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末灯鈔

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まっとうしょう

まっとうしょう 末灯鈔

 親鸞の御消息22通を集成したもの。覚如の次男従覚が正慶2年 (元弘3・1333) 4月に編集したもの。この年に従来安置していた親鸞の御消息数通に、諸国に散在していたものや法語を加えて22通とし、年号や日付の前後錯乱等を正し、編集したものであることが、従覚の正慶2年の跋文から明らかである。その後、従覚は建武3年 (延元1・1336) の大谷本願寺の火災で安置していた初稿本が焼けてしまったので、建武5年 (延元3・1338) 6月に転写本を書写し、翌月再治している。
 本鈔の成立は、他の御消息集に比べれば、年代的には最も遅い。しかし、その流布は最も広く、古写本もかなり多い。本鈔の冒頭には 「本願寺親鸞大師御己証并辺州所々御返事等類聚鈔」 とあるが、『末灯鈔』という書名は、首題にも尾題にも奥書にもみえない。したがって外題に付された書名であったと考えられるが、従覚の自筆本が現存せず、現在最古の書写本である乗専書写本も表紙が失われており、当初から『末灯鈔』という書名があったかどうかは明らかでない。『末灯鈔』の書名を持つ本の初見は、大谷大学蔵の蓮如書写本である。この本は文安4年 (1447) の奥書を持つ蓮如自身による書写本であり、末巻の表表紙に蓮如の筆で「末灯鈔 末」(左上題箋)と右下に「釈蓮如」の袖書がある。この頃から「末灯鈔」の外題を持つ書写本が見られるので、おそらく蓮如の頃から付された書名であったと思われる。なお本鈔は、一般に流布しているものは本末を分けていないものもあるが、原形は本末2巻である。→親鸞聖人御消息