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「法然聖人の他力思想」の版間の差分

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(証空の機法一体説)
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:迷の我等が上におひて正覚を成ずる時、迷悟が一になりたる所を南無阿弥陀仏六字の名号と申す也。然る間、南無は迷の衆生の体也。覚りと云ふは阿弥陀仏の体なり。この二が一になりたる所を、仏につけては正覚とい ひ、凡夫につけては往生と云ふ也。・・・・・・此の謂れをこゝろえんずるを即便往生ともいひ、'''[[機法一体]]'''ともいひ、証得往生とも云ふ也。<ref>『西山善慧上人御法語』(『西山上人短篇鈔物集』一三二頁)</ref>
 
:迷の我等が上におひて正覚を成ずる時、迷悟が一になりたる所を南無阿弥陀仏六字の名号と申す也。然る間、南無は迷の衆生の体也。覚りと云ふは阿弥陀仏の体なり。この二が一になりたる所を、仏につけては正覚とい ひ、凡夫につけては往生と云ふ也。・・・・・・此の謂れをこゝろえんずるを即便往生ともいひ、'''[[機法一体]]'''ともいひ、証得往生とも云ふ也。<ref>『西山善慧上人御法語』(『西山上人短篇鈔物集』一三二頁)</ref>
  
といわれている。すなわち往生正覚一体の道理をこころえたことを益でいえば即便往生(現生)とか当得往生(当来)ともいい、またその道理になり切ったところを機法一体というというのであろう。<ref>◇『観経』に「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して'''即便往生'''す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生を得べし('''当得往生''')」と「即便往生」と「当得往生」が説かれている。証空はこの「即便往生」を現生とし「当得往生」を当来とみていた。御開山は「即便」という文字によって、他力の往生を「即往生」、自力による往生を「便往生」とされていた。</ref> 『略安心鈔』には、往生正覚一体の道理を明かして、
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といわれている。すなわち往生正覚一体の道理をこころえたことを益でいえば[[即便往生]](現生)とか[[当得往生]](当来)ともいい、またその道理になり切ったところを機法一体というというのであろう。<ref>◇『観経』に「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して'''即便往生'''す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生を得べし('''当得往生''')」と「即便往生」と「当得往生」が説かれている。証空はこの「即便往生」を現生とし「当得往生」を当来とみていた。御開山は「即便」という文字によって、他力の往生を「即往生」、自力による往生を「便往生」とされていた。</ref> 『略安心鈔』には、往生正覚一体の道理を明かして、
  
 
:南無阿弥陀仏と称する心を正因正定の業と名く、此の南無の心は我等がほとけを憑むこゝろなり。阿弥陀仏とは憑む心を彼の仏の摂し給ふ他力不思議の行体也。されば我こゝろを南無と云ひ、彼の仏の我を摂したまふをば阿弥陀仏といふ。彼此一つに成りあひたる姿が即ち仏にて御座処を南無阿弥陀仏と申なり。・・・・・・往生といふは仏の御心と我心と一に成りあひたる所を申すなり。・・・・・・我等唯知作悪の機、名号智火の仏果に摂せられまいらせて、今正しく三心四修別時長時、'''機法一体'''になりぬれば、名号の外に全く求むべき往生はなきなり。<ref>『略安心鈔』(『西山上人短篇鈔物集』一八一頁)、『安心鈔』(同上・一八五頁)にも同じように、仏心と凡心とが一つになって往生(即便往生)している状況を機法一体とよんでいる。</ref>
 
:南無阿弥陀仏と称する心を正因正定の業と名く、此の南無の心は我等がほとけを憑むこゝろなり。阿弥陀仏とは憑む心を彼の仏の摂し給ふ他力不思議の行体也。されば我こゝろを南無と云ひ、彼の仏の我を摂したまふをば阿弥陀仏といふ。彼此一つに成りあひたる姿が即ち仏にて御座処を南無阿弥陀仏と申なり。・・・・・・往生といふは仏の御心と我心と一に成りあひたる所を申すなり。・・・・・・我等唯知作悪の機、名号智火の仏果に摂せられまいらせて、今正しく三心四修別時長時、'''機法一体'''になりぬれば、名号の外に全く求むべき往生はなきなり。<ref>『略安心鈔』(『西山上人短篇鈔物集』一八一頁)、『安心鈔』(同上・一八五頁)にも同じように、仏心と凡心とが一つになって往生(即便往生)している状況を機法一体とよんでいる。</ref>
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:永劫の修行はこれたれがためぞ、功を未来の衆生にゆづりたまふ。超世の悲願は又なんの料ぞ、心ざしを末法  のわれらにをくり給ふ。われらもし往生をとぐべからずは、ほとけあに正覚をなり給ふべしや。われら又往生  をとげましや。われらが往生はほとけの正覚により、ほとけの正覚はわれらが往生による。若不生者のちかひ  これをもてしり、不取正覚のことばかぎりあるをや云云。 →[[hwiki:拾遺語灯録中#P--726|登山状]] <ref>「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七二六頁)、尚この書は、古来聖覚の作と伝えられている。しかし法然の名によって山門へ送られたというから、法然の作に準じてさしつかえなかろう。◇ →[[hwiki:拾遺語灯録中#P--726|登山状]]</ref>
 
:永劫の修行はこれたれがためぞ、功を未来の衆生にゆづりたまふ。超世の悲願は又なんの料ぞ、心ざしを末法  のわれらにをくり給ふ。われらもし往生をとぐべからずは、ほとけあに正覚をなり給ふべしや。われら又往生  をとげましや。われらが往生はほとけの正覚により、ほとけの正覚はわれらが往生による。若不生者のちかひ  これをもてしり、不取正覚のことばかぎりあるをや云云。 →[[hwiki:拾遺語灯録中#P--726|登山状]] <ref>「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七二六頁)、尚この書は、古来聖覚の作と伝えられている。しかし法然の名によって山門へ送られたというから、法然の作に準じてさしつかえなかろう。◇ →[[hwiki:拾遺語灯録中#P--726|登山状]]</ref>
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=====三、親鸞の他力廻向説=====
 
=====三、親鸞の他力廻向説=====

2018年11月27日 (火) 12:42時点における版

 梯實圓和上の名著の一つである『法然教学の研究』から、「法然聖人の他力思想」および鎮西派の弁長、西山派の証空、親鸞聖人の他力回向説を窺う。

なお、強調の太字、出典へのリンクはUPしてある聖典へリンクし、脚注の◇以下の部分、ルビおよび〔〕内の漢文読下しは、注釈版等によって便宜のため適宜林遊が付した。



第四章 法然聖人の他力思想

第一節 他力思想の伝統

 自力他力という名目は、すでに『菩薩地持経』や『十地経論』等に用いられているが[1]、これをもって浄土教の特徴をあらわそうとされたのは曇鸞の『往生論註』であった。その序題に竜樹の『十住毘婆沙論』「易行品」の意によって、菩薩が阿毘跋致(不退転地)に至るのに難行道易行道のあることを明かし、五濁無仏の時の修道が難行である所以を説いて「一者外道相善乱菩薩法、二者声聞自利障大慈悲、三者無顧悪人破他勝徳、四者顛倒善果能壊梵行、五者唯是自力無他力持「隠/顕」

一には外道の相善は菩薩の法を乱る。二には声聞は自利にして大慈悲を障ふ。三には無顧の悪人は他の勝徳を破る。四には顛倒の善果はよく梵行を壊つ。五にはただこれ自力にして他力の持(たも)つなし。(論註 P.47)
と五難をあげるが、中でも第五由が、難行の難行たる根本理由であったと考えられる。それは、次下に易行道を明かして「易行道者、謂但以信仏因縁、願浄土、乗仏願力便得生彼清浄土、仏力住持、即入大乗正定之聚、正定即是阿毘跋致、譬如水路乗則楽「隠/顕」
「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。(論註 P.47)

といわれたものと対照すれば自ずから明らかである。[2] すなわち信仏の因縁をもって願生するものは、阿弥陀仏の本願力に乗じて往生せしめられ、往生したものは、仏力に住持せられて正定聚不退転にあらしめられる。これを易行道というのであるから、往生することも、不退に至ることも、すべて仏願力によるわけで、これが「他力持」である。これによって、難行道とは五濁無仏の世界において、他力の持(たもつ)なく、ただ自力をもって仏道を成就しようとする自力の法門をいい、易行道とは、仏願力によって有仏の浄土に往生し、仏力によって正定聚に入らしめられ仏道を成就していく他力の法門であるということがわかる。

 この他力の内容をさらに詳らかにされたものが『論註』の最後に設けられた覈求其本釈である。そこには願生行者が五念門行を修して自利々他して速やかに仏果を成就しうる所以を明かして「然覈求其本、阿弥陀如来為増上縁「隠/顕」 しかれば覈(まこと)に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。[3]といい、いわゆる他利々他の深義が開顕せられる。

論言修五門行、以自利々他成就故、然覈求其本、阿弥陀如来為増上縁、他利之与利他、談有左右、若自仏而言、宜利他、自衆生而言、宜他利、今将仏力、是故以利他之 当知此意也。凡是生彼浄土、及彼菩薩人天所起諸行、皆縁阿弥陀如来本願力故、何以言之、若非仏力、四十八願便是徒設、今的取三願、用証義意「隠/顕」 [4]
『論』(浄土論)に「五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。しかるに覈に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。他利と利他と、談ずるに左右あり。もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。いままさに仏力を談ぜんとす。このゆゑに「利他」をもつてこれをいふ。まさにこの意を知るべし。おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。なにをもつてこれをいふとなれば、もし仏力にあらずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。いま的(あき)らかに三願を取りて、もつて義の意を証せん。 (論註 P.155)

といい、ついで、第十八願第十一願第二十二願を引用し、往生の因たる十念念仏は第十八願力によって、往生の果たる正定と滅度は第十一願力によって、浄土の菩薩が「超出常倫、修習普賢之徳」「隠/顕」常倫に超出し普賢の徳を修習[5]することは第二十二願力によって、それぞれ成就せしめられることであるといい、「以斯而推他力、為増上縁、得然乎」「隠/顕」これをもつて推するに、他力を増上縁となす。しからざることを得んや。(*)[6]と結ばれている。

 その他利利他の釈というのは、一般には利他も他利も同じく自利に対する化他の意味で用いられていたのを、曇鸞は両語の意味を変えることによって深義を発揮されたことをいう。すなわち利他とは、仏が他なる衆生を利益する(仏利他)ことであり、他利は、他なる仏が衆生を利益する(他利衆生)ことである。仏が衆生を利益するという一つの事実をあらわすのに、衆生を他とよんで利他というか、仏を他とよんで他利というかによって、前者は仏のがわにたつ表現になり、後者は衆生のがわにたっての表現になるとみられたのである。それを「若自仏而言、宜言利他、自衆生而言、宜言他利」「隠/顕」もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。[7]といわれたのである。ところで『論註』には「速得成就阿耨多羅三藐三菩提」「隠/顕」速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得。[8]の理由を問うて、「論言、修五門行、以自利々他成就故」「隠/顕」「論に五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。[9]という『浄土論』の文をあげて答えられているが、この論文は一見すれば、衆生が五念門を修して自利利他を成就することによって、速やかに菩提を得るといわれたようにみえる。しかし「利他」という語を用いられたところからみれば、衆生が五念門を修しているのは、実は仏が自利の徳を全うじて、衆生を利他しておられるすがたであるという仏力成就の五念門であることをあらわしているとみるべきであるというので、曇鸞は「今将仏力是故以利他之」「隠/顕」いままさに仏力を談ぜんとす。このゆゑに「利他」をもつてこれをいふ。といわれたのである。[10] このようにして衆生の五念門行の成就──それは自ずから果の五功徳門の成就になるが──は、全く仏力、すなわち本願力によってあらしめられていることを意味していた。
そこでそれを証明するために次に三願的証を行われたわけである。このような衆生往生の因果を成就せしめるような力用をもっている本願力のことを曇鸞は他力とよばれていたことがわかる。

