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道綽禅師は『安楽集』に十二大門を分って経論を引証し、末法時における時機相応の証悟の道として浄土往生の特色を示して、「信を勧め往くことを求め」させている。第三大門には、広く十一箇の問答を設けて、浄土往生に対する疑いを除いている。とくにその最後の第十一問答には、曇鸞大師の三不信をそのまま引用し、「この三心(三信)を具してもし生ぜずといはば、この処あることなからん」([[安楽集 (七祖)#P--232|上 二三二]])と述べて、淳心・一心・相続心という三信を強調している。 | 道綽禅師は『安楽集』に十二大門を分って経論を引証し、末法時における時機相応の証悟の道として浄土往生の特色を示して、「信を勧め往くことを求め」させている。第三大門には、広く十一箇の問答を設けて、浄土往生に対する疑いを除いている。とくにその最後の第十一問答には、曇鸞大師の三不信をそのまま引用し、「この三心(三信)を具してもし生ぜずといはば、この処あることなからん」([[安楽集 (七祖)#P--232|上 二三二]])と述べて、淳心・一心・相続心という三信を強調している。 | ||
− | 善導大師は『観経疏』に『観経』に対する古今の諸師の謬解を[[古今楷定|楷定]]する妙釈を施し、信願行の体系にもとづいて往生浄土の道を確固たるものとしている。ことに浄土往生の[[行業]]を真に成就せしめるものとして、『観経』上品上生段に「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず」と示される三心について詳述している。すなわち、至誠心とは真実心であり、三業所修の行もこの内外相応する真実心においてなさなければ、[[雑毒]]の善となり往生はできなくなるとする。次の深心とは深く信ずる心であるといって信心と規定し、その相を二種に開いて示される。その第一と第二について「[[観経疏 散善義 (七祖)#P--457|散善義 四五七]]」には、「深心といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。一には、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」と述べ、いわゆる機法二種の深信を示して、浄土往生の信心の特色を明らかにしている。そしてさらに第二の法の深信を開いて、詳細な解釈を施し([[七深信]])、その信心が、称名を[[正定業]]と信ずるものであるとして、信と行の関係を精密に釈顕されている。さらに二河譬をもって具体的な様相を示して、この深信の心が衆生の貪瞋煩悩中に生ずる清浄なる願往生の心であることが明らかにされている。回向発願心については、「過去および今生の身口意業に所修の世・出世の善根と、および他の一切凡聖の身口意業所修の世・出世の善根を随喜せると、この自他の所修の善根をもって、ことごとくみな真実の深信の心中に回向して、かの国に生ぜんと願ず」といい、さらに、「回向発願して生ぜんと願ずるものは、かならずすべからく決定真実心のうちに回向し願じて、得生の想をなすべし」とも示されてあって、真実心(至誠心)と深信(深心) | + | 善導大師は『観経疏』に『観経』に対する古今の諸師の謬解を[[古今楷定|楷定]]する妙釈を施し、信願行の体系にもとづいて往生浄土の道を確固たるものとしている。ことに浄土往生の[[行業]]を真に成就せしめるものとして、『観経』上品上生段に「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず」と示される三心について詳述している。すなわち、至誠心とは真実心であり、三業所修の行もこの内外相応する真実心においてなさなければ、[[雑毒]]の善となり往生はできなくなるとする。次の深心とは深く信ずる心であるといって信心と規定し、その相を二種に開いて示される。その第一と第二について「[[観経疏 散善義 (七祖)#P--457|散善義 四五七]]」には、「深心といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。一には、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」と述べ、いわゆる機法二種の深信を示して、浄土往生の信心の特色を明らかにしている。そしてさらに第二の法の深信を開いて、詳細な解釈を施し([[七深信]])、その信心が、称名を[[正定業]]と信ずるものであるとして、信と行の関係を精密に釈顕されている。さらに二河譬をもって具体的な様相を示して、この深信の心が衆生の貪瞋煩悩中に生ずる清浄なる願往生の心であることが明らかにされている。