「無上の心を発せども」の版間の差分
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+ | :先づ大衆を勧めて願を発して三宝に帰せしむ。 | ||
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+ | ::ともに[[金剛の志]]を発して、横に[[四流]]を超断すべし。 | ||
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+ | ::道俗[[時衆]]等、おのおの[[無上の心を発せども]]、 | ||
+ | ::生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。 | ||
+ | ::ともに金剛の志を発して、横に[[四流]]を超断せよ。 | ||
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2017年10月23日 (月) 15:31時点における最新版
むじょうのしんをおこせども
通常は「無上心を発せ」と読む。親鸞聖人は「無上心」を自力の菩提心とみて、このように読みかえられた。(信巻 P.244)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『観経疏』では、
御開山は、
と、読まれた。