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聞信

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もん-しん

 阿弥陀仏本願を聞いて疑いなく信受すること。

『正信念仏偈』に、

一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願
一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、
仏言広大勝解者 是人名分陀利華
仏、広大勝解のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。(行巻 P.204)

とある。浄土真宗における聞信とは、阿弥陀如来の信(まこと)を聞くことであり、阿弥陀如来の必ず摂取する決定摂取の信を聞くことである。信は和語では〔まこと〕や〔まかせる〕の意味があり、阿弥陀仏の衆生「済度」の信(まこと)の意味を聞くことや「本願」の真実にまかせるという意である。
御開山や蓮如上人はその「真実にまかせる」を和語で〔たのむ(憑)〕と示して下さったのである。御開山が自然法爾の御書で、

弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。(正像 P.621)

と、「南無阿弥陀仏とたのませたまひて」という意であった。なんまんだぶと称えることは、阿弥陀仏の本願にうちまかせている(すがた)であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


本願
聴聞
信受
信知
聞見
聞即信