回向発願心については、「過去および今生の身口意業に所修の世・出世の善根と、および他の一切凡聖の身口意業所修の世・出世の善根を随喜せると、この自他の所修の善根をもって、ことごとくみな真実の深信の心中に回向して、かの国に生ぜんと願ず」といい、さらに、「回向発願して生ぜんと願ずるものは、かならずすべからく決定真実心のうちに回向し願じて、得生の想をなすべし」とも示されてあって、真実心(至誠心)と深信(深心)にもとづく願生心であることが明かされている。さらにまた、「回向といふは、かの国に生じをはりて、還りて大悲を起して、生死に回入して衆生を教化するをまた回向と名づく」と示して、往生後の利他回向の意をも明らかにしている。そのうえで、この三心の具足について、「三心すでに具すれば、行として成ぜざるはなし。願行すでに成じて、もし生ぜずは、この処あることなからん。またこの三心はまた通じて定善の義を摂す」と示し、三心が往生の行を成果あらしめる基底をなすものであると明かしている。そして、その往生行は第二深信の中に示される称名正定業であり、これこそ第十八願に衆生往生として誓われた「乃至十念」の称名行であるとするのである。なお『礼讃』の前序にも三心が簡潔に釈されており、最後に、「この三心を具すれば、かならず生ずることを得。もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず」といい、三心が往生の要であることが示されている。 |
源信和尚は、濁世末代の目足としての往生浄土の教行を『往生要集』に明らかにし、その第五助念方法門に、往生行の要行をまとめて、菩提心・護三業・念仏・深信・至誠・常念・随願の七法を示している。この中、「往生の業は念仏を本となす。その念仏の心は、かならずすべからく理のごとくすべし。ゆゑに深信・至誠・常念の三の事を具す」と示して、深信と至誠の二心に注目しているが、それは明らかに『礼讃』の三心釈をうけていた。なお『往生要集』には独自の三心釈はないが、その全体を通して、三心の必要性が示されている。また本書の第一厭離穢土門、第二欣求浄土門は善導大師の示された二種深信の具象化とみることができる一面を有している。また第八念仏証拠門に示される往生の業としての念仏は、第四正修念仏門に示される観念の意味も含んでいるが、『大経』の第十八願に別して「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓願された行であり、『観経』下下品に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に往生することを得」(意)と示されているところの称名であって、これを濁世末代の教行として摘示しようとされたものであることが知られるのである。 | 源信和尚は、濁世末代の目足としての往生浄土の教行を『往生要集』に明らかにし、その第五助念方法門に、往生行の要行をまとめて、菩提心・護三業・念仏・深信・至誠・常念・随願の七法を示している。この中、「往生の業は念仏を本となす。その念仏の心は、かならずすべからく理のごとくすべし。ゆゑに深信・至誠・常念の三の事を具す」と示して、深信と至誠の二心に注目しているが、それは明らかに『礼讃』の三心釈をうけていた。なお『往生要集』には独自の三心釈はないが、その全体を通して、三心の必要性が示されている。また本書の第一厭離穢土門、第二欣求浄土門は善導大師の示された二種深信の具象化とみることができる一面を有している。また第八念仏証拠門に示される往生の業としての念仏は、第四正修念仏門に示される観念の意味も含んでいるが、『大経』の第十八願に別して「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓願された行であり、『観経』下下品に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に往生することを得」(意)と示されているところの称名であって、これを濁世末代の教行として摘示しようとされたものであることが知られるのである。 |
2018年2月17日 (土) 08:44時点における版
七祖聖教 補 注 |
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七祖-補註1 阿弥陀仏 |
七祖-補註2 往生・浄土 |
七祖-補註3 機・衆生 |
七祖-補註4 教 |
七祖-補註5 行 |
七祖-補註6 業・宿業 |
七祖-補註7 信 |
七祖-補註8 旃陀羅 |
七祖-補註9 他力 |
七祖-補註10 女人・根欠… |
七祖-補註11 菩薩 |
七祖-補註12 本願 |
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- 7 信
迷いを転じて悟りを開き、仏になることをめざす成仏道としての阿弥陀仏の浄土教は、印度・中国・日本の祖師たちの真摯な求道を経て、法然上人によって浄土宗として確立され、さらに親鸞聖人によって浄土真宗として他力回向の教義体系をもって示されるに至った。
