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骨相を観ぜしむ

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こっそうをかんぜしむ

 身体は白骨を連ねたものにすぎないと観ずる修行法。(化巻 P.410)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

御開山は「化巻」の『涅槃経・徳王品』で、三毒の貪欲瞋恚愚痴に対しての観について引文されておられる。

もろもろの凡夫の病を知るに三種あり。一つには貪欲、二つには瞋恚、三つには愚痴なり。貪欲の病には教へて骨相を観ぜしむ。瞋恚の病には慈悲の相を観ぜしむ。愚痴の病には十二縁相を観ぜしむ。(化巻 P.410)

釈尊の教化法では、病に応じて薬を与える(応病与薬)ということがいわれる。これを間違えると悲劇が生じることがある。

その昔、釈尊が不浄観を修することを弟子の比丘らに勧め、これを多くの比丘が熱心に修した結果、生を厭うようになった比丘らが次々と、刃物を用いて首を切るなどして自殺するという事態に至ったといわれる(*)。 そのような意味では、骨相観は貪欲・色欲の強い者に勧める行業であり、厭世観を抱く者に修させると自殺してしまう可能性がある。人の性質によって相応する観を勧めるのであり、貪欲の者には骨相観を勧めれば愛欲が起こらなくなり、瞋恚の者には慈悲観を勧めて怒りが起こることを抑えさせ、愚痴の者には十二縁相観を修することを説かれたのであろう。いわゆる機に応じた「応病与薬」である。