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浄土宗の人は愚者になりて往生す

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浄土宗の人は愚者になりて往生す

 御開山は流罪以後、自らを愚禿(愚かな禿人)と名乗られた。 その愚とは学問上の愚ではなく、賢愚という相対をこえた、人間である限り誰もが有する根源的な愚かさであった。 それゆえに流罪によって法然聖人の膝下を離れた後には愚禿と名乗られたのであろう。
それは法然聖人の示された、

聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる (西方指南抄#P--1026)

であった。

聖道門(この土でさとりを得る仏法)と浄土門(浄土でさとりを完成する仏法)の綱格の違いからである。