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しょせん
 
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  所詮もなし,所詮もあるべからず
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所詮もなし
  
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 甲斐(かい)がない。無益である。([[御文四#P--1174|御文章 P.1174]], [[夏御文#P--1213|夏御文 P.1213]], [[御俗姓#P--1223|御俗姓 P.1223]])
  
  甲斐(かい)がない。無益である。([[御文章#P--1156|御文章 P.1156]], [[御文章#P--1174|御文章 P.1174]], [[夏御文#P--1213|夏御文 P.1213]], [[御俗姓#P--1223|御俗姓 P.1223]])
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所詮もあるべからず
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 かいもあるはずがない。益もあるはずがない。 ([[御文三#P--1156|御文章 P.1156]])
  
 
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所詮(しょせん)。能詮の対語。経典の言葉や文章・教えなどで表されている意義・内容をいふ。
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2018年10月3日 (水) 17:18時点における最新版

しょせん

所詮もなし

 甲斐(かい)がない。無益である。(御文章 P.1174, 夏御文 P.1213, 御俗姓 P.1223


所詮もあるべからず

 かいもあるはずがない。益もあるはずがない。 (御文章 P.1156)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

所詮(しょせん)。能詮の対語。経典の言葉や文章・教えなどで表されている意義・内容をいふ。


のうせん

 「所詮(しょせん)」の対語として用いられる仏教用語。詮はあらわすこと。経典の語句や文章などのように教法などを表す側を「能詮(のうせん)」といい、それによって表された意義内容を「所詮」といふ。 「能」は「~ する」という能動を示し、「所」は「~ される」という受身を示す語である。 たとえば行為について言えば、はたらきかける主体が「能作」であり、その行いの仕業や振る舞いが「所作」である。→能所
『大無量寿経』は真実を表す「能詮の言教」(言語によって表現された教え)であり、「所詮の法義」(その教えによってあらわされている内容)のは「行巻」であらわされている〔なんまんだぶ〕と称える「大行」である。この大行を往生の「業因」と信知することを信心正因といふ。→信心正因

  • 所詮を「詮ずるところ」と読んで〈つまるところ〉の意味に用い、「詮ずるに」と言って〈つきつめて考えてみると〉の意味に用いている。
所詮
能所
能念所念
能生の因・所生の縁
安心論題/信心正因