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見玉尼

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けんぎょくに 見玉尼 (1448-1472)

 蓮如の第四子(第二女)。母は如了尼。浄土宗浄華院流をうけて出家した。文明2年(1470)以降、叔母で継母でもある蓮祐尼や自身の姉妹が相次いで没すると心労から病となり、その中で浄土宗から真宗に帰し、やがて寂した。蓮如は文明5年(1473、文明4年の誤写といわれる) 8月22日付御文章で、見玉尼の逝去について感慨を述べている。(浄土真宗辞典)

蓮如さんは当初、たすけたまへという用語には懐疑的であった。当時浄土宗の中でも盛んであった浄土宗一条浄華院流でさかんに用いられていた「タスケタマヘ」という教語に否定的であったからであろう。
しかし、見玉尼の浄華院での見聞を知ることを通して、蓮如上人は、タスケタマヘという用語を許諾(こだく)(先方の言い分を許し承諾する)の意で用いれば、浄土真宗の救いを表現するのにふさわしい言葉であるとして使われたのであろう。文明五年(1473)八月十二日付けの御文章 一帖の七に「たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき」から「タスケタマヘ」の語を使われはじめられた。

御文章集成#(一七)(見玉尼の往生)
たのむ
たすけたまへとおもへば
歸命本願抄(浄土宗清浄華院第五世 向阿証賢上人の著述)

吉崎別院へ参拝した時は、お山(旧吉崎御坊のあった小さな山(丘)を越前の門徒はお山と呼んでいた)を登り終えて左側に見玉尼の墓碑がある。ことに「タスケタマヘと弥陀をタノム」の教語で一大教団を築かれた心を留めて欲しい。

見玉尼の墓