後に親鸞はこの『論註』の指南によって、「往還廻向由他力」といい、本願力廻向の、行信因果、往還の二廻向四法論を確立されたのである。[11] 『論註』は最後に自力と他力を巧妙な譬喩で示し、劣夫も輪王の(みゆき)(行)に従えば、輪王の力で四天下を自在に飛行できるように、戒、定、神通の力なき凡夫も、本願力に乗ずれば、よく往生を得るといって他力の信を勧励されている。[12]

 この『論註』の他力釈をうけて道綽も『安楽集』において盛んに他力を鼓吹し「諸大乗経所弁、一切行法皆有自力他力、自摂他摂「隠/顕」もろもろの大乗経に弁ずるところの一切の行法に、みな自力・他力、自摂・他摂あり。 [13]といい、自力自摂の法門に対して、他力他摂の法門のあることをあらわされるが、道綽がその自力自摂の難行道を聖道門、他力他摂の易行道を浄土門と名づけられたことについては、すでに述べたところである。

ところがその資[14]、善導は、曇鸞、道綽の伝統をうけて「一切善悪凡夫得生者、莫皆乗阿弥陀仏大願業力増上縁「隠/顕」一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし。(玄義分 P.301)[15]といい、徹底した本願力による救済を強調しながらも、自力他力という用語は全く使用されなかった。[16] もちろんそれには然るべき理由があった筈であるが、それについては別稿にゆずる。わが国でも源信が『往生要集』に『安楽集』に従って自力自摂に対する他力他摂をもって阿弥陀仏の救済力をあらわされたように、次第に自力他力という名目が用いられるようになっていった。[17]

 法然は主著の『選択集』では、「二門章」に『論註』序題の文を引用されたところに、ただ一箇所、自力他力に言及されただけであったが『西方指南抄』『和語灯録』『拾遺語灯録』などに集録された和語の法語や消息類には、しばしばこの名目を用いて浄土宗の安心起行の意義をあらわされている。
けだしこの名目が平明で、民衆に親しみ易い大衆性をもっていたからであろう。なお『選択集』に上記箇所以外に自力他力の用語が見られないのは、偏依善導の立場で法義を釈顕していかれたからであろう。

第二節 自力他力についての異説

一、弁長、良忠の他力増上縁説

 法然の法語に次のようなことばがある。

  一、本願成就事

 念仏我所作也。往生仏所作也。往生仏御力 せしめ給物、我心とかくせむと思自力也。唯須称名之来迎「隠/顕」 [18]
一、本願成就の事
「念仏はわが所作なり、往生は仏の所作なり。往生は仏の御力にてせしめ給物を、我心にとかくせむと思ふは自力也、ただ須く称名に付きたる来迎を待つべし。」→三心料簡および御法語の訓読#no23

 このことばは、念仏だけは衆生が、自らの力によってなすべき行であり、念仏する衆生を臨終に来迎し、往生せしめるのは、念仏往生の誓約に応じた阿弥陀仏のはたらきであって、これを他力というと理解することが可能であろう。しかしまた、この法語を、私が念仏することも、念仏するものを往生せしめる仏のはたらきも、すべて本願成就の事柄である。本願成就の名号を称えるものを、本願成就の仏が往生せしめるのは、本願の必然であって、わが心にとやせん、かくやせんと思いはからうことは自力である。ただ自力をはなれて、本願の称名の必然として与えられる来迎を待つべきであると領解することもできよう。前者のようにみて念仏は行者がなすべき自力の行因であり、他力とは念仏者を臨終に来迎して往生せしめる本願力であるが、それは行因に対する助縁であるとみたのが、法然門下では鎮西派の派祖聖光房弁長然阿良忠であった。それに対して後者のように、往生せしめることはもちろん、衆生の行である称名さえも、如来の他力によってあらしめられるとみたものが善信房親鸞の他力回向という思想であり、西山派の善恵房証空の全分他力の領解であったと考えられる。

 弁長の『浄土宗名目問答』中に、一念義系のものが、数遍(多念をたのむもの)は自力難行、一念は他力易行道といい、また全分の他力を主張するのを批判して、

此事極僻事也。其故云他力者全憑他力一分無自力事、道理不然、云自力善根他力往生者、一切凡夫之輩、于今不穢土、皆悉可生浄土、又一念他力、数遍自力者、何人師釈耶、善導釈中有自力他力義、無自力他力釈、一念他力、数遍自力釈難意。[19] 「隠/顕」
この事、極たる僻ごとなり。その故は、他力とは全く他力を馮み、一分も自力無しと云ふ事、道理しからず。自力の善根無しといえども 他力に依て往生を得ると云はば、一切の凡夫の輩、今に穢土に留まらず、みな悉く淨土に往生すべし。 また一念の他力、數遍の自力とは何なる人師の釋なるや。善導の釈の中に自力の他力の義あれども、自力他力の釈無し。一念は他力数編は自力の釈こころ得がたし。

とのべ、一念を他力、多念を自力とみる釈は勿論不当であるが、全分の他力によって往生をうるということも不当であるとされている。もし自力の善根は一分もなくても他力のみによって往生をうるのならば、穢土に留まるものなど一人もない筈ではないかと批判している。又良忠はそれをうけて『決疑鈔』一に『論註』序題の自力他力を釈して、

自力他力者、自三学力名為自力、仏本願力名為他力也。問聖道修行亦請仏加、浄土欣求行自三業、而偏名意如何。答聖道行人先行三学、為此行而請加力、故属自力。浄土行人先信仏力、為仏願而行念仏、故属他力也。自強他弱、他強自弱思之可知、水陸二道譬意自顕也。乗仏願力者即指第十八念仏往生願[20]「隠/顕」
自力他力とは、自の三学力を名けて自力となす、仏の本願力を名けて他力となすなり。問う、聖道の修行もまた仏加を請う、浄土の欣求も自の三業を行ず、而を偏に名ける意いかん。答う、聖道の行人は先づ三学を行ず、此の行を成ぜんが為に而も加力を請う、故に自力に属す。浄土の行人は先ず仏力を信じ、仏願に順ぜんが為に而も念仏を行ず、故に他力に属するなり。自は強く他は弱しと、他は強く自は弱きとこれを思てしるべし、水陸二道譬の意おのずか顕わるなり。乗仏願力とは即ち第十八念仏往生の願を指す。

といわれている。自力とは、行者の自の三学力のことであって、称名念仏もそのなかに摂せられる。他力とは広くいえば如来の加被力であるが、浄土門でいえば仏の本願力、すなわち第十八願力である。仏法には全分の自力とか、全分の他力ということはなく、自力と他力とが相俟って救済が成立するというふうに、自他二力を因と縁の相依関係としてみていくのである。[21] このことは聖浄二門に共通する道理であるが、聖道門は、先ず三学を行じ、それの成就の為に仏の加被を請うから、自力が強く、他力は弱い立場にある。それに対して浄土門では、先ず仏力を信じ、仏願に随順する為に念仏を行ずるのであるから、他力が強く、自力は弱い立場にある。そこで自強他弱の法門であるから聖道門を自力門とよび、他強自弱の法門であるから浄土門を他力門とよぶだけであるというのである。

要するに自力と他力とは、行因とそれに加する他力の助縁とを意味しており、曇鸞も他力を「増上縁」といわれたし、善導大師も、「大願業力為増上縁」といわれた所以である。したがって自力聖道門をすてて、他力浄土門に帰するということはあるが、自力と他力そのものを、自力を廃捨して、他力を選取するといった廃立の関係でみるべきではないというのが、鎮西派の基本的な自力他力観であった。従って西山派や真宗のように念仏に自力他力を分けるということも許されないことと考えられていた。
良忠の『浄土宗行者用意問答』に、念仏に自力他力を分別したり、定散二善を自力とし、念仏を他力とすることは、法然(故上人)にはなかった誤まれる新義であると批判して、次のように述べている。

先師上人、故上人の御義ヲ伝ヘテ云、自力ト云ハ聖道門ナリ、自ノ三学ノ力ヲ憑デ出離ヲ求ムル故ナリ。他力ト云ハ浄土門ナリ、浄土ヲ求ムル人ハミナ自ノ機分ハ出離スルニ能ハズト知テ、仏ノ他力ヲ憑ム故ナリ。爾ルニ近代ノ末学、浄土ノ行ニ自力他力ト云コトヲ立テ、念仏ニモ又自力他力ヲ分別シ、或ハ定散二善ヲ自力トシ、念仏ヲ他力トストイヘリ。故上人ハ仰セラレザリシ義ナリ。況ヤ自力ノ念仏ハ辺地ノ業トナルト云コト全ク聞ザリシ事ナリ云云。コノ相伝ヲ以テ彼新義ヲバ意得ベク候。[22]

 すでにのべたように、鎮西派においては、『玄義分』序題門の要門弘願について、要門たる定散二善には、衆生往生の因行のすべてが摂せられていて、本願の念仏も要門散善中の行福の一行とみなされていた。又弘願とは念仏の行者を、本願に応じて来迎し往生せしめる増上縁たる本願他力をさすとみている。ところで要門行のなかで諸行は難劣の故に廃され、念仏は勝易具足の行の故に選取されるが、その難易は勿論勝劣も量的な差であって、質的なちがいはないと考えられていた。いいかえれば、程度の差はあるが、諸行も念仏も、本来は一真如実相法を体としているから本質的には同一仏法とみられていた。弁長が法然をうけて廃立念仏を唱えながらも、一面において諸行往生を許すようになった所以もそこにあるのである。[23]

 もっとも良忠は前述の『浄土宗行者用意問答』の文につづいて、

但シ義ヲ以テ委シク論ズル時ハ、タトヒ念仏ヲ申ストモ、或ハ念ノ意ヲ悟ラズハ往生カナフマジト思ヒ、或ハ我申ス念仏ハ功積リ徳累リタレバ目出タキ念仏ナリ、定テ人ノ念仏ニハ勝レタラント思ヒテ、他力ノ不思議ヲバ信ゼヌ心根ニナリタランハ実ニ本願ニ違フベシト思フベシ。唱フル度コトニ仏ノ御力ヲ頼ム念仏ナレバ、我方ニ目出タキ事ノアルニハアラズ、嬰児ノ啼タランニヨリテ、何ホドノ事カアラン、母ノ慈悲フカキ故ニ啼声ヲ聞テ懐キ、乳ヲ含マシムルニ似タリ、日夜十二時ニ怠タラズ唱フトモ、我カラナル心ナクシテ唱フルタビゴトニ仏ノ御誓ヒヲタノミ憑ムベキナリ。[24]

といわれている。ここでは念仏の用心について、わがはからいをまじえずに仏力不思議をたのめと教えているようであって、自ずから念仏について自力他力をわけたことになっているのではないだろうか。

二、証空の全分他力説

 西山派の派祖となった証空は、全分他力を強調される。すでにのべたように、証空は自力聖道門を行門とよび、他力浄土門を観門と弘願とよんでいた。観門とは、弘願を能詮する釈尊の教門、すなわち定散二善十六観をさし、弘願とは、観門所詮の他力の法体であると同時に、観門も、さらにいへば随他方便の教説である行門も、そこから成立するような法門の根源である弥陀教をさしていた。ところで証空は開会の思想をもって、聖道浄土の二門を見ていたこともすでにのべたところである。『散観門義』三には「一切三世善根、皆悉会納弥陀功徳、通成浄土業因、自往生思外更不余事「隠/顕」「一切三世の善根、皆悉く(開)会して弥陀功徳に納まり、通じて浄土の業因と成りぬれば、往生の思ひより外さらに余の事あるべからざるなり。」 [25]といわれるように、三世一切の善根は、本来阿弥陀仏の功徳を、開いたものであって、未熟の機は、それを自力断証の行と見るが、誘引調熟されて自力の執情が開拓され、定散諸功徳は、皆弥陀なりと知るならば、そのままが他力念仏往生の機となっていくわけである。すなわち法界には弘願念仏以外の法はなく、念仏を詮わさない教はないのであるが、自力の執情の強い未熟の機からみれば、すべてが自力行にしか見えない。そこで此の機を調機誘引するために弘願、観門より聖道行門八万四千の法門が随他意方便の法門として施設されたわけである。
しかしその体は本来阿弥陀仏の外にはないから、機縁が熟して自力の執情が除かれ、観門領解が成立すれば、すべては弘願念仏法であったと開拓会入するわけである。→開廃会 [26] 『散観門義』二によれば、証空は、『散善義』の就行立信釈の、正、助、雑の三行について、正定業を弘願の体とし、助業は、正定業を助け、詮顕する観門の意とみ、雑行を自力行門の善をさすと釈したあと「当知、善体無嫌、可心開不開「隠/顕」「知るべし、善の体は嫌ふ所無し、心の開不開に依るべしということを。」 [27]と結んでいる。すなわち雑行として嫌われるのは、善体そのものではなくて、それが念仏体内の善であって、即念仏であることに気づかず、自力断証の行と執じている自力の執心を嫌い捨てるのであるといっている。

