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声聞辟支仏と名づく仏をまた

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しょうもんびゃくしぶつとなづくぶつをまた

 通常は「声聞・辟支仏・仏と名づく、また…」と読む。ここは迷悟不二・悉有仏性の意を強調するために、このように読まれたのであろう。(真巻 P.354)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

現在の『涅槃経』の原文:

亦名解脱 亦名十二因縁 亦名声聞・辟支仏 亦名地獄・餓鬼・畜生・人天 亦名過去・現在・未来。是名一義 説無量名。

また解脱と名づく、また十二因縁と名づく、また声聞・辟支仏と名づく、また地獄・餓鬼・畜生・人・天と名づく、また過去・現在・未来と名づく。これを一義に無量の名を説くと名づく。これを一義に無量の名を説くと名づく。
御開山の訓:

亦名解脱 亦名十二因縁 亦名声聞・辟支仏・亦名地獄・餓鬼・畜生・人天 亦名過去・現在・未来。是名一義 説無量名。

また解脱と名づく、また十二因縁と名づく、また声聞・辟支仏と名づく、仏をまた地獄・餓鬼・畜生・人・天と名づく、また過去・現在・未来と名づく。これを一義に無量の名を説くと名づく。


 梯實圓和上は、御開山の所覧本には、「辟支仏・仏」の仏の語があったのであろう。もしあっても、「また声聞・辟支仏・仏と名づく」と読むべきだが、御開山が「仏をまた地獄・餓鬼・畜生・人・天と名づく」と読めたのは、仏は地獄・餓鬼・畜生・人・天という性質を持っている事をここで顕わしていると見られたからであろうと言われていた。仏は地獄性を持つが故に地獄の衆生にも共感して救済するという、天台の性具説が念頭にあったからであろうと言われた。いわゆる天台の、仏の中に地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩の他の苦界が全て仏の中に摂まるという十界互具(じっかい-ごぐ)説を、ここで見ておられたのであろうと示して下さったものである。
もちろん〔なんまんだぶ〕と称える信がなければ、地獄は地獄のままであることは言うまでもないことであるが、御開山が「化身土文類」の末で、仏は、外道や悪魔にまで仏が身をやつして救いを説かれたことに思いをいたせば、真・仮・偽という『教行証文類』の立論は「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(消息 P.736) である。

十界互具
性具
性起

天台の、十界互具説、性悪不断説の援用か?