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来迎の儀則

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らいごうのぎそく らいこうともいふ

 臨終に行う仏・菩薩の来迎儀式のこと。『大経』の「第十九願」には菩提心を起こして諸の功徳を修した者を臨終には仏がその人の前にあらわるとあり、『観経』には、生前に修した善の高低にしたがい阿弥陀仏が菩薩とともに迎えにくると説いている。
この経文の意から、臨終には仏像を据えて、その仏像から人の手に五色の糸(五綵)を臨終の人に握らせて仏の来迎を待つ風習が生まれ、それが来迎儀式の儀則であった。法然聖人は『西方指南鈔』所収の「法然聖人臨終行儀」に、

また御弟子とも、臨終のれうの仏の御手に、五色のいとをかけて、このよしを申侍りけれは、聖人これはおほやうのことのいはれそ、かならすしもさるへからすとそ、のたまひける。(法然聖人臨終行儀)

と、弟子が用意した来迎における儀則を大様(おおよう)〔おおざっぱで雑のさま〕であるとして用いられなかった。現代に於いても人の死にざまの善悪をあげつらう風潮があるのだが、御開山はわが身にひきかえて、

まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。

と、真実信心の念仏の行者は、臨終の善悪を論ずるべきではないとせられた。死ねるように死んで往けばよいのが、真実信心の、なんまんだぶのご法義であった。