 かくて証空は、自力は捨てらるべきものであり、他力は帰せられるべきものと自力他力を廃立で見ていくが、その場合自力とは自力の執心であって、行体そのものを意味していなかったとみるべきであろう。自力行というのは、自力心によって自力断証の行と執ぜられている行ということであって、行体そのものは、本来名号体内の善として廃すべきものではなかったわけである。

 次に証空の特異な他力観を主として法語類をとおしてみておこう。たとえば『述成』には「念仏は此れ他力の行といふ事は人ごとに思へども、真実他力に正しく帰することが極めて有りがたきことにて候なり」といい、その他力の法体である南無阿弥陀仏について次のように解説されている。

今、此の本願の名号には、五劫思惟の心内に南無の機をのせて願じ、兆載永劫の万行は、流転の我等どもの行にして、知らざるに仏の方よりぞ南無阿弥陀仏と一つに成じ、凡夫往生の仏とは成りたまへり。此の故に衆生の方よりは何一つも用意すべき事なく、全分に仏の方より、何一つも漏らさず御認め候なり。是を心得て凡夫の往生を成じ給へるなり。[28]

 南無の機に、願行を成就するために法蔵の五劫永劫の願行が行ぜられたのであるから、成仏されたということは、凡夫往生の仏となられたことであり、南無阿弥陀仏は、凡夫往生の因たる願行を仏のかたにことごとく用意し、したためおかれているという往生正覚不二、願行具足のいわれをあらわしている。従って往生の為に衆生の方で用意すべきものは何一つもない。いわゆる全分の他力往生なのである。それ故、

願行具足の名号を唱へながら、安心をも願行の不足なる様に思ふは儚(はかな)き事なり。譬へば万(よろず)の宝の充ち満ちたる蔵を父の手より得て持ちながら、衣食を如何せんと思はんが如し。ことわりを知らざる人は、機の方より仏の願に取り付かんと思ふ。能く能く他力を心得て見れば、仏の方より衆生の往生を成じ給へる南無阿弥陀仏の名号に、兆載永劫の行成じ玉はずは、我等が往生は思い切らまし。何ともなき妄想顛倒の心なれども、南無阿弥陀仏と唱へ奉れば、仏の五劫兆載永劫の願行が、残らず此の中に納まる故に、さながら仏の恩徳にて、此度生死を離れんずる事よと思ふ故に、すべて我が心の善悪にかかはらずして、適(たまたま)かゝる機を渡し給ふ大慈大悲の忝けなさよと思へば、我等は常没流転の悪ながら、やがてその心の底に、是をすてたまはぬ仏の慈悲の万徳が充ち満ちけるよと思ふ故に、あまりの喜しさに南無阿弥陀仏と称ふるなり。[29]

といわれている。願行具足の名号を称えながら、往生に不足があると思うことは、万宝の満ちた蔵を頂きながら、衣食の心配をするような愚かなことである。それが自力の執心なのである。だからこの道理を知らない自力の状態のときは、機の方から、仏の願に取りつこうとし、仏よおたすけくださいと祈願請求し、如何にすれば、お救いにあずかれるかと心をくだくのである。しかし、仏の方より衆生の往生を成じ給うているという往生正覚不二の他力を心得えてみれば、妄想顛倒の心のままに南無阿弥陀仏と唱えていても、願行具足せしめられており、かかる機を捨てたまわぬ仏の慈悲が煩悩心に充満していると味わわれるというのである。そこで自力と他力を明確に分けて証空は、次のように詞(ことば)を続ける。

故に自力なる時は、機の方より、仏助け玉へと思ふ義なり。他力を心得て見れば、仏の方より衆生を追ひありきたまひけるを知らずして、今日まで流転しけるなり。仏の方より衆生を追ひありきたまひける上は、機の方より、とかう心得て、仏の御心に相応せんなんど思ふべき事にはあらず。下々品の失念といふは、必ずしもこゝを聞き分けて自力を息(や)むるにはあらず、苦に逼まられて追い歩く根性の自然にやむなり。南無阿弥陀仏と唱ふれば、自然に他力の念仏三昧に同ずるなり。平時の時も構へて構へて、此の失念の機に同じて、機の方より 仏を追ひ歩く心を止めて、平に仏に摂取せられ奉りたる身なればと、ほれ〲と憑み奉るべきなり。此の位の心を、如是至心とも、除八十億劫の利益とも申すなり。すべて機より心をはげまして強くなすべき往生にあら ず。全分に打ち任せて信じ奉るべきなり。[30]

 自力とは、「機の方より仏助け玉へと思ふ」祈願請求をすることであり「機の方より、とかう心得て、仏の御心に相応せん」と思いはからうことであり、「仏を追い歩く心」のことである。それに対して他力とは「仏の方より衆生を追ひありきたま」うことであって、そのありさまが法蔵菩薩の発願修行であり、往生正覚不二の正覚成就のすがたであり、願行具足せる南無阿弥陀仏なのである。証空はつづいて願行具足の南無阿弥陀仏のいわれを明かして、

南無といふは凡夫の願を成じ給ふ義、阿弥陀仏と云ふは、我等往生の行に替りて成じ玉へる義なり。此の仏の名号を衆生が唱ふる時、本より凡夫の為に成じ給へる願行の功徳が、此の唱ふる者の往生の願行となるなり。[31]

といわれている。ところで名号は万徳を摂し、三世を包括して成就された本願酬因の法であるから、機の心の断不にかかわらず「相続不断の謂れ」があり、「唱えざれば仏にうとくなる」というものではない。それゆえ「他力本願の名号を称えながら、能念のわが心にかへりて、深く願はば往生はしてんなんどといふは」自力というべきである。「他力といふは、全く機の心の沙汰もせず、唯願力を憑むと憑まざるとの不同なり、努々(ゆめゆめ)機の心の深き浅きを論ぜされ」といわれる。それに対して「自力の者は、名号の外に安心ありと思ふ故に、他力の名号を機の位に引きはなして、自ら往生を退くなり」という。けだし南無阿弥陀仏の南無のほかに、自からが南無を造りあげていこうとしていることが、「心深く極楽を願はばや、仏構へて願ふ心をつけさせたまへ、」と信心、願心の成就を祈念している自力の行者のすがたであるというのである。[32]

 このようにして証空は、衆生の信心さえも南無阿弥陀仏のうえに成就されているとみられていたようである。

『散観門義』三に、二河譬の「乗彼願力之道」を釈して、

乗彼願力之道者、前行者清浄願往生心、雖白道、今又乗願力之道者、依他力願往生心起。有往生心、其行業成、顕願力也。[33] 「隠/顕」
「乗彼願力の道とは、前に行者の清浄の願往生の心、白道に譬へたりといへども、今願力之道に乗ずるといふは、他力に依りて願往生の心も起こりぬ。往生の心あれども、その行業の成ずることは願力に依るということを顕すなり。」

といい、願往生の信心も、称名行もすべて願力他力によって起こるものであるというふうに考えられていたことは明らかである。ところが『述成』には、機の方から造りだす信心を否定する為であったのだろうが、疑心をもったままに救われると領解するのが、真実に他力本願を信ずるものだとさえいわれている。

今失念ノ機、善根成就せざる凡夫を体とすといふは、機の、左あれば、かかればと騒ぐ心を按へて、斯(かか)る疑ひの機、信心一つも無き機を本として摂取して正覚を成じたまへる仏体にて在しけるよと思ひ付く所を、今の他力の信心とは云ふなり。云何にも此の疑ひ騒ぐ意を静めての上に、本願の体を心に懸けて念仏して往生すといふ分は、尚(なを)機を本とする故に、真実他力の信心にては無き者なり。念仏といふは他力なり。他力といふは、我が心を本とせず。偖(さ)て我が心は是れ何時も疑ひあきらめずして、最後臨終の時にも、本願をひとすじにたのむ心は無くして、如何あらんずらん、地獄にや堕ちんずらんとのみ騒ぎ疑はるるなり。是を凡夫の体とはいふなり。無有出離之縁の機とは是なり。此の機の体をはたらかさずして摂取したまふ所が、真実の他力本願の不思議にては有りと思ひ付くばかりなり。[34]

 このように煩悩も、疑心もあるままの凡夫の体を全くはたらかさず、そのまま摂取するのが他力本願の不思議であるといわれるわけである。さきにのべた弁長の『浄土宗名目問答』における全分他力説の批判は、直接であったか否かはわからないが、こうした証空の全分他力説を批判する意味をもっていたとも考えられる。

証空の機法一体説

 尚(なお)証空は、こうした他力の道理をあらわす往生正覚一体が衆生の上に現成している状態を機法一体という用語であらわされることがある。『西山善慧上人御法語』に、

迷の我等が上におひて正覚を成ずる時、迷悟が一になりたる所を南無阿弥陀仏六字の名号と申す也。然る間、南無は迷の衆生の体也。覚りと云ふは阿弥陀仏の体なり。この二が一になりたる所を、仏につけては正覚とい ひ、凡夫につけては往生と云ふ也。・・・・・・此の謂れをこゝろえんずるを即便往生ともいひ、機法一体ともいひ、証得往生とも云ふ也。[35]

といわれている。すなわち往生正覚一体の道理をこころえたことを益でいえば即便往生(現生)とか当得往生(当来)ともいい、またその道理になり切ったところを機法一体というというのであろう。[36] 『略安心鈔』には、往生正覚一体の道理を明かして、

南無阿弥陀仏と称する心を正因正定の業と名く、此の南無の心は我等がほとけを憑むこゝろなり。阿弥陀仏とは憑む心を彼の仏の摂し給ふ他力不思議の行体也。されば我こゝろを南無と云ひ、彼の仏の我を摂したまふをば阿弥陀仏といふ。彼此一つに成りあひたる姿が即ち仏にて御座処を南無阿弥陀仏と申なり。・・・・・・往生といふは仏の御心と我心と一に成りあひたる所を申すなり。・・・・・・我等唯知作悪の機、名号智火の仏果に摂せられまいらせて、今正しく三心四修別時長時、機法一体になりぬれば、名号の外に全く求むべき往生はなきなり。[37]

といわれている。すなわち南無の衆生が、阿弥陀仏に摂取されて、仏心と凡心とが一つに成っているありさまを機法一体とよばれたようである。機法一体とは、証空においては他力が衆生の上に現成して即便往生しているありさまをあらわすことばであったと考えられる。

 証空がこのように仏の正覚は衆生の往生によって成じ、衆生の往生は仏の正覚によって成ずというふうに生仏一体の本願の道理によって往生正覚一体を主張されたのは、「登山状」の最後の次のような言葉が大きな支えとなっていたと考えられる。

永劫の修行はこれたれがためぞ、功を未来の衆生にゆづりたまふ。超世の悲願は又なんの料ぞ、心ざしを末法 のわれらにをくり給ふ。われらもし往生をとぐべからずは、ほとけあに正覚をなり給ふべしや。われら又往生 をとげましや。われらが往生はほとけの正覚により、ほとけの正覚はわれらが往生による。若不生者のちかひ これをもてしり、不取正覚のことばかぎりあるをや云云。 →登山状 [38]