これらの祖師たちによって受容されたされた往生の道は、阿弥陀仏の本願を信じて浄土を願生し、念仏を中心とした往生行を修するというかたちで体系化されていた。それは『大経』(上 一八) の第十八願文に、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」と示されているものにもとづくものであることはいうまでもない。
仏道における「信」の重要性は、「仏法の大海には信をもって能入となす」(大智度論)と示されるように仏道の根幹をなすものであり、この信をもとに成仏への道が切り開かれるのである。浄土往生の成仏道については、この信が阿弥陀仏の本願による浄土願生に結びつくところに特色があるのである。
龍樹菩薩においては「易行品 五」に難易二道を開示して、易行としての「信方便易行」をもって、すみやかに阿惟越致地 (不退転地) に至ることができると示し、さらにその具体例として、「一心にその名号を称す」(*) と称名易行をもって示している。その称名は、阿弥陀仏の易行を示す中に、「もし人善根を種うるも、疑へばすなはち華開けず。信心清浄なれば、華開けてすなはち仏を見たてまつる」(*) と信疑をもって得失を示されているように、信心に裏づけられた易行であった。いいかえれば信が行を如実ならしめていくのである。
天親菩薩は『浄土論』の偈頌の冒頭に、「世尊われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」(*) と述べて、「一心」と「願生」を示し、後に長行の釈の中で五念門行を開示するにあたって、「いかんが観じ、いかんが信心を生ずる」と述べて、「観」と「信心」の重要性を示している。
曇鸞大師は『浄土論』に明かされる観見願生の往生の法が、龍樹菩薩の示された易行道そのものであり、それは「信仏の因縁」による他力の道であると示して信の重要性を強調している。さらに一心について「無碍光如来を念じて安楽に生ぜんと願ず。心々相続して他の想間雑することなし」(論註・上 五二)と、そのありさまを具体的に示されている。また起観生信章の讃嘆門の釈下には、二知三信をもとにした称名行であれば名号のもつ徳のままに私どもの無明の闇を破って、よく往生の志願を満たすと示し、その信心について三つの特色、すなわち淳心、一心、相続心を明示して、これらの三信は互いに関連して相成り立つと述べている。そして、この三信をおさえて、天親菩薩は『浄土論』のはじめに「一心」と示されたと解釈している。
道綽禅師は『安楽集』に十二大門を分って経論を引証し、末法時における時機相応の証悟の道として浄土往生の特色を示して、「信を勧め往くことを求め」させている。第三大門には、広く十一箇の問答を設けて、浄土往生に対する疑いを除いている。とくにその最後の第十一問答には、曇鸞大師の三不信をそのまま引用し、「この三心(三信)を具してもし生ぜずといはば、この処あることなからん」(上 二三二)と述べて、淳心・一心・相続心という三信を強調している。
善導大師は『観経疏』に『観経』に対する古今の諸師の謬解を楷定する妙釈を施し、信願行の体系にもとづいて往生浄土の道を確固たるものとしている。ことに浄土往生の行業を真に成就せしめるものとして、『観経』上品上生段に「もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず」と示される三心について詳述している。すなわち、至誠心とは真実心であり、三業所修の行もこの内外相応する真実心においてなさなければ、雑毒の善となり往生はできなくなるとする。次の深心とは深く信ずる心であるといって信心と規定し、その相を二種に開いて示される。その第一と第二について「散善義 四五七」には、「深心といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。一には、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」と述べ、いわゆる機法二種の深信を示して、浄土往生の信心の特色を明らかにしている。そしてさらに第二の法の深信を開いて、詳細な解釈を施し(七深信)、その信心が、称名を正定業と信ずるものであるとして、信と行の関係を精密に釈顕されている。さらに二河譬をもって具体的な様相を示して、この深信の心が衆生の貪瞋煩悩中に生ずる清浄なる願往生の心であることが明らかにされている。回向発願心については、「過去および今生の身口意業に所修の世・出世の善根と、および他の一切凡聖の身口意業所修の世・出世の善根を随喜せると、この自他の所修の善根をもって、ことごとくみな真実の深信の心中に回向して、かの国に生ぜんと願ず」といい、さらに、「回向発願して生ぜんと願ずるものは、かならずすべからく決定真実心のうちに回向し願じて、得生の想をなすべし」とも示されてあって、真実心(至誠心)と深信(深心)にもとづく願生心であることが明かされている。