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隠彰

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おんしょう

 隠顕(おんけん)に同じ。 文の表にあらわれた意 (彰) と、文の裏にかくれた意 (隠)。
善導(ぜんどう)大師の隠顕 (隠彰) はともに真実の説意で、親鸞聖人が 「化身土文類」 でいわれるような真仮 (真実・方便) を分別する意味ではない。 (玄義分 P.302)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

経に顕説と隠説(隠彰)を見るということは、親鸞聖人の先輩であった幸西大徳の影響が大きい。

念仏三昧とい(う)は、釋名の南無阿弥陀仏、序題の弘願、説偈の一乗也。何ぞ一乗と名くる。一乗とい(う)は無二無三の義也。其の義正く当経に有と云えども、其の文法華に出たり。十方仏土中 唯有一乗法 無ニ亦無三 除仏方便説といへり。此一乗の理初地に至て初て顕る。今経の果の念仏三昧と名別義通也。彼も法性を証し此も法性を証す(中略)此の理を顕すに即其の因に二あり。一には真如観今経の観仏三昧に同ず、是れ顕説の因也。二には称仏念仏三昧に同ず。隠説の因也。『玄義分抄』
顕彰隠密