  1. 『菩薩地持経』第一(大正蔵三〇・八九〇頁)[1]、『十地経論』第一(大正蔵二六・一二五頁)[2]
  2. 『論註』上、序題(真聖全一・二七九頁)は、竜樹の『十住毘婆沙論』「易行品」(真聖全一・二五四頁)をうけて、難易二道を明かされるわけであるが、もともと「易行品」は不退転地に至る道として難易二道を分判し、その不退位も此土において語られていた。それを曇鸞は彼土不退とし、往生浄土ということに主眼をおかれるようになり、又「易行品」では諸仏易行も盛んに説かれていたが、曇鸞は弥陀易行に限定して説かれたのである。
    ◇御開山は「易行品」の「あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり」の指示によって此土で阿惟越致に至る現生正定聚説をとなえられた。そして曇鸞大師もどこかで現生正定聚説を示しておられるとして「妙声功徳成就」の「経言 若人 但聞 彼国土清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚。此是国土名字 為仏事。安可思議(経にのたまはく、「もし人、ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る」)」(論註 P.119) の文を「『経』にのたまはく、〈もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなはち正定聚に入る〉」(証巻 P.309)と現生での此土不退の正定聚と、彼土不退の正定衆を示す文として訓点されたのである。→剋念して…入る。これには『観経』の「念仏衆生摂取不捨」の摂取不捨の文を考察し洞察された御開山の己証であった。『御消息』で「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す」(消息 P.735)とされておられる。
  3. ◇しかるに覈(まこと)に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。
  4. 『論註』下・利行満足章(真聖全一・三四七頁)
  5. ◇常倫に超出し普賢の徳を修習せん。
  6. ◇これをもつて推するに、他力を増上縁となす。しからざることを得んや。 (論註 P.157)
  7. ◇もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。
  8. ◇速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得。
  9. 論に「五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。
  10. 『論註』の他利々他釈は大変難解であるが、親鸞が『入出二門偈』(真聖全二・四八二頁)に「願力成就名五念、仏而言宜利他、衆生而言言他利、当知今将仏力」といわれた意によって解釈した。◇読下し。「願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜんとす。」(二門 P.548) →ノート:他力
  11. 「証文類」(真聖全二・一一九頁)に「宗師顕示大悲往還回向、慇懃弘宣他利々他深義◇〔宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。〕」といわれている。もっとも『論註』下・起観生信章(真聖全一・三一六頁)に廻向門を釈して「廻向有二種相、一者往相、二者還相、往相者、以己功徳施一切衆生、作願共往生彼阿弥陀如来安楽浄土、還相者、生彼土已、得奢摩他毘婆舎那方便力成就入生死稠林、教化一切衆生共向仏道、若往若還、皆為衆生生死海)」◇〔「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。「往相」とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。「還相」とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜きて生死海を渡せ んがためなり。〕といわれているが、この往相廻向、還相廻向は、いずれも願生行者の利他廻向行をあらわしている。親鸞が廻向の主体を如来とし、如来廻向の相としての往相、還相とみられるのは、他利々他釈において利他を如来の本願力をあらわすといわれた曇鸞の釈意によって廻向の主体を衆生から如来へと逆転されたのであろう。
  12. 如来の本願力について曇鸞は『論註』下・観察体相章(真聖全一・三三一頁)に、不虚作住持功徳を釈して、「不虚作住持功徳成就者、蓋是阿弥陀如来本願力也。・・・・・・所言不虚作住持者、依本法蔵菩薩四十八願、今日阿弥陀如来自在神力、願以成力、力以就願、願不徒然、力不虚設、力願相苻、畢竟不差故曰成就」◇〔「不虚作住持功徳成就」とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。・・・・・・いふところの「不虚作住持」とは、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。 〕といい、因願と果力が相苻して、願の如く衆生をあやまたず救済する自在神力を本願力といわれている。
  13. 『安楽集』上・広施問答(真聖全一・四〇〇頁)、『同』上(同・四〇六頁)◇「もろもろの大乗経に弁ずるところの一切の行法に、みな自力・他力、自摂・他摂あり。」 (安楽集 P.234)
  14. ◇仏教では師匠が弟子に法を伝授することを「師資相承」という。この場合の師・資は「師匠と弟子」という意味であり、資は弟子の意である。
  15. ◇一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし。(玄義分 P.301)
  16. 『玄義分』序題門(真聖全一・四四三頁)(玄義分 P.301) の「莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁」〔みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし〕は『安楽集』上(真聖全一・四〇六頁)に『論註』の覈本釈をうけて自力他力を釈し、その他力の体を明かして「即為他力故大経云十方人天欲我国者、皆以阿弥陀如来大願業力増上縁、若不是四十八願便是徒設。語後学者、既有他力可乗、不自局己分徒在火宅也」◇〔すなはち他力となす。 ゆゑに『大経』にのたまはく、「十方の人天、わが国に生ぜんと欲するものはみな阿弥陀如来の大願業力をもつて増上縁となさざるはなし」と。 もしかくのごとくならずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。 後学のものに語る。 すでに他力の乗ずべきあり。 みづからおのが分を局り、いたづらに火宅にあることを得ざれ。 〕といわれたものを伝承されたことは明らかである。善導は他力という用語は用いられないが、曇鸞、道綽の他力思想は的確に伝承されていたわけである。
  17. 『往生要集』中末・大文第五「助念方法」(真聖全一・八四一頁)、『同』下末・大文第十「問答料簡」(同・九〇三頁)、『同』下末(同・九〇六頁)等。
  18. 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八六頁)
  19. 『浄土宗名目問答』中(浄全一〇・四一〇頁)
  20. 『選択伝弘決疑鈔』一(浄全七・二〇九頁)
  21. ◇林遊の追記。『観経疏』玄義分に「しかも娑婆の化主はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人は別意の弘願を顕彰したまふ。その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(玄義分 P.300)とある。
    この要門と弘願の関係を、良忠上人は『淨土宗要集』(浄全一一・八頁)で「第四、問、何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也
    (第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云う、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得るなり)」と、されている。要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)が相依って往生の(果)を得るとされている。これは増上縁を、仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏の大願業力に乗ずるのだとされるのである。 なお法然聖人は『西方指南抄』所収の「十七条御法語」で「予(よが)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り」「十七条御法語」と、「玄義分」で示される「要門」と「弘願」は別の法義体系であるとみられていた。善導大師の指南により『観経』に「観仏三昧と念仏三昧の一経両宗」(選択集 P.1270)をみられた法然聖人の卓見である。
    御開山は、この法然聖人の意を正確に承けて『浄土論』『論註』の示唆によって「本願力回向」の宗義を顕されたのであった。
  22. 『浄土宗行者用意問答』(浄全一〇・七〇五頁)
  23. 石田充之『法然上人門下の浄土教の研究』下巻「弁長上人の浄土教」(六六頁)參照。
  24. 前掲註參照。
  25. 『散観門義』三(西山全三・三四三頁)◇「一切三世の善根、皆悉く会して弥陀功徳に納まり、通じて浄土の業因と成りぬれば、往生の思ひより外さらに余の事あるべからざるなり。」
  26. 石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』上巻「証空上人の浄土教」(二八二頁)參照。
  27. 『散観門義』二(西山全三・三四二頁)◇「知るべし、善の体は嫌ふ所無し、心の開不開に依るべしということを。」
  28. 『述成』(『西山上人短篇鈔物集』八三頁)
  29. 『同右』(同右・八四頁)
  30. 『同右』(同右・八五頁)
  31. 『同右』(同右・八六頁)
  32. 『同右』(同右・八七頁)
  33. 『散観門義』三(西山全三・三五三頁)
  34. 『述成』(『西山上人短篇鈔物集』八二頁)
  35. 『西山善慧上人御法語』(『西山上人短篇鈔物集』一三二頁)
  36. ◇『観経』に「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生を得べし(当得往生)」と「即便往生」と「当得往生」が説かれている。証空はこの「即便往生」を現生とし「当得往生」を当来とみていた。御開山は「即便」という文字によって、他力の往生を「即往生」、自力による往生を「便往生」とされていた。
  37. 『略安心鈔』(『西山上人短篇鈔物集』一八一頁)、『安心鈔』(同上・一八五頁)にも同じように、仏心と凡心とが一つになって往生(即便往生)している状況を機法一体とよんでいる。
  38. 「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七二六頁)、尚この書は、古来聖覚の作と伝えられている。しかし法然の名によって山門へ送られたというから、法然の作に準じてさしつかえなかろう。◇ →登山状
三、親鸞の他力廻向説

 証空が自力、他力を廃立という相互否定的な関係でとらえたように、親鸞も両者を廃立の関係でみていかれる。
しかし、証空が諸行と念仏を開会の関係でみていくために、自力の執心さえなくなれば、諸行即念仏と開会され、定散諸善をそのまま他力念仏の一法に帰せしめていったのに対して、親鸞は、開会思想を用いず、定散諸行と弘願念仏は、心行ともに廃立の関係でみていかれる。その主著『教行証文類』の「行文類」偈前の文に、

凡就誓願、有真実行信、亦有方便行信、其真実行願者、諸仏称名願、其真実信願者、至心信楽願、斯乃選択本願之行信也。其機者則一切善悪大小凡愚也、往生者則難思議往生也、仏土者則報仏報土也。斯乃誓願不可思議一実真如海、大無量寿経之宗致、他力真宗之正意也。(行巻 P.202) [1] 「隠/顕」
「おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。」(行巻 P.202)

といわれたように、方便の行信因果と真実の行信因果を明確に分判される。その方便の行信因果の法門を、要門と真門に分ける。要門とは、願でいえば第十九願、行は発菩提心、修諸功徳の定散諸行、信は至心発願欲生の自力の願往生心であり、その果は双樹林下往生である。真門とは、願は第二十願、行は植諸徳本の自力念仏、信は至心廻向欲生の自力の願往生心であり、その果は難思往生であって、要門、真門のいずれもその果は方便化身土であるとみられている。このような浄土門内の方便の法門と、聖道門とが自力の法門であって、心行ともに廃捨され、簡非さるべき権仮方便の法門として「化身土文類」に明かされている。

 これに対して真実の行信因果は、そのいずれもが如来によって廻向された法であるとして、本願力廻向の法門とみなし、『教行証文類』の前五巻に明かされるのである。「教文類」のはじめに、この本願力廻向の法門を浄土真宗とよび、それを二廻向四法の体系であらわされたことは周知の通りである。

謹按浄土真宗、有二種廻向、一者往相、二者還相、就往相廻向、有真実教行信証[2]「隠/顕」
「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」(教巻 P.135)

と述べられたものがそれである。ところで親鸞は「行文類」他力釈のはじめに、他力を概念規定して「言他力者、如来本願力也」「隠/顕」「他力といふは如来の本願力なり」[3]といわれているから、本願力廻向の相としての二廻向四法が、親鸞における他力の構造であったことがわかる。

 本願力とは、根源的には第十八願力であるが、その相をひらけば念仏往生の因果往還を成立せしめている六願になる。すなわち第十七願力によって真実教(能詮)と真実行(所詮)を廻向し、第十八願によって真実の信を廻向し、第十一願によって、行信の衆生を往生成仏せしめ証果を廻向する。その証果の悲用としての還相摂化を成立せしめるものが第二十二願であった。さらにこの往還廻向の主体である真報身を成就し、廻向の本源であり、同時に生仏一如の(さと)りの実現する場でもある真実報土を成就するのが第十二、第十三願であった。こうして、往相も、還相も、教も行も信も証も、すべてが本願力によって与えられたものであったというのが取願立法とよばれる親鸞の本願力廻向の教義体系であり、このような如来の本願の成就相としての救済活動を他力とよばれたのであった。いいかえれば他力とは、教、行、信、証となって万人の上に実現していく如来清浄本願の救済活動に名づけられたものである。[4]

 このようにして自力とは、行者が各自のはからいによって定散二善、諸善万行を修して仏に近づいていこうとすることであるから、常に衆生から仏へという方向性をもっていた。
それに対して他力とは、如来が選択し成就された本願の名号を廻向し、衆生をして信受奉行せしめることであるから、仏から衆生へという方向性をもって説かれる。教行信証という往生浄土の相状は、衆生が浄土に向かっていく相であるが、その衆生から仏への方向の全体が、如来の廻向相として、如来からたまわったものと領解していったのが親鸞の他力観だったのである。衆生は、煩悩具足の凡夫なるが故に、どこまでも己を空しくして、如来よりたまわった真実に随順するという「はからいなき」姿勢が強調されるのである。「他力と申し候は、とかくのはからひなきを申候なり」[5]といわれる所以である。

