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高田派

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たかだは 高田派

 真宗高田派のこと。本山は専修寺(せんじゅじ)(三重県津市)。真仏顕智らが形成した高田門徒に始まる。その門下は関東から東北地方、東海地方に及び、初期浄土真宗の中心的な位置を占め、大谷廟堂の護持にも尽力した。高田派10代真慧(しんね)の時に伊勢国 一身田 (現在の三重県津市) に無量寿院 (現在の高田派本山) を建立し、北陸・東海・近畿に教線を拡大したが、門末の中に本願寺蓮如に帰する者も多くあり、教義理解の相違もあって、本願寺と次第に対立した。真慧の後、真智と応真の後継者争いがおこり、応真が11代となったが、この争いはその後も尾を引いた。江戸時代には、現代に伝わる主要法会が整えられ、教学・歴史の研究が盛んになった。明治になると、大教院分離運動などで東西本願寺や錦織寺(きんしょくじ)としばしば協調し、また教団の近代化につとめた。所属寺院等は640余り (平成22年現在)。(浄土真宗辞典)

高田派
高田門徒
高田
顕正流義鈔
真慧