さらにまた、「回向といふは、かの国に生じをはりて、還りて大悲を起して、生死に回入して衆生を教化するをまた回向と名づく」と示して、往生後の利他回向の意をも明らかにしている。そのうえで、この三心の具足について、「三心すでに具すれば、行として成ぜざるはなし。願行すでに成じて、もし生ぜずは、この処あることなからん。またこの三心はまた通じて定善の義を摂す」と示し、三心が往生の行を成果あらしめる基底をなすものであると明かしている。そして、その往生行は第二深信の中に示される称名正定業であり、これこそ第十八願に衆生往生として誓われた「乃至十念」の称名行であるとするのである。なお『礼讃』の前序にも三心が簡潔に釈されており、最後に、「この三心を具すれば、かならず生ずることを得。もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず」といい、三心が往生の要であることが示されている。
源信和尚は、濁世末代の目足としての往生浄土の教行を『往生要集』に明らかにし、その第五助念方法門に、往生行の要行をまとめて、菩提心・護三業・念仏・深信・至誠・常念・随願の七法を示している。この中、「往生の業は念仏を本となす。その念仏の心は、かならずすべからく理のごとくすべし。ゆゑに深信・至誠・常念の三の事を具す」と示して、深信と至誠の二心に注目しているが、それは明らかに『礼讃』の三心釈をうけていた。なお『往生要集』には独自の三心釈はないが、その全体を通して、三心の必要性が示されている。また本書の第一厭離穢土門、第二欣求浄土門は善導大師の示された二種深信の具象化とみることができる一面を有している。また第八念仏証拠門に示される往生の業としての念仏は、第四正修念仏門に示される観念の意味も含んでいるが、『大経』の第十八願に別して「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓願された行であり、『観経』下下品に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に往生することを得」(意)と示されているところの称名であって、これを濁世末代の教行として摘示しようとされたものであることが知られるのである。
法然上人の教学は、『選択集』に「ひとへに善導一師による」と標されているように、善導大師の教えに依拠するものであった。信心の理解についても同書「三心章 一二三一」に、「念仏の行者かならず三心を具足すべき文」と示して、『観経』の「三心を具すればかならずかの国に生ず」の文と「散善義」の三心釈の全文、および『往生礼讃』の三心釈を引証し、善導大師の三心についての理解を継承している。その「三心釈 一二四七」の私釈(法然上人自身の解義を述べた部分)では、まず至誠心について、内外相応して真実であることが必要であるとし、深心については、「いま二種の信心を建立して、九品の往生を決定するものなり」と示して、善導大師の機法二種の深信をもって往生の決定する因と定め、「生死の家には疑をもって所止となし、涅槃の城には信をもって能入となす」と、信と疑とを対弁して往生の得否を決判している。この信疑決判は法然教学の至要ともいうべきものであり、これをまさしく継承したのが親鸞聖人のいわゆる信心正因説であった。また回向発願心については、「別の釈を俟つべからず」とだけ述べて、善導大師の釈義をそのままうけている。そして、この三心の全体については、「この三心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往生の行にあり。いま通を挙げて別を摂す」と述べているが、これも善導大師の意と全く一致している。なお、この三心については、「実秀に答ふる書〔西方指南鈔〕 一九二」に「三心とわかつおりは、かくのごとく別々になるやうなれども、詮ずるところは、真実のこころをおこして、ふかく本願を信じて、往生をねがはむこころを、三心具足のこころとは申すべき也[1]」と示され、さらに「もしならひさたせざらむ無智の人、さとりなからむ女人などは、え具せぬほどのこころえにては候はぬなり。まめやかに往生せむとおもひて念仏申さむ人は、自然に具足しぬべきこころにて候ものを[2]」(*) と述べられている。これによると、名号を称えるものを往生させるという本願の仰せの通り、疑いなく称名するところに必然的に三心が具しているという理解がなされているのである。
以上のように、七祖にあっては阿弥陀仏の本願を疑いなく信じて浄土を願生し、念仏を中心とした行業を修することによって、臨終には来迎をうけて往生を遂げるという体系で往因が示されていた。そして、直接的には往生行が証果の因であり、その往生行の浄土教的純化につれて、信の理解もより一層深まりをみることができるのである。こうした七祖の信心論をうけて、それをさらに純化し、徹底されたのが、親鸞聖人の本願力回向の信心論であった。
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