また『末灯鈔』第二条には、自力他力について次のように教述されている。

それ浄土真宗のこゝろは、往生の根機に他力あり自力あり、このことすでに天竺の論家、浄土の祖師のおほせ られたることなり。まづ自力と申ことは、行者のおのくの縁にしたがひて、余の仏号を称念し、余の善根を 修行して、わがみをたのみ、わがはからひのこゝろをもて、身口意のみだれごゝろをつくろい、めでたうしな して、浄土へ往生せむとおもふを自力と申なり。また他力と申ことは、弥陀如来の御ちかひの中に、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申なり。如来の御ちかひなれば他力には義なきを義とすと、聖人のおほせごとにてありき。義といふことは、はからうことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は本願を信楽して往生必定なるゆへにさらに義なしとなり。しかれば、わがみのわるければ、いかでか如来むかへたまはむとおもふべからず、凡夫はもとより煩悩具足したるゆへにわるきものとおもふべし。またわがこゝろよければ往生すべしとおもふべからず、自力の御はからいにては真実の報土へむまる べからざるなり。行者のおのおのの自力の信にては懈慢辺地の往生、胎生疑城の浄土までぞ、往生せらるゝことにてあるべきとぞうけたまはりたりし。(消息 P.746) [6]

 ここに親鸞の自力他力観が要約されている。自己の修道能力をたのみ、廃悪修善によって身心を浄化し、仏に近つき、浄土にふさわしいものになって、浄土へ迎えられようとはからうことを自力というのである。しかし自力の心行をもって本願成就の真実報土に往生することはできず、わずかに懈慢辺地胎生、疑城とよばれる方便化身土にしか生まれることができない。これに対して他力とは、一切の自力のはからいをはなれ、雑行をすてて、念仏往生の本願を信楽し、選択廻向せられた本願の念仏を行じていくことをいう。すなわち他力とは、単に如来の本願力というだけではなくて、本願力にはからいなく信順し、本願力廻向の行を行じていることをいうのであって、かかる他力によってのみ、本願成就の真実報土に往生せしめられるといわれるのである。自力の心行を廃捨しなければ、決して他力信行の世界に帰入できないのである。そうした他力信行の境地を親鸞は晩年、「自然法爾」の法語のなかで展開されるが、それについては次の機会に譲る。

第三節 法然の自力観

 法然は「浄土宗大意」に、聖道門と浄土門の法義内容を比較して、

聖道門といふは、娑婆の得道なり、自力断惑出離生死の教なるがゆへに、凡夫のために修しがたし、行じがたし。浄土門といふは、極楽の得道なり、他力断惑往生浄土門なるがゆへに、凡夫のためには修しやすく、行じやすし。(*)[7]

といわれている。自力をもって断惑証理し、娑婆において得道しようとするものが聖道門であり、他力、すなわち如来の本願力によって断惑せしめられ、浄土に往生して証果を得ようとする法門が浄土門であると、自力断惑と他力断惑をもって、聖浄二門を分判されている。これによれば断惑証理の道に自力道と他力道があるとみなされていたとすべきである。ここには自力他力についての定義は直ちに出されていないが「浄土宗略抄」には「自力といは、わがちからをはげみて往生をもとむる也。他力といは、たゞ仏のちからをたのみたてまつる也」(*) [8]と端的にあらわされている。すなわち自力とは、行者が自身の修道能力をたのみ、わが力をはげんで往生を願い求めることをいい、他力とは、たゞひとえに仏の力をたのみたてまつることであるといわれる。それはいいかえれば、他力とは、自己の力、すなわち自力をたのまないことであると考えてよかろう。自力とは、自己をたのんで仏力を「たゞ、ひとへに」たのまないことであるとすれば、自力と他力とは相互に否定しあう反対概念として用いられていたとみなすべきであろう。その自力のなかに、さきにのべたように聖道門を意味する場合と、浄土門内の雑行を意味する場合とがあった。「念仏往生要義鈔」に自力を説明して、

問ていはく、自力といふはいかん。答ていはく、煩悩具足してわろき身をもて、煩悩を断じ、さとりをあらはして、成仏すと心えて、昼夜にはげめども、无始より貪瞋具足の身なるがゆへに、ながく煩悩を断ずる事かたきなり。かく断じがたき无明煩悩を三毒具足の心にて断ぜんとする事、たとへば須弥を針にてくだき、大海を芥子のひさくにてくみつくさんがごとし。たとひはりにて須弥をくだき、芥子のひさくにて大海をくみつくすとも、われらが悪業煩悩の心にては、曠劫多生をふとも、ほとけにならん事かたし。そのゆえは、念々歩々におもひと思ふ事は、三途八難の業、ねてもさめても案じと案ずる事は、六趣四生のきづな也。かゝる身にては、いかでか修行学道をして成仏はすべきや、これを自力とは申す也。(*)[9]

といわれている。これは煩悩具足の凡夫が、わが力をはげんで廃悪修善し、断惑証理して成仏しようとすることを自力といっているのだから聖道門の修行学道を意味していることは明らかである。

 しかし聖道門的な修行学道をもって往生を求めるものもまた自力とよばれる。さきにあげた「浄土宗略抄」には、

われらが自力にて生死をはなれぬべくば、かならずしも本願の行にかぎるべからずといへども、他力によらずば、往生をとげがたきがゆへに、弥陀の本願のちからをかりて、一向に名号をとなへよと、善導はすゝめ給へる也。自力といは、わがちからをはげみて往生をもとむる也。他力といは、たゞ仏のちからをたのみたてまつる也。このゆへに正行を行ずるものをば専修の行者といひ、雑行を行ずるをば雑修の行者と申也。(*) [10]

といい、ついで専雑の得失が論ぜられている。この文脈によれば、一向に称名する正行を他力といい、雑行を修することを自力といわれたとみなければならない。

 また「逆修説法」にも、

然往生行我等點今始可計事不候、皆被定置事者也。・・・・・・実我等衆生、取自力許而求往生、此行等為仏御心、又有叶不審覚、往生不定可候、申念仏往生人、非自力可往生也、只他力往生也、本自唱仏定置之名号、乃至十声一声、令生給者、十声一声念仏一定可往生、其願成就成仏給云道理候、然者唯一向仰仏願力、可定往生也、以我自力強弱、不定不定[11] 「隠/顕」
しかれば往生の行をば我等が點(さか)しく、いま始めて計ふべき事には候はず、みな定め置たる事なり。・・・・まことに我等衆生、自力ばかりにて往生を求めんに取りてこそ、この行等は仏の御心に叶ひやすからん、また叶はざらんや有らんと不審にも覚へ、往生の不定には候ふべし。念仏を申して往生を願はん人は、自力にて往生すべきには非ざる也、ただ他力の往生也、本(もと)より仏の定め置きたる名号を唱へて、乃至十声一声にても、生れしめ給へば、十声一声念仏して一定往生すべけんこそ、其願成就し成仏し給ふと云ふ道理も候へ、しかれば唯一向に仏の願力を仰ぎて、往生をば決定すべし、我が自力の強弱を以て、定とも不定とも思ふべからず。

といわれている。これによれば自力をもって往生しようとするものは、この行は仏の心に叶うか否かと不審をもつから、往生も不定になる。しかし仏が選択して往生の行と定め置かれた称名を行ずるものにはそのような不審もなく、唯一向に仏願を仰いで決定往生すと思うべきで、我が自力の強弱をもって、定不定の思いをなすべきではない。だから念仏して往生を願うものは、自力で往生すると思うべきではない、ただ他力の往生と思うべきであるといわれるのである。ここに自力の強弱によって、往生の定不定をきめてはならないといわれたのは、往生は自力によってするものではなく、全く他力によることを表明されているとしなければならない。もっともこの文章には直ちに自力行と他力行という言葉はない。しかし自力で往生しようとするものが「此行等為仏御心、又有叶不審覚」「隠/顕」此の行等は、仏の御心に叶ひやすらん、又叶はずや有るらんと不審にも覚へ。 [12]ているような「此行等」とは、如来によって選捨された非本願の雑行をさしていることは前後の文からみて明らかである。又念仏して往生するものは「只他力往生也」といわれているから「本自唱仏定置之名号「隠/顕」本より仏の定め置きたまふの名号を唱へ。 [13] る念仏は他力行ということになるだろう。ところで、この「逆修説法」の文は、古本『漢語灯録』本と、『西方指南抄』所収の「法然聖人御説法事」とは同文になっているが、義山が改訂した正徳版『漢語灯録』所収本は文意ともに変えられている。鎮西義にあわなかったからであろう。[14]

 また古本『漢語灯録』所収の「基親取信信本願之様」に、一念義を批判して基親は、

難者云、自力往生難叶、只一念成信後、念仏数遍無益也。基親又申云自力往生者、以雑行等往生 申者自力申候、随善導和尚疏云上尽百年、下至一日七日、一心専念弥陀名号、定得往生必無疑 也候者、百年可念仏候。[15] 「隠/顕」
難者の云、自力にては往生叶ひ難し、只一念に信を成じて後、念仏数遍無益也と。基親又申て云く自力往生とは、雑行等を以つて往生を願ずと申さばこそ自力とは申し候はめ、善導和尚の疏に、上百年を尽し、下一日七日に至るまで、一心に弥陀の名号を専念すれば、定て往生することを得て必ず疑ひ無き也と云ふに随ひ候は、百年も念仏すべきとこそ候へ。

といっている。すなわち念仏以外の雑行等を以て往生を願うことは自力であるが、本願の念仏を行ずることは決して自力ではないと主張しているのである。『西方指南抄』所収本も和文になっているが全く同文である。ところが義山改訂本は「予云、凡自力他力者、聖浄二門相対論之、浄土門中、雖正雑二修之別、共乗彼仏願故、皆名他力、聖道門者即難行道也。以是自力故。浄土門者、即易行道也。以是他力故。然則雑行尚非自力、何況称仏多念乎」[16] 「隠/顕」

予云、凡(およそ)自力他力とは、聖浄二門相対してこれを論ず、浄土門の中、正雑二修の別有りといえども、共に彼の仏の願に乗るが故に、みな他力と名く。聖道門とは即ち難行道也、是れ自力なるを以ての故に。浄土門とは、即ち易行道也。是れ他力なるを以つての故に。然れば則ち雑行なお自力に非ず、何に況んや称仏の多念なるをや。

となっていて、全く文意ともに改変されている。義山本によれば自力他力は聖道浄土の二門を判別する語であって、浄土門内で用いてはならない。浄土門では正行は勿論、雑行も、本願力(他力)に乗じて、同じく往生するのであるから、一様に他力であって、雑行往生を自力といってはならないということになる。これは明らかに鎮西派の宗義である二類各生説によって改変していることがわかる。[17]

 さらにまた『三部経大意』の専修寺本、及び金沢文庫本によれば、『散善義』の至誠心釈について総別二種の至誠心ありとし、

総といふは、自力をもて定散等を修して往生をねがふ至誠心なり、別といふは、他力に乗じて往生をねがふ至誠心なり。そのゆへは疏の玄義分の序題の下にいはく、定はすなわちおもひをとゞめてこゝろをこらし、散はすなわち悪をとゞめて善を修す。この二善をめぐらして往生をもとむるなり。弘願といふは、大経にとくがごとし、一切善悪の凡夫、むまるゝことをうるは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせずといふことなしといへり。自力をめぐらして、他力に乗ずることあきらかなるものか。・・・・・・このゆへに自力にて諸行を修して至誠心を具せむとするものは、もはらかたし、千が中に一人もなしといへるこれなり。(*) [18]

といわれている。これも定散諸行を修して往生を願う要門を自力といい、「阿弥陀仏の名号をとなふるによりて、五逆十悪ことぐくむまるといふ別願の不思議力のまします」[19]ことを信じて念仏し、阿弥陀仏の大願業力に乗じて往生する弘願を他力といわれていると窺うべきであろう。しかもここに「自力をめぐらして他力に乗ずる」といわれることは、次下に「自力にて諸行を修して至誠心を具せむとするものは、もはらかたし」といわれたものと照応すれば、自力を捨てて他力に帰する意味だったとみるべきであろう。

 さて「わがちからをはげみて、往生をもとむる」ことが自力ならば、たとえ念仏であっても、そのような心で称えているならば自力の念仏であるとしなければならない。そこで法然は「念仏往生要義抄」に、念仏について自力と他力を分判されている。

