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季路…事へんや

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きろ…つかえんや

 通常は「季路、鬼神に(つか)へんことを問ふ。()のいはく、いまだ人に事ふることあたはず、いづくんぞよく鬼神に事へんや」と読む。親鸞聖人はこれを読み改めて鬼神につかえてはならない旨を示す。なお、季路は孔子の門弟。(化巻 P.471)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

中国でいうところの「()」とは、日本の(おに)のことではなく死者・亡霊のこと。「鬼神」とは死者の霊魂。

原文
季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。曰。敢問死。曰。未知生。焉知死。
季路、鬼神に(つか)うることを問う。子曰く、未だ人に(つか)うること能わず、(いずく)んぞ能く鬼に(つか)えん。曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、(いずく)んぞ死を知らん。→季路問事鬼神章
御開山の訓
季路問 事鬼神。子曰 不能事。人焉能事鬼神。
季路問はく、〈鬼神に事へんか〉と。子のいはく、〈事ふることあたはず。人いづくんぞよく鬼神に事へんや〉と。(化巻 P.471)