為に上洛し逗留されていたのであろう。
- ↑ 春秋十八。ここでの春秋は年齢のこと、覚如上人が18歳といふこと。