問ていはく、称名念仏申す人は、みな往生すべしや。答ていはく、他力の念仏は往生すべし、自力の念仏はまたく往生すべからず。(*) [20]

といわれたものがそれである。さきにのべたように鎮西派の弁長や良忠は、念仏に自力と他力を分別することは、法然にはなきことであるといわれていたが、法然にもこのような法語があったのである。ところが元亨版『和語灯録』本では「自力の念仏はまたく往生すべからず」となっているのを、義山が改訂した正徳版では「他力の念仏は往生すべし、自力の念仏は、本より往生の志しにて申念仏にあらざれば、またく往生すべからず」となっている。[21]

これによれば、自力の念仏とは、往生の志のない念仏で、聖道門の行法としての念仏のごときものをさすということになる。しかし法然はさきにのべたように他力に対して「自力といは、わがちからをはげみて往生をもとむる也」といわれているから、義山改訂本は、鎮西義との予盾をぼかすための改変であったとみるべきであろう。[22]

 「念仏往生要義抄」は、他力の念仏と、自力の念仏を、また「他力の心に住して念仏申」すと「自力の心に住して念仏申」すともいわれている。しかしこれも義山は「ふかく本願を信じて念仏申」すと、「念仏に不足のおもひをなして余行をましえ申」すというふうに改変している。[23]さて元亨版『和語灯録』本では次のように述べられている。

されば古人のいへる事あり。煩悩は身にそへる影、さらむとすれどもさらず、菩提は水にうかべる月、とらむとすれどもとられずと。このゆへに阿弥陀ほとけ五劫に思惟してたて給ひし深重の本願と申すは、善悪をへだてず、持戒破戒をきらはず、在家出家をもえらばず、有智無智をも論ぜず、平等の大悲をおこしてほとけになり給ひたれば、たゞ他力の心に住して念仏申さば、一念須臾のあひだに、阿弥陀ほとけの来迎にあづかるべき也。むまれてよりこのかた、女人を目に見ず、酒肉五辛ながく断じて、五戒十戒等かたくたもちて、やん事なき聖人も、自力の心に住して念仏申さんにおきては、仏の来迎にあづからん事、千人が一人、万人が一二人なんどや候はんずらん。(*) [24]

 これによれば、他力の心に住して念仏申すとは、善悪、持戒破戒、在家出家、有智無智をへだてず、万人を平等に救わんと思しめす本願の大悲を信じ、本願力に全托して念仏していることを「他力の心に住して」念仏するといわれたのである。従ってその反対の意味で示された「自力の心に住して念仏申す」というのは、悪を廃して善を修し、持戒清浄の身になってこそ救われるであろうと、廃悪修善の心をもって念仏することを意味していたとしなければならない。いいかえれば自力修道の因果を信じて念仏することであった。後に親鸞が、自力心を定散心であるとか、信罪福心といわれたのと同じ意味であった。このように廃悪修善の心をもって念仏するものは、当然智慧、持戒、道心といった諸行の助けをかるようになるから、自力の心に住して申す念仏は、必然的に助念仏となる。

「諸人伝説の詞」に、

本願の念仏には、ひとりだちをせさせて助をさゝぬなり。助さす程の人は極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智慧をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。それに善人は善人ながら念仏し、悪人は悪人ながら念仏して、たゞむまれつきのままにて念仏する人を、念仏にすけさゝぬとは申す也。(*) [25]

といって助念仏を辺地の業因と批判されている。ここで「ひとりだちをせさせて助をさゝぬ」本願念仏は、善悪平等の救いに安住しているから、「他力の心に住して申す」念仏であり、助けさす念仏とは、廃悪修善の思いで称えているから「自力の心に住して申す」念仏であったといえよう。もちろん前者が、正しい本願念仏のありようであり、後者は本願の念仏を誤解していることはいうまでもない。このような「自力の心に住して念仏する」ことを一箇の法門として取り出してきたのが親鸞の真門自力念仏の法門であったと考えられる。

第四節 法然の他力観

 「念仏往生要義抄」第二問答に他力を釈して、

問ていはく、その他力の様いかむ。答ていはく、たゞひとすぢに、わが身の善悪をかえり見ず、決定往生せんとおもひて申すを、他力の念仏といふ。たとへば麒鱗の尾につきたる蝿の、ひとはねに千里をかけり、輪王の御ゆきにあひぬる卑夫の、一日に四天下をめぐるがごとし。これを他力と申す也。又おほきなる石をふねにいれつれば、時のほどにむかひのきしにとづくがごとし。またくこれは石のちからにはあらず、ふねのちからなり。それがやうに、われらがちからにてはなし、阿弥陀ほとけの御ちから也。これすなはち他力なり。(*) [26]

といわれている。他力とは、みずからの力をもっては成仏しえない凡夫を往生せしめる阿弥陀仏の力をいい、正確には本願力をさしていた。あるいは善導のことばをかれば大願業力である。それは広くいえば四十八願力であるが、その根本本体をいえば第十八願力をさしていた。「法然聖人御説法事」に、

かの仏の願力をあおぎて、かのくにゝむまれむとねがふは、この法蔵菩薩四十八願の法門にいるなり。・・・その四十八願の中に第十八の念仏往生の願を本体とするなり。(*) [27]

といわれるように、仏の願力を仰ぐということは、第十八願力を仰ぐことを意味していたのである。だから「決定往生せんとおもひて申すを他力の念仏といふ」といわれたときの他力とは、念仏往生を誓われた第十八願力をさしていたとすべきであろう。法然がしばしば「わがちからにて生死をはなれむ事、はげみがたくして、ひとへに他力の弥陀の本願をたのむ也」(*) [28]とか、「他力の本願ともいひ、超世の悲願ともいふなり」(*) [29]とか、「他力本願に乗ずるに二あり、乗ぜざるに二あり」[30]とかいわれるときの「他力の本願」とは第十八願をさしていることは前後の文脈によって明らかである。もっとも法然は第十九願力を他力とよばれることがあった。「示或女房法語」に「聖道の得道にももれたるわれらがためにほどこし給他力と申候は、第十九のらいかうの願にて候へば、文に見へず候とも、かならずらいかうはあるべきにて候なり」(*) [31]といわれたものがそれである。これは法然が第十九願の来迎を、第十八願の念仏往生の機のための臨終の益を誓ったものとみられていたからであって、このときは、第十九願を第十八願の外にみず、その来迎を第十八願力のなかに摂してみておられたのである。

また「十一箇条問答」第十問答に、自力他力を説明して、

問、自力他力の事は、いかゞこゝろうべく候らむ。答らくは、源空は殿上へまいるべききりやうにてはなけれども、上よりめせば、二度まいりたりき。これわがまいるべきしきにてはなけれども、上の御ちからなり。まして阿弥陀仏の仏力にて、称名の願にこたえて来迎せさせたまはむ事おば、なむの不審かあるべき。(*)[32]

といわれているように、第十九願の来迎は、第十八願力の自然として与えられる益だったのである。もっとも法然には「第十九の願は、諸行之人を引入して念仏之願に帰せしめむと也」(*)[33]というように、諸行の人を第十八願へ誘引する方便願とみられる第十九願観もあったことは注意しておかねばならない。

 ところで念仏の利益といえば、平生の光明摂取と、臨終の来迎があるが、法然はこの二つをふくめて「念仏衆生、摂取不捨」の利益をみておられた。『三部経大意』に「念仏衆生、摂取不捨」を説明するのに、第十二、第十三、第十七、第十八、第十九の五願をあげられる。そして第十二願の光明無量の願は、第十八願の念仏者を、平生から摂取不捨する光明の徳を誓ったものであるが、それが臨終においては諸邪業繋を除くために聖衆来迎となって顕現するのであって、第十九願の来迎は、それをあらわしているといい、平生の摂取と臨終の来迎という「これらの益あるがゆへに、念仏衆生摂取不捨といへり」(*) [34]といわれている。従って他力、すなわち本願力とは、具体的には念仏の行者を、善悪賢愚のへだてなく平生には光明中に摂取して捨てず、臨終には来迎して浄土に往生せしめる救済力のことであった。

 法然は、このような本願他力をさまざまな譬喩をもってあらわされる。前掲の「念仏往生要義抄」には麒鱗と蝿、輪王と卑夫、船と石の喩えをあげ、「往生浄土用心」には、

世間の事にも他力は候ぞかし、あしなえ、こしゐたる物の、とをきみちをあゆまんとおもはんに、かなはねば船車にのりてやすくゆく事、これわがちからにあらず乗物のちからなれば他力也。・・・・・・まして五劫のあひだおぼしめしさだめたる本願他力のふねいかだに乗なば、生死の海をわたらん事、うたがひおぼしめすべからず。
しかのみならず、やまひをいやす草木、くろがねをとる磁石、不思議の用力也。又麝香はかうばしき用あり、さいの角はみづをよせぬ力あり。これみな心なき草木、ちかひをおこさぬけだ物なれども、もとより不思議の用力はかくのみこそ候へ。まして仏法不思議の用力ましまさゞらんや。されば念仏は一声に八十億劫のつみを滅する用あり、弥陀は悪業深重の物を来迎し給ふちからましますと、おぼしめしとりて、宿善のありなしも沙汰せず、つみのふかきあさきも返りみず、たゞ名号となふるものゝ、往生するぞと信じおぼしめすべく候。(*) [35]

と、さまざまな譬喩をまじえながら、本願他力の用力をあらわされている。これらの譬喩は、いずれも、自分の持前の力では、決して目的を達成することのできないものに、その自力を全くはたらかさず、全分の他力を加えて目的を達成せしめるような場合ばかりがあげられている。従って法然は、全く解脱する力をもたないものを、全分の他力をもって救うのが本願他力の不可思議の用力であると領解されていたとみるべきであろう。ことに、法然が他力を憑むといわれた場合「ひとへに他力の弥陀の本願をたのむ也」とか「ただ他力の心に住して念仏申さば」とか「ひとへに願力をたのみ、他力をあふぎたらん人」とか「またくこれは石のちからにはあらず、ふねのちからなり」といわれるように、「ひとへに」「たゞ」「またく」という語をつけて、その他力の全分性をあらわされていたのである。[36]

 ところで前掲の「往生浄土用心」によれば、そのような本願他力の不可思議の用力は、本願念仏にそなわっているものであるといわれていた。薬草に病をいやす力があるように、磁石に鉄を吸いつける用力があるように、麝香に芳香がそなわっているように、さいの角に水をはじく性質があるように、本願の念仏には、称えるものの罪を滅し、往生せしめる用力がそなわっているのであって、それが本願他力なのである。いうまでもなく念仏が選択本願の行だからである。「四箇条問答」には、

阿弥陀仏の名号は、余仏の名号に勝たまへり、本願なるがゆへなり。本願に立たまはずは、名号を称すとも無明を破せざれば報土の生因となるべからず、諸仏の名号におなじかるべし、しかるを阿弥陀仏は、乃至十念若不生者不取正覚とちかひて、この願成就せしめむがために、兆載永劫の修行をおくりて、今已成仏したまへり。この本願業力のそひたるがゆへに、諸仏の名号にもすぐれ、となふれば、かの願力によりて決定往生おもするなり。かるがゆへに如来の本誓をきくに、うたがひなく往生すべき道理に住して南無阿弥陀仏と唱てむ上には、決定往生とおもひをなすべきなり。(*) [37]

といわれている。弥陀の名号が、諸仏の名号と決定的にちがうところは、弥陀の名号には、それを称えるものの無明を破して、報土に往生せしめようという本願があり、その本願を永劫の修行によって成じた大願業力がそなわっているが、諸仏の名号には、それがないところである。それゆえ諸仏名号を称えても報土往生はできないが、弥陀念仏は、よく報土の生因となる道理がそなわっているといわれるのである。このように本願の名号(念仏)に法爾としてそなわっている本願力による決定往生の道理を、法然は、法爾道理とよばれた。「諸人伝説の詞」に、

又いはく、法爾道理といふ事あり。ほのをはそらにのぼり、みづはくだりさまにながる。菓子の中にすき物あり、あまき物あり、これらはみな法爾道理也。阿弥陀ほとけの本願は、名号をもて罪悪の衆生をみちびかんとちかひ給たれば、たゞ一向に念仏だにも申せば、仏の来迎は法爾道理にてそなはるべきなり。(*) [38]

といわれたものがそれである。すなわち諸法には、それぞれ他からつけ加えたものではない、そのもの個有の義趣がある。このように法の自爾としてそなわっている義趣を法爾道理といわれたのであって、法爾法然といっても同じ意味をあらわしていた。[39] 焔が空にのぼり、水が低きに流れるという本然の動きは法爾の道理にしたがっているのであり、さきにあげた譬喩でいえば、磁石が鉄を引きつけることは、磁石のもつ法爾の道理である。罪悪の衆生を浄土へ導びこうと誓願して成就された本願の名号には、それを称えるものを浄土へ来迎する徳用が法の自爾としてそなわっているから、その道理にしたがって念仏者は浄土へ迎えとられるのである。いいかえれば称名が報土の因であり、正定業であるのは、称えるという行者の行為が造りだす徳ではなく、選択された名号に法爾として具わっている義趣、すなわち法爾道理なのである。こうして名号にそなわっている法爾道理を、如来のがわからいえば本願他力であり、それを衆生のがわの行徳としていえば正定業なのである。この意味で本願の念仏は本来他力の行であり、選捨された諸行は自力の行であるというべきであろう。のちに親鸞が「獲得名号、自然法爾」ということばを註釈して、有名な「自然法爾」の法語をのこされているが、それは法然の法爾道理の思想を徹底されたものであると考えられる。[40]

第五節 他力不思議と無義為義

 法然は、本願他力をよぶ場合に「別願の不思議力」「本願の不思議」「仏法不思議の用力」というように、「不思議」という言葉をしばしば用いられる。『三部経大意』の深心釈下に、

仏の別願の不思議は、たゞ心のはかるところにあらず、たゞ仏と仏とのみよくしりたまへり、阿弥陀仏の名号をとなふるによりて、五逆十悪ことごとくむまるといふ別願の不思議力のまします。たれかこれをうたがふべきや。(*) [41]

といわれるように、本願他力は因人の知見を超えた唯仏与仏の境界であり、不可思議なる仏智の領域であるとみられていたのである。「浄土宗大意」において自力断惑出離生死の聖道門と、他力断惑往生浄土の浄土門とを対照して二門の法義を比較されたなかに「思不思のなかには不思議なり」P--219 [42]といわれている。これは自力聖道門を思議の法門とし、他力浄土門を不思議の法門とみなされていた証拠である。親鸞が「行文類」一乗海釈に、念仏諸善を比挍対論して四十八(七)対をあげるなかに「思不思議対」をあげられるのは、これによっていたと考えられる。(*) [43] ともあれ廃悪修善によって断証していくという自業自得の因果論的思考の上に樹立されている自力の法門は、たしかに分別的思議の領域にとゞまっている。それに対して智愚、善悪、持戒破戒を論ぜず、五逆十悪のものまでも平等に救うて浄土に往生せしめる本願他力の絶対平等性は、人間の相対的な分別思量を超越しているから不可思議といわざるをえないのである。

 廃悪修善的な分別思議とは、わが心が善ければ仏願にかない、わが身が悪ければ仏願にかなわず往生できまいと思いはからうことであるから、法然はそれを「はからい」ともいわれる。「九条殿北政所御返事」に「いまはたゞ弥陀の本願にまかせ、釈尊の付属により、諸仏の証誠にしたがひて、おろかなるわたくしのはからひをやめて、これらのゆへ、つよき念仏の行をつとめて、往生をばいのるべしと申にて候也」(*) [44]といわれるように「おろかなるわたくしのはからひをやめて」「本願にまかせ」て念仏することが他力にかなったあり方なのである。「往生大要抄」の深心釈にはさらにくわしく次のように述べられている。

すべてわが心の善悪をはからひて、ほとけの願にかなひ、かなはざるを心えあはせん事は、仏智ならではかなふまじき事也。・・・・・・善導だにも十信にだにもいたらぬ身にて、いかでかほとけの御心をしるべきとこそはおほせられたれば、ましてわれらがさとりにて、ほとけの本願はからひしる事は、ゆめくおもひよるまじき事也。たゞ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。(*) [45]

 仏智ならではかなうまじき絶対不可思議なる本願の御心を、廃悪修善的な相対的、分別的思議の心をもって、おもいはからい、わが心の善悪について、善なれば願にかない、悪ならば願にかなわぬのではないかと計量し、往生の得否を思い定めようとすることは、絶対を相対化し、不可思議を思議化していることである。凡夫の思議をもって「本願をはからひしる事」は、実は誤解することであり、本願にかなおうとはからうことは、本願に背いていることになるのである。親鸞が「凡夫のはからい」を自力の異称とみなし、如来の本願に対する背反のありさまとみ、それに対して「他力と申し候は、とかくのはからいなきを申し候なり」といわれたのは、このような法然の他力観を相承されたものである。かくて一切の衆生を善悪、賢愚のへだてなく救おうとして念仏を選択された不可思議なる本願他力を聞くならば、「われらが往生は、ゆめくわがみのよきあしきにはより候まじ、ひとへに仏の御ちからばかりにて候べきなり」(*) [46]と信知して、その全分の他力にまかせて「ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえる」以外にないのである。

このように他力とは、如来の本願力であるが、それは善悪を超えて、万人を平等に救う絶対不可思議なる救済力であるが故に、それを聞き、それにふれるものをして、はからいをはなれ、本願をたのむ念仏の行者たらしめていく規制力をもっている。すなわち本願他力は、人間のありかたを、仰信の行者たらしめていくのである。さきに法然は「他力といは、たゞ仏のちからをたのみたてまつる也」と概念規定されているといったが、まことに他力とは、単に仏の救済力であるだけでなく、ひとえに「仏の力をたのみたてまつる」というはからいをはなれた信順の状況をあらわすことばでもあったのである。それゆえ他力不思議を強調する法然の浄土教は、必然的に己を空しくして本願に信順する信の宗教となっていくのである。法然が常に二種深信を強調し信と疑をもって迷悟を判定し

「涅槃之城、以信為能入「隠/顕」涅槃の城には信をもつて能入となす。 [47]といわれる所以である。

 はからいをはなれて、「ひとへに願力をたのみ、他力をあふぐ」ことを、法然は「他力には義なきを義とす」という言葉で教えられたという。親鸞は『末灯鈔』第二条に、法然から伝承した自力他力論を詳述されるなかに、

如来の御ちかひなれば、他力には義なきを義とすと、聖人のおほせごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は、本願を信楽して、往生必定なるゆへに、さらに義なしとなり。 (御消息 P.746) [48]

といわれたものがそれで、その他『尊号真像銘文』『御消息集』『如来二種廻向文』等に、いずれも「大師聖人の仰也」として記されているから、たしかなことであったとしなければならない。[49]

 しかし現存する法然の法語類には、このままの法語は見当らない。わずかに真偽未詳の文献である「獲念経の奥に記せる御詞」に「浄土宗安心起行の事、義なきを義とし、様なきを様とす、浅きは深きなり」[50]とあるぐらいである。但し法然門下の上足の一人正信房湛空の語として『一言芳談』に「念仏宗には、義なきを義とするなり」と記されているのは注目すべきである。[51]もっとも「諸人伝説の詞」に「念仏往生の義をふかくもかたくも申さん人は、つやく本願の義をしらざる人と心うべし」[52]とか、「念仏申には、またく様もなし、たゞ申せば極楽にむまる」[53]とか、「もしわれ申す念仏の様、風情ありて申候はば、毎日六万遍のつとめ、むなしくなりて、三悪道におち候はん」[54]等といわれているが、この「様なし」「風情なし」などは「義なき」とほぼ同意であるといえよう。ことに「義をふかくむずかしく申すものは本願の義を全く知らぬものである」といわれたものは「義なきを義とす」と同じ発想であったといえよう。

 「義なきを義とす」という、初めの義とは、行者のはからいをいうとされているが、「義」が「はからい」にどうしてなるのかというについて、多屋頼俊氏は『礼記疏』に「義者裁断合宜」とあり、釈名に「義宜也、裁制事物、使合宜也」とあるところから、義とは裁断することで、善を善とし、悪を悪と判断し、批判する意味であるから「はからう」の意味になるのだとされている。次に「義とす」ということについて多屋氏は、円智の『歎異鈔記』に「無義とは、行者のはからひなきをいふなり、義とすとは、仏の御はからひなり」というのを批判し「義なき」の義は、自力のはからいをさしているが、「義とす」の義は、「本義」という意味にとるべきだといわれている。[55]

又梅原真隆氏は、「われらの義をはなれたところが、そのまゝ、如来の御義におまかせした心境である」と釈しているから、「義なき」の義は、行者の自力のはからいであり、「義とす」の義は、如来の御はからいのことであるとみたのであって、円智の説と同じである。[56]また瓜生津隆雄氏は、従来の諸説を批判して「義なきを義とす」とは「議なきを儀とす」という意味で解釈すべきだといわれている。すなわち法然が「義なきを義とす」といわれたときは「様なきを様とす」と同じ内容をもつ「儀なきを儀とす」の意味であったとし、親鸞はそれを転釈して「儀なき」を「議なき」の意味に転じ、「無議」の字によせて「行者のはからひにあらず」と解釈されたのであろうといわれる。従ってこの場合は「行者のはからいなきを他力の儀則とし、儀軌とし、規定とす」という意味であるといわれる。[57]

 以上いろいろの説があるが、今はしばらく多屋氏に従って「他力には、行者のはからいを加えないことを以て本義とする」という意味にうけとっておこう。行者のはからいをまじえないことが他力の法義の本義であるということは、他力を機の領受のがわからあらわしたものであって、それは、往生は全く如来の本願力によって成就せしめられるという全分他力のいわれを反願していたとみるべきであろう。

第六節 他力の信行

 わが身の善悪をかへりみず、ひとえに仏の本願をたのみて念仏することが、他力に帰している相であるならば、他力とは弥陀をたのむ信心、すなわち二種深信の心相として行者の上に具体化されていくものであり、専修念仏として実践されていくものである。「要義問答」に「一切の行業は、自力をたのむがゆへ也。念仏の行者は、みをば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事のなくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふ」(*) [58]といわれている。すなわち自身を罪悪生死の凡夫と信知し、無有出縁の機であると機を深信するところには、自ずから自力をたのむ心がなくなり、たゞ弥陀の願力に乗じて往生せしめられると願力をたのむところには、他力に全托する法の深信が成立しているのである。いいかえれば二種深信とは、自力を捨てて他力に帰している信心の相を詳らかにしたものであった。[59]

 「御消息」第一通の深心釈下に、法の深信を釈して、

二にはかの阿弥陀仏、四十八願をもて衆生を摂取し給ふ。すなはち名号を称する事、下十声一声にいたるまで、かの願力に乗じてさだめて往生する事をうと信じて、乃至一念もうたがふ心なきゆへに深心となづく。(*) [60]

といわれている。法の深信において本願他力を信ずるとは、本願所誓の行たる念仏を修すれば、本願他力に乗じて決定して往生を得と信じて疑わないことであった。ところでその念仏は、すでに自身を無有出縁の機と深信して、自力をたのむ心を捨てた機に命じられている行法であるから、廃悪修善の行であるはずがない。廃悪修善を本義としている諸行と、善悪をえらばず、称うるものを浄土に入らしめる大願業力をそなえた念仏とは、同じく行とはいっても、その性格は全く異ったものとみなければならない。醍醐本『法然上人伝記』「一期物語」に、

或人問云、常存廃悪修善旨念仏与、常思本願旨念仏、何勝哉。答、廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等悉違背、若不別意弘願者、難生死者歟云々。[61] 「隠/顕」
或人の問いて云く。常に廃悪修善の旨を存じて念仏すると、常に本願の旨を思いて念仏すると何れが勝れたるや。
答。廃悪修善はこれ諸仏の通戒といえども、当世の我等は悉く違背せり。もし別意の弘願に乗ぜざれば、生死を出で難き者か、と、云々。

といい、廃悪修善の思いをもって念仏することを否定し、善悪平等に救いたまう別意の弘願たる大願業力に乗じて往生をうと思うて念仏せよと勧められているのである。

 法然にとって念仏することは、如来が選び定めたもうた本願の仏道を歩むことであった。それゆえ常に懈怠なく念仏せよとすすめ、自身も日課として六万遍、七万遍の念仏を行ぜられたという。 「始正月一日より、二月七日にいたるまで、三十七箇日のあひだ、毎日七万念仏不退にこれをつとめたまふ」[62]というような、一見自力の修行をおもわせるような厳しい別時念仏がおこなわれていた。しかしそれは聖道門の修行のように、廃悪修善して、自己を浄化し、証果を現証しようとする修行では決してなかった。むしろ自力のはからいをはなれて、本願の命ずるままに、仏祖の勧励されるままに本願の行を実践する信順の行であったのである。もっとも「建久九年記」(三昧発得記)によれば、法然は別時念仏を行ぜられているときに、しばしば三昧発得をし、浄土の相や仏菩薩の相を感得されることがあったようである。しかしこれは観仏を期して修行されたものではなく、称名を相続していくうちに自然に三昧発得した口称三昧であった。[63]法然が日課念仏をすすめ、数遍をすすめられたのは、懈怠をいましめるためであって、必ずしも、数遍そのものに意味を見るものではなかった。 醍醐本『法然上人伝記』「一期物語」に「所詮為心相続也。但必定数非要、只為常念也。不数遍者、懈怠因縁者、勧数遍也」「隠/顕」所詮は心を相続せしめん為なり。ただ、必ず数を定めて要となすにはあらず、ただ常念になすなり。数遍を定めざるは懈怠の因縁なれば数遍を勧むるなり [64]といわれた如くである。「七箇条の起請文」には、

たゞ一念二念をとなふとも、自力の心ならん人は、自力の念仏とすべし、千遍万遍をとなふとも、百日千日よるひるはげみつとむとも、ひとへに願力をたのみ、他力をあふぎたらん人の念仏は、声々念々しかしながら他力の念仏にてあるべし。されば三心をおこしたる人の念仏は、日々夜々、時々剋々にとなふれども、しかしながら願力をあふぎ、他力をたのみたる心にてとなへゐたれば、かけてもふれても、自力の念仏とはいふべからず。(*) [65]

といわれるように、法然の日課念仏は、まさに他力に信順し、他力を行ずるすがたであったともいえよう。

 選択本願念仏とは、一切の衆生を平等に大悲し、善悪、賢愚のへだてなく摂取しようとする他力不思議の本願を、念仏において信知するような行であった。それゆえ「大胡太郎実秀への御返事」にも、

しかればたれぐも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、たゞくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。[66]

といい、念仏は廃悪修善の行でもなく、また単に神秘的な咒文でもなく、南無阿弥陀仏ととなえつつ、そこに表示されている本願他力の不思議を信知していくような聞法の行としての意味もあったのである。親鸞が「行文類」の六字釈において、南無の訳語である帰命を釈して「帰命者、本願招喚之勅命也」[67]といい、念仏における所称の名号のうえに、本願招喚の勅命をききとっていかれたのは、法然の「こえにつきて、決定往生のおもひをなすべし」といわれた意を、根源的に展開されたものであったといえよう。
本願を信じて念仏し、念仏によっていよいよ本願の仏意によびさまされつつ生きていくのが本願他力に帰する信行の相(すがた)であり、本願他力が願生行者のうえにあらわれていく相でもあったのである。


脚 注

  1. 『教行証文類』「行文類」偈前の文(真聖全二・四二頁)
  2. 『同右』「行文類」他力釈(真聖全二・三五頁)◇『浄土文類聚鈔』には「しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また浄信あり(然本願力廻向有二種相。一者往相。二者還相。就往相有大行 亦有浄信。)と本願力回向に二種の相あり、とある。」
  3. 『同右』「行文類」他力釈(真聖全二・三五頁)◇「他力といふは如来の本願力なり。」
  4. 『同右』「信文類」(真聖全二・五八頁)には、真実の行信をおさえて、「爾者若行若信、无一事非阿弥陀如来清浄願心之所回向成就、非因他因有也可知」◇〔しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし〕といい、「証文類」(同・一〇六頁)には「夫案真宗教行信証者、如来大悲回向之利益、故若因、若果、无一事非阿弥陀如来清浄願心之所回向成就、因浄故果亦浄也、応」◇〔それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。因、浄なるがゆゑに果また浄なり。知るべしとなり。〕といい、行信、因果のすべてが如来の清浄願心の廻向成就の相とみられていた。
  5. 『末灯鈔』第十条(真聖全二・六七一頁)◇ (消息 P.783)
  6. 同右』第二条(同右・六五八頁)◇(御消息 P.746)
  7. 「浄土宗大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)
  8. 「浄土宗略抄」(『和語灯』二・真聖全四・六二二頁)
  9. 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九一頁)
  10. 「浄土宗略抄」(前掲)
  11. 「逆修説法」(古本『漢語灯』八・古典叢書本・二四頁)、「法然聖人御説法事」(『指南抄』上末・真聖全四・一一一頁)
  12. ◇此の行等は、仏の御心に叶ひやすらん、又叶はずや有るらんと不審にも覚へ。
  13. 本より仏の定め置きたまふの名号を唱へ。
  14. 正徳版(義山本)『漢語灯録』八所収・「逆修説法」(真聖全四・四六七頁)参照。
  15. 「基親取信信本願之様」(古本『漢語灯』十・古典叢書本・五三頁)、「同上」(『指南抄』下本・真聖全四・二一一頁)
  16. 正徳版(義山本)「基親取信信本願之様」(真聖全四・五四三頁)
  17. 杉紫朗『浄土三派の他力論』(四四頁)參照。
  18. 『三部経大意』専修寺本、(真聖全四・七八七頁)、『同』金沢文庫本(真宗学報一七号・三〇頁)、なおこの至誠心釈については第二篇第三章第二節第四項(二八〇頁)參照。
  19. 『三部経大意』専修寺本(同右・七九〇頁)、『同』金沢文庫本、(同右・四二頁)
  20. 「念仏往生要義抄」(『和語灯』一・真聖全四・五九一頁)
  21. 正徳版(義山本)『和語灯録』二所収・「念仏往生要義鈔」(法然全・六八二頁の校異)
  22. 杉紫朗『浄土三派の他力論』(四一頁)
  23. 「念仏往生要義抄」正徳版(義山本)(法然伝・六八四頁の校異)
  24. 「念仏往生要義抄」(元享版『和語灯』二・真聖全四・五九三頁)
  25. 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六八二頁)
  26. 「念仏往生要義抄」(『和語灯』二・真聖全四・五九一頁)
  27. 「法然聖人御説法事」(『指南抄』上末・真聖全四・八七頁)、「逆修説法」(古本『漢語灯』七・古典叢書本・四一頁)
  28. 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二四一頁)
  29. 「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一八頁)、醍醐本『法然上人伝記』(法然伝全・七八二頁)
  30. 「つねに仰せられける御詞」(『行状絵図』法然伝全・一一四頁)
  31. 「示或女房法語」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七三七頁)
  32. 「十一箇条問答」(『指南抄』下本・真聖全四・二一七頁)
  33. 「十八条法語」(『指南抄』中本・真聖全四・一三三頁)
  34. 『三部経大意』専修寺本(真聖全四・七八六頁)、『同』金沢文庫本(真宗学報第一七号・二三頁)
  35. 「往生浄土用心」(『拾遺語灯』下・真聖全四・七六五頁)
  36. 杉紫朗『浄土三派の他力論』(八五頁)
  37. 「四箇条問答」(『指南抄』中末・真聖全四・一七九頁)
  38. 「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・六八三頁)
  39. 法爾道理ということばは『瑜伽師地論』三〇(大正蔵三〇・四五一頁)にあげられた観待道理、作用道理、証成道理、法爾道理の四種道理のなかにでてくる。しかし法然の法爾道理がこれによって立てられたかどうかは問題である。尚法然がしばしば道理という言葉を用いられたことは、「四箇条問答」などに見うけられる。本願の名号に法爾法然としてそなわっている衆生救済のいわれを法爾道理と名づけられたものである。尚「法然」という房号のいわれについて「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七九頁)に「源空は、させる因縁もなくして、法爾法然と道心をおこすがゆへに、師匠名をさづけて法然となづけ給ひし也」といわれたのは有名である。
  40. 自然法爾の法語は、高田専修寺蔵の顕智書写本が原型であって、『未灯鈔』第五条所収のものは、はじめの「獲得名号」の釈を欠いており、文にも少し変動がある。顕智本の奥書には「正嘉二歳戊午十二月日、善法坊僧都御坊、三条とみのこうぢの御坊にて、聖人にあいまいらせてのきゝがき、そのとき顕智これをかくなり」(『親鸞聖人全集』書簡篇・五六頁)とあるから、顕智の聞書であることは明らかである。その内容については別稿にゆずる。
  41. 『三部経大意』専修寺本(真聖全四・七九〇頁)、『同』金沢文庫本(真宗学報・第一七号・四三頁)
  42. 「浄土宗大意」(『指南抄』下本・真聖全四・二一九頁)
  43. 『教行証文類』「行文類」一乗海釈(真聖全二・四一頁)、『愚禿鈔』上(真聖全二・四五九頁)
  44. 「九条殿北政所御返事」(『指南抄』下末・真聖全四・二三三頁)
  45. 「往生大要抄」(『和語灯』一・真聖全四・五八〇頁)
  46. 「正如房への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・二〇一頁)
  47. 『選択集』「三心章」(真聖全一・九六七頁)
  48. 『末灯鈔』第二条(真聖全二・六五八頁)
  49. 「他力には義なきを義とす」という言葉は『尊号真像銘文』(真聖全二・六〇二頁)、『三経往生文類』(同・五五四頁)『正像未和讃』(同・五二二頁)、『如来二種回向文』(同・七三二頁)、『御消息集』(同・七一二頁)、『善性本御消息集』(同・七一五頁)、『血脈文集』(同・七二〇頁)、等に合計一九文を数えることができる。
  50. 「護念経の奥に記せる御詞」(法然全・一一七九頁)
  51. 『一言芳談』(古典叢書本・八頁、岩波日本古典文学大系・八三・二〇三頁)
  52. 「諸人伝説の詞」第二十四条(『和語灯』五・真聖全四・六八二頁)
  53. 「同右」第十四条(同右・六七七頁)
  54. 「同右」第十六条(同右・六七八頁)
  55. 多屋頼俊『歎異抄新註』(八一頁
  56. 梅原真隆『正信偈、歎異鈔講義』(三二五頁)
  57. 瓜生津隆雄「無義為義の語釈に就て」(真宗学第十三第十四合併号・一四一頁)
  58. 「要義問答」(『指南抄』下末・真聖全四・二五三頁)
  59. 二種深信については第二篇第三章第三節第一項(二八八頁)參照。
  60. 「御消息」第一通(『拾遺語灯』下・真聖全四・七五二頁)
  61. 醍醐本『法然上人伝記』一期物語(法然伝全・七七九頁)、同文が「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・七〇二頁)、「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七五頁)等にも見られる。
  62. 「建久九年記」(『指南抄』中本・真聖全四・一二七頁)
  63. 「建久九年記」(和文)(同右・一二七 ̄一二九頁)、同じ内容のものが「三昧発得記」として醍醐本『法然上人伝記』(法然伝全・七八九頁)と『拾遺語灯録』上(真聖全四・六八七頁 ̄六八九頁)に出ている。いずれも漢文である。尚法然の三昧発得については伊藤唯信『浄土宗の成立と展開』(九五頁)參照。
  64. 醍醐本『法然上人伝記』一期物語(法然伝全・七七七頁)、同文が「諸人伝説の詞」(『和語灯』五・真聖全四・六七六頁)に出ている。「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・六九七頁)は少し文章が異っているが同意である。
  65. 「七箇条の起請文」(『和語灯』二・真聖全四・六〇四頁)
  66. 「大胡太郎実秀への御返事」(『指南抄』下本・真聖全四・一九一頁)
  67. 『教行証文類』「行文類」(真聖全二・二二頁)